「‘チームゴーヤ令元(2019)’始動!」
実りの成果で暑さに負けそうになりそうな時期の道場当番、宿直当番の方々の食卓を応援していきたいと思います。
ありがとうございました。
合掌
‘チームゴーヤ令元(2019)’
- 2019.05.31 Friday
- ニュース
- 20:26
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- by rkkkinkishiga
実りの成果で暑さに負けそうになりそうな時期の道場当番、宿直当番の方々の食卓を応援していきたいと思います。
ありがとうございました。
合掌
‘チームゴーヤ令元(2019)’
日時 令和元年5月1日(木)AM9:00〜
●機関紙「佼成」5月号会長先生ご法話
"なぜ、苦しみが絶えないのか"より
確認とおことば。
滋賀教会 後藤教会長
動画約4分20秒
●当日の板書
( ..)φメモメモ
新元号(令和)を迎える5月にブログのお役を頂き、ありがとうございます。新しい時代に平和で穏やかな日々が送れることを願います。
今月号の会長先生のご法話 「なぜ、苦しみが絶えないのか」を拝読し、読み書きが苦手な私にとって、ブログのお役を頂いたことはまさに四苦八苦することです。
〇「苦」と「苦しみ」の違い
釈尊はしかし、この「苦」を、いま私たちが一般的に使う「苦しく、つらいこと」という意味で示されたわけではなさそうです。「苦」の語源は「思いどおりにならないこと」を意味する「ドゥッカ」という言葉ですから、先の八苦はどれも、「自分にはどうすることもできないこと」を示しています。ところが、それを「なんとかしたい」と望み、そのことにとらわれて諦めきれないと、心に「いやだ」とか「つらい」といった感情が起こってきます。そのとき「苦」は、身心を苛(さいな)む「苦しみ」に変わるのです。
(佼成5月号より引用)
満開の桜をながめていたのもつかの間、私にとって忙しい一年が又、始まりました。
好きで始めた稲作。楽しみでもあり、苦しみの原因でもあります。年々面積が増え、仕事との両立、教会では壮年部長のお役を頂き、その合間をぬいながらなので、とても私一人ではまかなえるものではありません。
家族はもちろん、周りの方々の応援がなければできないことです。肌寒い4月2日の夜、私、妻、長男夫婦、長女、次男夫婦、孫の8名で播種作業を始めました。ボンボリのついた桜を農舎からながめながら、あーでもないこーでもないと楽しく色々な話をしながら作業をしました。途中、機械の調子が悪くなるというアクシデントもあり、夜中の0時までかかりましたが、みんなで助け合うことで苦が楽しみになり、それが喜びにかわり、幸せを感じる時間でもありました。
〇「苦」は「智慧」の湧く泉
「苦」から逃げずに、それをそのまま受け入れる覚悟ができると、その「苦」は「智慧」の湧き出る泉ともなります。私たちが本来もっている「智慧」がはたらきだすには「苦」が必要だったと受けとれば、「苦」は楽しみに向かう大切な道しるべとなり、その「苦」も抜き去られるのです。
これが、「苦」があっても苦しまない生き方といえるでしょう。そしてそのことを、仏教では四諦の法門など数々の教えで伝えています。ただ、それらを学んでも、私たちはいざ苦に出会うと悩み苦しむのですが、それでもいいと思うのです。苦しい思いをしなければ、仏さまの教えという「幸せにつながる道」を歩んでいないかもしれないのですから。
(佼成5月号より引用)
しかし、「苦」はまたすぐにやってきます。平日は仕事、土日や夜は教会のお役があったりで、「いったい私はいつ田んぼを耕し、植えることができるのか」次なる悩みがやってきます。そして、自分の思い通りにならないことにイライラを募らせます。周りからも「いつ植えるのか、予定がたたない」と言われるとイライラが今度は怒りに変わるのです。
そこに、救いの手を差しのべてくれるのが長女です。みんなの予定を聞いて、「この日とこの日は人数が大勢集まるからあそこの田んぼを植えて、この日は2人しかいないから2人でできる田んぼにしよう」と段取りをしてくれ一晩で問題が解決するのです。悩んでいたことがスッキリとし、私の体にスイッチが入り、イライラと怒りがスーッと消えていきます。娘のやさしさに気づくとともに、私一人が頑張っているように思っていたのですが、娘の段取りはまさに智慧を下さる仏さまです。
現在、家族のほかに草刈りをして下さるスタッフ7名がいて下さり、感謝させて頂きながら、悩み苦しむ百姓ではありますが、幸せにつながる道しるべになり、その道を歩かせて頂いていることを実感し、今日も仕事帰りトラクターに楽しく乗っている私です。
合掌
滋賀教会 壮年部長
(会長先生ご法話 佼成5月号より引用)
当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。