2月「会長先生ご法話」に寄せて
2月「会長先生ご法話」に寄せて
新年を迎えたかと思うと、もう2月です。年を重ねるごとに、一年が早く過ぎていきます。ですから、なおさらのこと一日一日を大切にしていきたいと思います。
今月の会長先生ご法話は 人を思いやる「心の習慣」です。
〇得は徳に通じる
街のなかで困っている様子の人を見かけたとき、みなさんはどうされるでしょうか。そばに寄って声をかける人も多いと思いますが、気にかけながらも、よけいなお世話かもしれないと近づくのをためらう人もいることでしょう。
(佼成2月号より引用)
私は小学生のころから父からよく「互護の精神」が大切やと教えられてきました。「バスに乗ってお年寄りの人とか乗ってこられたら、ゆずってあげるんや。一人占めしたらあかん。」と、今でもその時の様子を覚えています。我が子にも教えてきました。
最近では、トラブルに巻き込まれるかもしれないという懸念もあって、見ず知らずの人に声をかけるのは、確かに一文の得にもならないという見方もできます。しかし、ほんとうにそれは得にならないのでしょうか。
損得の「得」は道徳の「徳」に通じる、といわれます。一文の得にもならないと思われることであっても、人さまを思うがゆえの実践は、それを行う人の徳分として、人間的な成長など尊い心の財産になります。
ただ、そのことがわかっていても、困っている人を見て「なんとかしてあげたい」と願う気持ちを実際の行動に移す、その一歩を踏み出す勇気が出ない人もいます。
(佼成2月号より引用)
会長先生は私の心もよく理解していただいています。ニュースとか見ていて助けに入って亡くなった事を見たり聞いたりするとおじけづいてしまいます。でも会長先生は教えてくださいます。
「目の前の人を憐れみ、思いやりの心を奮い立たせて『苦しみから救い出そう』と決心しなさい」と教える一節です。そしてそのためには「自分本位のとらわれや執着を離れて、ものごとの真実を見極めるよう精進することが大切です」と説かれています。
要するに、損得勘定を捨てられない私たちでも、精進によって欲得ずくの心を超えることができ、それが心の習慣になれば、どのようなときでも損得勘定に惑わされずに、人を思いやる気持ちを自然に行動にあらわせるということです。
(佼成2月号より引用)
まず真剣に相手のことを思い、こう思われたらどうしよう、などと自分をかばうのではなく、常日頃の心のもち方を正していけば、いざという時自然と身体が動いていくのですね。
〇すべては一つ
「自分本位のとらわれや執着を離れて、ものごとの真実を見極める」というのは、この母親のように、自分と相手を一つと見ることです。さらに、すべてを一つと見れば、人の喜びや悲しみがよくわかり、そうしてわきあがる憐れみの心や慈悲の心に突き動かされて、思いやりを行動に移せるのです。「すべては一つ」という見方によって、思いやりが「心の習慣」になるということです。
相手と一つになれば、慈悲をしているといった意識もしないまま、その思いやりがお互いの喜びや心の成長に結ばれていくのです。
(佼成2月号より引用)
なかなか相手と一つになれず、特に主人とは私は私、あなたはあなた、あなたは自分のこと中心でまわりのことは思っていないと、さす心ばかりです。でもそんなことばかり言っていられませんね。人生の終盤をむかえるにあたり、真剣に「相手と一つになる」精進をさせて頂きます。
ありがとうございました。
合掌
滋賀教会 少年部長
(会長先生ご法話 佼成2月号より引用)
当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。
- 2019.01.31 Thursday
- お言葉
- 20:32
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- by rkkkinkishiga