11月「会長先生ご法話」に寄せて
暦の上では、早くも立冬を迎える11月、朝夕はめっきり寒くなり、佼成会のカレンダーでは、本年最後の月になりました。
先月のご法話『「苦悩」と「苦労」』を通して、生きる事の素晴らしさを学ばせて頂きました。そして、今月その為の具体的な実践を教えて頂けるのです。
今月の会長法話は、『 親孝行と菩薩行 』です。
親孝行に「手遅れ」なし
ただ、私は親孝行するのに、けっして手遅れということはないと思うのです。
私は以前、本誌のこのページで、親やご先祖様に「安心してもらえるような生き方をしよう」と申しました(「親孝行と仏道」/2011年7月号)。それをより具体的にいえば、暮らしの一つ一つに、ていねいににとりくむ。日々を明るく、楽しくすごす。人に喜ばれるようなことを誠実に行うことです。娘や息子がこのように生きていれば、いまは亡き両親も、安心してくれるのではないでしょうか。そのような意味で、親孝行をするのに手遅れということはないのです。元気に暮らす両親にとっても、当然のことながら、わが子が誠実に生きて、まわりの人に喜ばれることは何よりもうれしいはずです。
私の父は、私が小学校二年生の時に病気で亡くなりました。妹は五歳、
弟は二歳でした。幼いときは感じなかったのですが、年が行く度に「なんで、なんでこんな苦労をせんとあかんねや」と、自分なりに我慢したものでした。母親からお兄ちゃん、お兄ちゃんと言われると、その思いはつのるばかりでした、表面は親孝行ぶっていましたが、心はいつのまにか鬼のようで 亡くなった父や苦労している母親を恨むような人間になっていたのです。でも、そんな私たちに転機がおとずれたのです。それは、十三歳中学一年生のときです。母親が立正佼成会のご縁に触れて入会してくれたのです。
十九歳の時に初めて青年部のお役を頂き、今日まで教会のお役を、青年部長、教会教務員、渉外部長と気が付いたら四十五年間も頂いており、自分のことしか考えられなかった私が、お役のお蔭様で少しでも人さまに喜ばれることを実践させて頂いている姿をきっと亡くなった父親、母親は喜んで頂いているものと思います。
「孝は百行の本」
では、その菩薩行とは何か。それは、布施・持戒・忍辱など仏さまの教えに随って、人を思いやり、周囲の人に喜ばれるような行ないのことです。見方を変えれば、人の喜びを自分の喜びにする人を菩薩といい、その菩薩の心を支える杖は、生かされていることへの感謝といえましょう。そこで、先の親孝行のとらえ方をもう一度ふり返ってみましょう。日々をていねいにすごし、誠実に、人に喜ばれるような生き方をすること・・・この親孝行の具体像を菩薩行と重ねると、親孝行も先祖供養も菩薩行も、根本においては一つということがわかります。そして、これらすべてに共通するのは、いま命あることへの「感謝」です。
「考は百行(ひゃっこう)の本(もと)」という言葉があります。「孝行はすべての善行の根本となる」という意味ですが、その孝行も生んでいただいた両親への感謝が基本ですから、命への感謝がすべての善行の土台となり、それが善なる世界を創造する力になると教える言葉なのかもしれません。
今月のご法話を拝読させて頂き、今更に、もし、このご法に触れさせて頂いてなかったら、親孝行の真似事さえ出来ていない自分であったこと。まして、ようやく朝夕のご供養も自然体でさせて頂くようになった。そんな私にならせて頂いたのも、両親とこの教えに導いて下さった方、こんな私をここまで教え導いてくださった多くの方々、そしてなによりも、開祖さま・会長先生のお蔭さまと感謝申し上げます。
ほとんどの方が、人のことよりまず自分のことしか考えない、今の世の中、いまこそこの教えを一人でも多くの方にお伝えさせて頂きたいと存じます。最後にいま意識して実践させていただいている事があります。それは、心田を耕す実践、人のせいにしない・条件のせいにしない・腹をたてないことを日々心がけて生活実践させて頂いています。 合掌
教会渉外部長
(会長先生ご法話 佼成11月号より引用)
当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。