九月「会長先生ご法話」に寄せて
- 2017.08.31 Thursday
- お言葉
- 23:50
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- by rkkkinkishiga
1日(金) 朔日参り(布薩の日)/夜間式典
4日(月) 開祖さまご命日
10日(日) 報恩会
学林学長 庭野統弘先生ご来道
11日(月) つながるデー(日野)
15日(金) 釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)
17日(日)〜18日(月)
近畿支教区 壮年本部参拝
20日(水) つながるデー(近江八幡)
21日(木) 英語でご供養(甲賀)
24日(日) 秋季彼岸会
詳しくは教会スタッフまでお尋ねください
合 掌
日時 平成29年8月15日(土) 午前9:00〜
●後藤教会長おことば(動画)
●当日の板書
( ..)φメモメモ
日時 平成29年8月1日(火) 午前9:00〜
●後藤教会長おことばと佼成確認(動画)
●当日の板書
( ..)φメモメモ
平成29年7月9日(日)三教会交流法座に滋賀教会壮年部19名が参加しました。年に一回京都・奈良・滋賀の三教会が集結して交流をさせて頂いています。
今年は京都教会に集まって、『壮年交流を通じて「にぎわい」あるサンガによる壮年菩薩(ダーナ)の生き方を目指す』というねらいを持って参加しました。9時のご供養から始まり、京都教会周辺を京都教会の壮年さんに案内していただき散策をしました。その後京都教会星さんによる「男の家庭教育」というテーマで研修があり、午後は交流法座をさせて頂きました。今回はご供養の式衆も三教会合同でさせて頂きました。あっという間の一日でしたが、それぞれが色々な気づきがあった交流法座になったと思います。
交流法座に参加された壮年の中から2名の方に感想と感謝の想いを述べていただきます。
Tさん
三教会交流法座参加ありがとうございました。交流法座へ行く前に長男が夜中に部屋で壁を叩いたりして抑えきれない感情をぶつけて居る現象を元に何があったのかを打ち明けてくれる時間をもらってからの参加となり 星講師さんの男の家庭教育の研修を聞かせて頂きました。
(中学生は、身体が大人になり切れていないから精神的に不安定な所がある、私も人に頼らず孤立しがち、捕らわれを無くす。等)
自分にも思い当たる部分が…。研修後の班別法座の中に星講師さんが居て下さった事もあり長男の事に付いて『何か求めて行きたい』『何か持って帰らなければ仏様からのメッセージも無駄にしてしまうのでは?』とアドバイスを頂く中、親子共に育つ『共育』を味わって居る時なんだ有難いなー とこの日、私が交流法座に参加出来た意味を教えて頂きました。帰ってからの長男との関わりが楽しみになり 善き父親像に1歩近づけた様で現象そのモノが有難く感じることが出来ました。
有難うございました。
合掌
Sさん
7月9日三教会交流法座に参加させて頂きました。
今回は三教会での式衆のお役を頂き前日から京都教会に入らせて頂きました。8日の夜練習をさせて頂きましたが、前日だけで上手く合わす事が出来るのか、と不安もありましたが、各教会にて日頃から式衆の練習をされておられることもあり少し研鑽するだけで合わすことが出来て、ひとつになれたように感じました。
ほっとしたと同時にこれは凄いことだと思えました。同じ目標、同じ思いでいる仲間は環境、条件に関係なくひとつになれるのだと感じることが出来ました。
私は6時、9時のご供養、12時のお題目修行の式衆(木鉦・太鼓)をさせて頂きました。練習したとは言え、京都教会の大きな聖壇にあがると頭が真っ白になりました。式衆の仲間を信じて、また参拝者が有り難く御供養があげられるよう精一杯お役をさせて頂きました。「よい式衆でしたよ」と声をかけて頂き、嬉しかったです。また、本当に貴重な体験をさせて頂いたと感謝しています。
式衆をしたこともあり、班別法座の中では多くの方と話が出来ました。また仲間が増えたことにとても嬉しく思います。京都・滋賀の交流法座から始まり、昨年から奈良教会も加わり、どんどん輪が広がるよう多くの方に触れ、教えをお伝えしていきたいと思います。
ありがとございました。
合掌
夏、本番を迎え子供達にとっては楽しい夏休みの8月です。また8月15日は月遅れのお盆を迎えます。日頃は忘れがちですが、私の命をつないで下さっている目にみえないご先祖さまに感謝をさせて頂き、子供達にも伝えて行く大事な月ではないかと思います。
8月の会長先生のご法話は「見えないはたらきに気づく」です。
信仰は「気づき」のきっかけ
「空気・心・ご縁」。この三つに共通することがらが何か、みなさんはおわかりになるでしょうか。「実際に触れることも見ることもできないものでありながら、私たちが生きるうえで欠かせない大切なもの」これが答えです。心やご縁を具体的に考えてみても、たとえば親の恩やご先祖の徳、家族の思いやりや友人の気遣いなども、つい感謝を忘れてしまいがちな「目には見えない大切なもの」といえます。宗教や信仰もまた「目に見えないものを見えるようにする」ものです。正確にいえば、目に見えない心のありようや「いのち」の不思議・有り難さ、そして生命の尊さなど、人として生きるうえでほんとうに大事なことに気づかせてくれるきっかけを、宗教や信仰は与えてくれるのです。
8月6日は大好きだった祖父の三十三回忌の祥月命日をむかえます。祖父は幼い時から信仰深い人だった様です。地域では強い檀家がある中でも60年前に父が佼成会に入会しました。祖父も佼成会の教えと庭野開祖さまのすばらしさに感動し、ご供養・法座・お導きと布施も素直にさせて頂いた方でした。祖父母・両親の温かい家庭で、良い事も悪い事も人がみていなくても仏さまはいつも見て下さっているよと教えられて育てて頂きました。
素直になる
法華経の如来寿量品に「常に此に住して法を説く」という一説があります。仏さまはいつも、私たちのすぐそばで法を説きつづけてくださっているということです。それでは、私たちはどうすれば仏さまからのメッセージに気づけるのでしょうか。いちばん簡単な方法は、素直になることです。素直になれば、目に見えない大切なものも、仏さまの説法も手にとるように感じられ、まざまざと見えてくるはずです。どれほどつらい現実に直面しても、それをありのまま素直に受け入れたとき、人はそれぞれに大事な気づきを得る。客観的に見れば苦境にあることに変わりはなくても、目に見えない大切なことに気づいたとき、多くの人が胸のつかえのとれたような安心感に満たされるのです。それは、救いだとおもいます。目に見えないもののはたらきや仏さまの声に気づくというのは、いうなれば幸せになる早道です。
私は2度の流産と死産というつらい経験をした時は私が何か悪い事をしたの?本当に仏さまはいらっしゃるのか?と思った時期がありました。又、ある方に「子供の事で苦しむのは親不孝のサンゲだね」と言って下さる言葉が気になって、自分をみつめる事ができた時、両親に心配かけている事に気づけました。誰のせいでもない、自分の思い通りにならない現実を受け入れた時、子供は仏さまからの授かりものだと心から気づく事ができました。三人の水子を供養させて頂く事で命の尊さに気づかせて頂き、親孝行と先祖供養の大切さを教えて頂き、実践させて頂いています。「子供の事で苦しむのは親不孝のサンゲだね」は今思うと仏さまの声だったと思います。私の信仰の原点はそこにあると思いました。
合掌
東近江支部 支部長
(会長先生ご法話 佼成8月号より引用)
*当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。