三寒四温と徐々に温かくなる季節となりました。
春一番の知らせも届く頃ですが、
寒い日などは、暖かい春が待ち遠しいですね。
今月の会長先生のご法話は、
『肯定的か、否肯定的か』です。
―前向きの力がわいてくる―
人は、年齢とともに体のあちこちに支障が
出てくるようです。私も体の痛みや、
それにともなう若干の不自由を味わっていますが、
そうした現実からいくら逃れたい
と思っても、逃れることはできません。そして、
そのようなときに心が向かう先は、
まず「つらい」「苦しい」「困ったものだ」
「早く元どおりに治らないだろうか」といった、
いわば現状に対する否定です。
私自身も、朝起きることひとつとってみても、
寒い朝など特に、「つらい」「苦しい」
「困ったものだ」
「今日の予定を先延ばしできないだろうか」
という心が起こってきます。
ただ「いやだ」「なんでこんなことに」
と不満に思ったところで、
現実はどうなるものではありません。ならば、
「いやだ」と思うその感情をいったん離れ、
客観的に、そして肯定的に現象を観察してみては
どうでしょうか。視野を広げると、
心も豊かになると思うのです。
客観的に、肯定的に。今日の予定がある
お蔭さまで、私は一日をダラダラと過ごすことなく
送ることができる、有り難いことだと、
とっさに受けとめられるように
なっていきたいものです。
私は、「この体の痛みは、同じような痛みを
かかえる人を思いやれるいい体験だ」
と受けとめています。そして、
「もし治ったときには、痛みもなくふつうに
暮らせることが いま以上に、『有り難い』
と感じるはず」と、そのことをいまから楽しみに
しているのです。
―大らかに―
先ほど「苦しい現実のなかにも、必ず『有り難い』
と思える要素が見出せ」ると
いいましたが、その意味では、見出せるどころか、
どれほどつらいことも人生を豊かにする陽りものであり、
すべては肯定すべき感謝の対象にほかならないのです。
ただ、人により場合によって、現象をすぐに「有り難い」
と受けとめられないことも当然あります。
すぐに「有り難い」と受けとめることは難しく、
意識していないと、自分の尺度でものごとを見てしまいます。
そこで、ものごとを肯定的に受けとめられないときに、
自己をふり返るポイントをおさえてみましょう。
人を肯定する気持ちが拭えないときには、
「やさしさを忘れていないか。」現象を
肯定できないときには、
「素直さを失っていないか」。
この二点です。自分の思い、つまり我でものごとを
見るとき、人はやさしさや素直さを
見失いがちなのです。
冬の寒さを耐えてきた木々から、
若葉が芽生いてくるこれからの季節、
新しい希望やエネルギーが、あふれ出す季節です。
自分の中にあるやさしさや素直さに
目を向けていきたいものです。
ものごとを肯定して見るとは、大らかに楽々と
生きるということです。
肯定的な見方と否肯定的な見方のどちらが幸せかは、
そのことでも明らかではないでしょうか?
春の朝、つい寝すごしてしまいそうな私ですが、
感謝で目覚め、ここち良いスタートを切れる毎日を
むかえられますように、
心を整える努力をさせて頂きます。
合掌
日野支部 支部長
(会長先生ご法話 佼成3月号より引用)