滋賀教会では平成29年次寒中読誦修行が1月21日から2月3日までの14日間行われています。始まって早々、何年かぶりの大雪が降り積り、予定していた通りに事が進まず大変でした。しかし色々な変化が生じてくることで、教会長さんより頂いた寒中読誦修行の心構えの中で、「寒さの一番厳しい時に、難行・苦行を乗り越え、小さな我を捨てること」を、そして「自分ではどうすることもできないことを受け入れていくこと」を、自然の中から学ばせて頂きました。
今月の会長先生のご法話は 「気にしない人」 です。
すべては仏のおはからい
私たちはふだん、いろいろなことを気にして暮らしています。そして、気にする必要のないことや、気にしても仕方のないことにとらわれて、悩んだり苦しんだりしていることも多いようです。日ごろ、人からの評価やうわさ話にふり回されていらいらしたり、まだ起きてもいない先のことを心配して心を曇らせたりすることはないでしょうか。
同居している主人の母は、心臓が悪く定期的に診察を受けています。 先日から具合が悪く寝込でいる母の体調を心配しながらもそれと同時に、2月には東京に行かなくてはならない用事があるのに、こんな状態で参加させて頂けるのかなと、まだどうなるかわからない先のことにとらわれる心が一瞬にして湧いてきました。
私たちはつい、権威や世俗の価値に照らして人と自分の評価を比べ、さらにはものごとを損得勘定で判断しがちです。ところが仏教では、出会う人も、身の回りで起きるできごとも、すべてが、私たちに大切なことを教える仏のはからいであると教えています。ものごとをそのように受け止めると、そこに優劣や序列や損得はありません。したがって、そういうことにとらわれる必要もないのです。
気にする必要のないこと
わたしたちは、自分ではどうすることもできないことを気にして悩みます。気にしたところで自分ではどうすることもできません。つまり、気にしても仕方のないことです。しかし、そうとわかっていても、私たちはいろいろと気にして悩み、その結果、不安や不満をかかえこんで苦しむのです。一休さんや良寛さんのような「気にしない人」に本質的に変われたら、いつでも安心して生きることができます。幸いなことに、本誌を手にされているみなさんは、二人が求めたのと同じ仏の教えに縁のある方々です。諸行無常、諸法無我、一切皆苦といった仏教の根本とともに、すべてを仏のおはからいと見ることや自らを深く省みることを繰り返し学ぶことで、「気にしない人」に自ずから変わっていくのだと思います。
ところで、私たちは気にしても仕方のないことまで気にするわりに、つねに心にとめておきたい大切なことは忘れがちです。その一つは「いま」です。過去や未来を思い煩うのではなく、「いま」をもっと大切にいきましょう。そして、人を思いやることを日々実践していきたいものです。
教務部も忙しく、用事を一度にお願いされることもあります。
こなす事だけにとらわれると、不安や不足の心、また相手を責めるこころが出てきます。
会長先生より信行方針の中で「本年も現実の繁雑に陥ることなく…」とご指導頂いております。
目の前の事を丁寧に、でてきた現象は仏さまからのプレゼントと有難く受け取れる私になれるよう、今年一年精進させて頂きたいと思います。
合 掌
滋賀教会教務部長
(会長先生ご法話 佼成2月号より引用)