秋も深まる月を迎えました。先月、十五夜の中秋の名月を見上げて、空の月あかりを感じて頂けましたか?
つい私も写真を撮って、秋の夜空を見上げる機会を頂けました。
味覚の秋ともいい、五感を一杯感じて過ごさせて頂きたいと思います。
今月の会長先生のご法話は「祈りの先に・・・・・・」です。
--祈りとは--
古い川柳に「神仏に手前勝手を申し上げ」とあるくらい、人はいつの時代も、神さまや仏さまに願いをかなえてほしいと祈ってきたようです。
かつて開祖さまは、「信仰というと、苦からの救われや願望成就を願って神仏に祈ることと考えられがちです」と述べたうえで、「神仏に祈るだけでなく、仏法すなわち真理に随順した生き方を目ざす」のが信仰と明言しています。
私もお正月に神社仏閣にお参りにいくと、神さま、仏さまに家族の健康家内安全など手を合わせ祈っております。病気になると祈らずにおれない心境になり、どんな所にいても、心から念じる気持ちがわいてきます。
仏法を信じて身につけ、自分が仏になる、自分が仏であることに気づく・・・。仏教の信仰はその方向にあるということです。そもそも、自分が仏であると気づけば、神仏やほかのだれかの力を恃み、「救ってください」と祈ることはなくなります。それが、自灯明、法灯明の教えに基づいて生きていく仏道というものであります。
私は以前、8人という大家族で住んでいる時、自ら手を合わさずにいられない心境で、親から進められ、この教えに一歩踏み込みました。
信仰によって心境が変わり、心境が変わることで、自分の日常の生活をいかに正していくこと、又新しい家族が増えて、縁となる私が正しい道を歩んで行くことが、大事な事なのだと考えさせられました。
--信仰を深める契機に--
私たちは、祈願の先にある大事なことを、つねに忘れてはならないと思います。その大事なこととは、「生老病死は人生につきものである。だからこといま生きていることの有り難さに気づいてほしい」という仏の願いです。苦から抜けだしたいと祈る人に、私たちはたとえば「法座に座ってみませんか」「祈願供養をしましょう」とお伝えし、ときには同じ悩みに苦しむ人のもとを一緒に訪ね歩いたりもします。それらはすべて、いま申しあげたこと、つまり仏の願いに気づくための、いわば方便です。
私は、お役をちょうだいして、手どり、法座修行の中で、縁を頂き、人を思い、自分を振り返ることを教えて頂きました。そして、朝・夕のご供養で朝は誓願・昼は精進・夜は感謝と反省を繰り返す、おかげさまで、自分中心な私でも、少しずつ「まず人様」という、周りへの感謝の心が出来るようになりました。
また、思いどおりいかないことに腹を立てない様に暮らさせて頂く様になりました。いつまでも、今、何が大切かを気づかせて頂ける様、日々過ごしていきたいと思います。
合掌
竜王支部 支部長
(会長先生ご法話 佼成10月号より引用)