秋も日増しに深まりをまし、紅葉の美しい
季節をむかえて参ります。立正佼成会にとっ
ては開祖さまのご生誕をお祝いさせて頂くと
ともに「報恩感謝」と「誓願」をさせて頂く
意義深い月をむかえさせて頂きます。
十一月の会長先生ご法話
「軽んじない」
みんな「仏の御いのち」
法華経の常不軽菩薩品に、みなさんもよくご
存じの「我汝を軽しめず」という一句があり
ます。この言葉を私たちの日常に照らすと、
人を「軽んじない」とは具体的にどのような
姿勢や態度といえるのでしょうか。そもそも
なぜ人を「軽んじない」ことが大切なのか
―ふだん、当たり前だと思っているそのこと
について考えてみましょう。道元禅師が「悉
有(しつう)は仏性なり」と受けとられたよ
うに、私たちはもちろん、この世のすべては
仏性そのものであると教えていただいていま
す。私たちはみな「仏の御いのち」であると
いうのです。一休禅師も、私たち人間がいか
に尊ぶべき存在であるかについて、「一切の衆
生と仏へだてなし隔(へだ)つるものは迷い
一念」と喝破(かっぱ)していますが、そのこ
とに気づけば、人を尊び、敬うことが私たちの
自然な姿だといえます。
先月、竜王支部において水子供養をさせて
頂きました。この世に誕生できなかった尊い
いのちに参拝された皆さんの真心でご供養を
あげられたことに感謝を申し上げます。今い
のちを頂いている事が奇跡である事に気づか
され毎日生活する中に朝・目がさめる事や手
や足が動く事や空気や水の自然の恵を受けて
いる事に気づかせて頂くと神仏に生かされて
いる尊いいのちを授かっていると自覚をする
事で相手のいのちの尊さにも気づきお互いが
他を尊ぶ心を起こしていく事の大切さに気づ
かせて頂きました。
「狎(な)れる」を戒める
人を「軽んじない」ために大切なのは何か。
それはどれほど親しい人に対しても、けじめ
を忘れず、礼を欠かないこと、つまり「狎れ
る(なじんでうちとけすぎる)」を戒めること
です。親しい間柄でも「お前」などと呼んだ
りしないで、敬語を使い、ていねいに話す。
できるだけ人の長所を見て、それを称える。
もちろん、合掌・礼拝の精神を忘れない。
こうしたことが、調和のとれた人間関係を築
いていきます。合掌・礼拝に徹した常不軽菩
薩に倣い、朝には「合掌・礼拝の心で一日を
すごそう」と誓い、夕べには「私はきょう、
人を軽んじなかっただろうか」と省みて、明
日に向かう。このような地道な実践が、平和
な生活の基本であると私は思います。
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉の通り
特に家族には敬語を使ったり、長所を見て称
える事などは、よほど意識をしないと身に付
かないものですが、関戸教会長さんの御命日
でのおことばの中でご供養の後にご主人や子
供さんやお孫さんの名前を呼んで毎日、ご宝
前にあいさつをしています。と聞かせて頂き
私も実践させて頂いています。いつの頃から
か、主人や息子やお嫁さんを呼ぶ時に○○ち
ゃんから○○さんに呼び方が変化している事
に気づきました。家族を敬う心を後ろ姿で孫
達に示していける私にならせて頂きます。
合掌
竜王支部 支部長
(会長先生ご法話 佼成11月号より引用)