チームゴーヤ2015 約1か月が経過しました
- 2015.06.29 Monday
- 教会行事
- 23:04
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- by rkkkinkishiga
日時 平成27年5月30日(土)〜31日(日)
場所 京都教会
京都教会・滋賀教会による、毎年恒例の交流法座が5月31日(日)に新緑で静観な京都
教会で開催されました。前夜(30日)は“京の風物詩 鴨川納涼床の傍での懇親会。
サンガの有り難さや、ご縁を感じるひと時を楽しく過ごさせていただきました。
翌31日は両教会で60数名による研修です。朝9時のご供養も両教会で合同聖壇の
お役を務めさせていただきました。研修は、京都教会渉外部長 田中講師による「教典の
意義」。ほんとうの読経供養の意義は、私たちが経典に説かれている人間の真の生き
ざまを身につけ、人さまの役に立つ行いができる自分になり、菩薩行のできる人間に成ら
せて頂くとていただくと、ご先祖様は大変喜ばれ、安心してくださり、感謝の真心を捧げさ
せて頂く最大の供養といえます。また、開経偈の学び(人間に生まれた喜びと遇いがたき
仏法に遇うことができその教えを受持できる喜び・感激と決意)を通し、ふれあうすべての
縁に感謝させていただく大切さを学ばせて頂きました。
研修後の法座(10組の班)では、研修での学びを通しての“気づき”や“日々の壮年活動
に対しての悩みや取り組み”等を出し合い、気づきの発表を行いました。
最後に佐藤教会長さんのお言葉“仏道を修行し歩む功徳を事細やかに教えていただき、
参加者の顔がより一層明るく、輝きだしたように感じました。
合掌
京都教会ブログ記事はこちら
http://blog.livedoor.jp/rkkkinkikyoto/archives/1029791296.html
今月の会長先生ご法話は“「南無」ということ”です。
「真実」に帰る 他と比べて優劣を評価する錯覚の世界に生きる私たちも、本当はみな等しく尊い存在であって、大小・長短の比較などしなくてよい世界に住んでいるのだ、ということです。 また、私たちの生命は有限に見えますが、本来は無限であり、永遠のいのちなのです。 だから、この世を「仮」といい、絶対や無限・永遠を本然とする世界を「真実」というのです。 比較や別け隔てをしない世界。他を尊び、思いやる・・・それが人間のほんとうの姿であるとして、その本然に帰るのが宗教・信仰の本質であります。 ふだんから、相手の事を考えずに、つい自分の事ばかり話してしまったり、自己中心になってしまうことがあります。 また、「あの人は自分より出来ている」「自分よりあの人はこうだ」などと、知らず知らずのうちに、人を勝手に評価したり、比べたりしてしまいがちです。 そんな時、自分を振り返ってみると、相手の事が全然思いやれていないことに気づかされます。 家庭の中で家族みんなで会話する時など 「今日は仕事どうだった!?」とか 「今日は学校どうだった!?」なんて お互いに相手を思いやれたらステキですね。 常日頃から相手を思いやる気持ちを大切にしたいです。 「真実」にめざめるとき 「南無」すなわち真実に帰るといっても難しいことではなく、 「ほんとうは真実の世界に生きているのだ」と気づくことなのです。 「真実の世界を自覚した私は、みんながめざめることを願い、仏の教えによってともどもに智慧を得つつ、多くの人が真実にめざめて幸せを味わっていただけるように歩み続けます。 自身の自覚を因として、一人でも多くの人のめざめをと願い、歩む。 それが信仰をもつ悦びであります。 多くの方との出会いを通して、困っている人に手を差しのべたり、悩みを聞かせて頂いて、ともに泣いたり、喜び合ったり・・・あたたかな人を思いやる心が養われます。 より多くの方に思いやりの心を持って頂けますようにふだんから明るい笑顔で、相手にはほっとして頂けるようなふれ合いを心がけてまいります。 合掌 滋賀教会甲賀支部支部長 (会長先生ご法話 佼成6月号より引用)