4月のお言葉
4月のお言葉
今年も早や、桜咲く四月 お釈迦様の生誕を祝う「降誕会」の月、そして、社会人、学生さんも新しいスタート月 自然界の草花が開花し、私達も心軽やかに、心を開花させたいものです。
今月の会長法話は、未熟を自覚する
一路向上
私たちは、世の中のことをいろいろ知っていると思っています。しかし、私たちが知っているのは、無限ともいえるこの世界のごくわずかなことにすぎません。しかも、いまだ解明されていないことは、もちろんだれも知り得ません。つまり、私たちは無量無辺ともいえる宇宙のなかの、ほんの一点にも満たないことしかわかっていないのです。したがって、先入観や固定観念に縛られると真実がみえなくなり、大切なことを見失ってしまう
知っている、わかっていると思っていますが、それは、ほんの一部のことしか理解していないのですね。科学が進歩したと言われますが、解明されてないことのほうが多いことに気づいていないのですね。
人はだれもが未熟な存在といえるかもしれません。
未熟さや愚かさは、それを自覚すれば、いつでも向上のきっかけになります。ところが、「わかっている」という思い上がり・憍慢によって、私たちはみずから向上の芽を摘んでしまいがちなのです。
それには どうすれば いいのでしょうか
そうならないための「智慧の心」とは何かといえば、それは「生かされている」という人間としての本然の気づきだと思います。それをとおして謙虚に、素直になるとき、あらゆる可能性の扉が開かれるのです。
私たちは90% 目に見えないものに、生かされているのに、あとの10%の現象世界にバタバタしているのだと聞かされたことがあります。私も、この教えのお陰さまで、家庭や職場で「ああ、仏さまが守ってくださっている」という体験を 数多くさせて頂きました。
幸せな人生の基
一見、否定的とも思える未熟さや愚かさの自覚ですが、私たちの向上や成熟を助ける飛躍台となる、大切なことなのです。さらにその自覚は「生かされている」という智慧とも相まって、人に対するやさしさや思いやりにつながり、そうして人と相和して暮らすことがほんとうの幸せの基にもなるのです。
幸せになる 秘訣を教えて頂けました。幸せは独りでは味わうことは できないのです。この世に生きるすべての人とともにが大事なことですね。
この生かされている いのちを どう使わして頂くか。
私たちは、いつも未熟で愚かな存在といっていいでしょう。しかし、その自覚によって、人生の味わいが豊かになります。「桜ばな いのち一ぱいに咲くからに 生命をかけて わが眺めたり」は、花まつりの季節にふさわしい岡本かの子の歌ですが、私たちは愚かさを内に抱えながらそのままに、まさに「いのちいっぱい」生きるとき、大きな花が開くのだと思います。
今月 お釈迦さまのお誕生を お祝いし、自分の誕生の不思議さを味わって、この生かされているいのちを輝かさせるも、曇らせるも自分次第。
いつも 未熟で愚かな存在と自覚して いのち いっぱい 生きて 大きな花を咲かせたいです。世界が平和になりますように。
合掌
滋賀教会 渉外部長
- 2015.03.31 Tuesday
- お言葉
- 23:59
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- by rkkkinkishiga