「生きている!」という実感
会長先生より「生きている!」という実感とのお言葉を頂戴し、一月十七日神戸教会で
阪神淡路大震災二十年慰霊供養がとりおこなわれた時のことが、鮮明に蘇ってきました。
二十年という月日が去っても、いまだ消えることのない深いかなしみを肌で感じ、
命の尊さ、有難さをしみじみと実感させて頂く機会を頂きました。
「いま・ここに」に心を向ける
私たちはふだん、朝起きてから夜眠りにつくまで漫然と時をすごすことがままあります。
おそらくほとんどの人が、自らの行動をあまりよく気に留めないまま一日を送り、
また当たり前のように翌日を迎えます。
仏教では「いま・ここ」を大事にします。いま命あることの有難さを知り、感謝して
生きるところに幸せがあります。
以前から教会長さんより、どんな時も意識することが大事と教えて頂きました。
ご供養させて頂くときも、今日一日の誓願をし、仏さまのお心を感じとれるご供養を
させていただいただろうか、お役をさせて頂いている時もただの作業になっていなかった
だろうか、繁雑になる日々の中で、意識できていない自分を反省すると共にしっかりと
心を入れてまいりたいと思います。
「生きる喜びを味わう」
本会では、何かを行う際に「する」ではなく「させていただく」という表現をよく
使います。これもある意味では、生きている実感につながる一つのキーワードです。
「させていただく」というとき、私達は謙虚な気持ちになります。
そして、そういえるのは、あらゆるご縁のおかげさまで生かされていることを自覚すれば
こそではないでしょうか。
口にするたびにそれがご恩を感じる糸口となり、つねに謙虚でいられるという意味で
「させていただく」はとても意味深い表現だと思うのです。
私は、主人から肩もみをしてほしいと頼まれた時「してあげる」という気持ちで肩もみ
をしていましたが、年齢と共に肩、背中が固くなっているのを感じた時、「今までずっと
がんばって来てくれたんだなぁ〜」とまた主人のおかげさまで今日まで来れたのだと
つくづく感じることが出来ました。それ以来、肩もみを「してあげる」から「させていただく」
という心にならせて頂きました。最近では、私の肩もみをしてくれるようになり、夫婦の会話も
増え心あたたまるひとときを頂いています。
「させていただく」は、ほんとうに謙虚になれるキーワードだと思いました。
最後に会長先生より
今月は涅槃絵を迎えますが、ご入滅の直前まで布教伝道に歩かれた釈尊のように、
私たちも怠ることなくいまを精いっぱい生き、大いに生きる喜びを味わいたいと思います。
私も文書布教部のお役を通し、開祖さま、会長先生の願いを、会員の皆さまにいち早くお伝え
させて頂けるよう精進させて頂きます。
合掌
滋賀教会 文書布教部長