山々の紅葉や、色とりどりの菊の花を目にしますと、
季節は、ちゃんと自然の流れで変化しています。
台風の被害、自然災害も心痛く感じます。
私達の出来ることを精一杯、つくさせて頂き、応援して
まいりたいと思います。
今月の、会長先生のご法話は、頼りにされる人です。
頼りにされる人、頼りにする人、頼りにされない人。
会長先生から、頼りにされる人とはどんな人か学んで
まいりましょう。
−笑顔で、素直に−
法華経の観世音菩薩普門品に「真観・清浄観・広大智慧観・
悲観及び慈観あり、常に願い常に瞻仰(せんごう)すべし」
という一節があります。世間や人びとを観る観音さまの
まなざしを讃(たた)え。私たちに「これを手本としなさい」と
うながす法華経の名句の一つで「五観」といわれるものです。
「真理をとおしてこの世を観る(真観)と、我や執着の
まじらない澄みきったものの見方(清淨観)ができ、
そのことによって、すべてが仏のいのちのあらわれであり、
何を見ても、だれに対しても自他一体と思えます(広大智慧観)。
すると、人の苦しみはわが苦しみとなり、その苦をとり除いて
あげたいと願わずにいられなくなる(悲観)と同時に、
一人でも多くの人を幸せにしたいという気持ちがわき起こる(慈観)
のです。
このような眼(まなこ)を得たいと願い、観世音菩薩を仰ぎ見て、
手本としていきたいものです」
私たちがお手本とする観音さまです。
五観、理想の姿ですね。
人にものを頼まれたときにいやな顔をせず、笑顔で、素直に
「はい」と言ってさせていただく----私はそのような身近な
ふるまいの中に「五観」のはたらきが認められると思うのです。
そうしたことを自然にできる人は、おのずと多くの人に信頼
されることでしょう。
家族から、また会社の人から、学校の友達から、笑顔で、素直に
「はい」。
我があっても執着があっても、二つ返事で引き受けることは
できません。
人にものを頼んだときサッと引き受けてくれると、私たちは
その人を頼もしく思います。
頼もしく思われる私づくりをしていきたいです。
−惜しみない親心−
頼りにされる人として、
信念を貫く気概や、ものごとを明るく肯定的に受けとめること
と具体的に示して下さいました。
開祖さまは外部の施設で集まりがあるとき、五分前には必ず会場
に到着することを励行されました。ものごとを分け隔てせず、
些細とみなされることにも一所懸命にとりくまれるその姿勢が、
人から頼りにされる開祖さまの真骨頂といえそうです。
どんなことも、誰が見ていようと見ていなくても、真心をこめて
させて頂くことを実践したいと思います。
周囲にトラブルが発生したときも、それらを肯定的にとらえて
つねに明るい展望を描き、プラスに転じていく。
開祖さまは「ピンチがチャンス」と教えて下さいました。
ピンチのとき「開祖さまの笑顔に救われた」という声もよく
聞きますが、笑顔に開く天の花とでもいえるのかもしれません。
「笑う」という言葉の語源は「咲く」だそうです。
私たちもその笑顔で人から頼りにされるようになりたいものです。
親心は惜しみなく子を思い、持てるすべての愛情を一人ひとりに
注いでいくのが親心というもの。
人から頼りにされる。その鍵は、いつでも人を思いやる親心に
あり、それはまさにお観音さまの慈悲と重なります。
開祖さまは観音さまを別文のように「法華経の新しい解釈」で
教えて下さっています。(最後にご紹介しております)
あと一ヶ月で今年も終わります。
頼りにされる私になるために、仏さまのお使いとして仏の教え
を伝えてまいりましょう。
合掌
滋賀教会教会長
**********************************************************
一家の父または母として、多くの子どもたちをほんとうにりっぱ
に育てていくには、まるで子どもたち身体の中や心の中にはいり
こんだように、その状態をよく見通さなければなりません。
この子の身体には何の栄養が不足している、この子の心は何を
求めている、そういう声をちゃんと聞き分けて、それに応じた
食事をつくってやり、あるいはしつけをし、あるいは相談相手に
なってやる---とにかく、子どもの身体や心が欲しているものに
即応して、それにふさわしい方法で自由自在に導いてやる。
しかも、ほんとうの親ならば、自分は犠牲にしても、ひたすら
子どもの幸福のためにつくします。これが、真の父親であり、
母親であります。そしてこれこそが、観世音菩薩の精神なのです。
また職場において、主任とか、課長とか、部長とか、とにかく
いくらかの人びとの長として立つ人は、部下の一人一人がどんな
性格であるか、どれくらいの能力を持っているかということだけ
でなく、どんな不満を持っているか、どんな悩みを持っているか、
どんな希望を持っているかということまで、はっきり洞察でき、
それにふさわしい方法によって指導し、動かしていけるようで
あってこそ、本当に部下を掌握し、伸ばしてやり、したがって
受け持ちの仕事をりっぱに遂行し、また発展させていくことが
できるわけです。
これが、重役となり、社長となり、あるいは多数の学生生徒の
教育をあずかる教師となり、あるいは一国の政治にたずさわる
議員や大臣になると、ますますそういう精神と能力が必要に
なってきます。
「法華経の新しい解釈」より
**********************************************************