平成二十五年次「十歳式」
- 2013.02.24 Sunday
- 教会行事
- 23:01
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- by rkkkinkishiga
二月を迎え、大寒の寒さから少し陽のぬくもりを
感じはじめます。
梅のつぼみも大きくなり、ふきのとうも出始め
早春に咲く花の香りが楽しみになってきました。
二月の会長先生のご法話は「生ずれば滅す」です。
【釈尊が味われた無常】
二月十五日 涅槃会 釈尊が入滅された日
四月 八日 降誕会 釈尊がお生まれになった日
十二月 八日 成道会 釈尊がお悟りになった日
仏教三大行事です。
私たち仏教徒にとって、涅槃会は釈尊のお徳を
讃えると同時に、生きるうえで大切なことをかみしめ
直す日でもあります。
生と死の真実を明らかに知るということです。
生じたものは必ず滅すること、死は誰にも
公平、平等に訪れることを胸に刻むのです。
なぜ大事かといえば、いま命あることの有り難さを知る、
生きていることの有り難さに気づくためほかなりません。
「いま、ここ、われ」の言葉の通り、今ここに生かされている
命をどのように生きていくか、何のために生きるのか。
人さまに尽くす行いをさせていただくことを決意に
したいものですね。
そして朝夕のご供養の中で仏さまから、私たちへ
のメッセージが感じられるようなご供養をさせて
いただきたいものです。
【人の心に輝きを放つ】
生を離れて死はなく、死を明らかにしてこそ生が
輝きます。
私たちが生きることに真剣になれるのも、目の前の
ことに集中できるのも、限りある命と知ればこそです。
明日は来ないかもしれないと思い定めて生きるとき、
人生の一瞬一瞬はまさに味わい深くなるでしょう。
暗い気持ちで考えるのではなく、そのうちに明日にと
ついつい「のらりくらり」してしまう毎日がムダに
過ぎ去ってゆきます。
一休禅師はユーモラスに
「明日ありと思う心にほだされて
今日もむなしく日を送りけり」
と歌っています。
死をこのようにとらえると、死をいたずらに恐れ、
忌(い)み嫌うことはなくなります。
さらにいえば、亡くなった人に対する追慕にも、
より味わい深い観点が生まれてきます。
生と死を一つととらえると亡き人の生きた証を
かみしめて「私もあのように生きよう」と良い
ところを学び、讃歎することにつながります。
それは私たちが釈尊に学び、開祖さまを師と仰ぐ
のと同様、生きる大きな力となりましょう。
ご先祖さまの生きた証しの心、追慕の心を持って
先祖供養をさせていただきましょう。
怨みや怒りの心ではなく、先祖の生きた証し、
亡き人の生きた証しを思う時、生きる大きな力と
なりましょう。
その意味で私たちもまた、人の心に輝きを放つ
ような人生を歩みたいと思うのです。
開祖さまは
「日常生活のなかで、ふれあう方々の言葉に
素直に耳を傾けていくことが、仏さまの説法を
聞かせてもらうことに、ほかならないのです。」
と、ご法話下さいました。
生かされている命、今を大事に、その場で、その時に
善き、ご縁にならせていただきましょう。
そして一日一日を真剣に生きて、自らの生き方を
輝きあるものに、人の心に輝きを放つような生き方を
実践しましょう。
「自らを灯明に、法を灯明に生きる」ということです。
今月は釈尊の最後に残されたお言葉を心して、
春を迎えたいと思います。
合掌
教会長 関戸快枝