国政報告会 民主党参議院議員【とくなが久志】氏にお越し頂きました
- 2012.11.05 Monday
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- by rkkkinkishiga
秋も深まり、山々の木々も紅葉して来ました。
今月は、徳を養い、発揮するとご法話をいただきました。
皆さん、“徳”っていう言葉を聞いてどのように思われますか?
徳のエピソードをご法話の中から学びます。
開祖さまの人柄を伝えるエピソードの一つに列車内での
トイレ清掃の話があります。
移動中の車内で、トイレからなかなか戻られない開祖さまを秘書が
迎えに行くと、汚れたトイレを掃除していたということです。
もし、このような場面に出あったら、ちがうトイレに入ろうとか、
見て見ぬふりをしてしまいそうですね。
しかし・・・・・
人に知れないように行なうこうした善行を「陰徳」といい、
世間によく知られるようになる徳行を「陽徳」といいますが、
私たちは「陰徳を積む」ということを大切にするよう教えられてきました。
汚れたトイレの掃除や、道に落ちているゴミをひろったり、他の人が
いやだなと思うことを進んでやろう。
人が見ていようといまいと、陰日なたなく働くことを「徳を積む」
といいます。
徳を積み、徳を身につけることは仏の世界へ向けての菩薩行に
他なりません。
その語感から、ともすると徳を貯めたりふやしたりするもののように
とらえがちですが、徳を累(かさ)ねる、つまり善いことを繰り返し、
繰り返し行なうその一瞬一瞬の実践が心を豊かにし、喜びと楽しみ
を味わうことができるのです。
徳とは、大自然が万物を育てるように、人が人や物を
慈しみ、愛し、育てる心です。
そして徳は人間が生まれながらに持っている本質的な
特性なのです。
やくしん 11月号より
仏教は智慧と慈悲の教えといわれます。
真理を悟ることは智慧に当たり、それを他人に伝えることが慈悲に
当たるでしょう。
この智慧と慈悲が一体となるところは仏の世界であります。
◎日々徳行を
相手の善いところを見よう、徳分を発見していこうということは、
智慧と慈悲が一つの心境といえそうです。
そしてそのような見方ができるとき、人は大きく成長しているときです。
ところが、相手の徳(善いところ)が見えないときは、智慧の眼が曇り、
私たちが謙虚さを失っている状態といえます。
ですから、「智慧の眼が曇っているな」と気づいたら、「まず人さま」
という利他の心を思い起こす。
すなわち、相手の善いところに目を向けて、智慧と慈悲の心を
取り戻したいものです。
自己中心の心から相手のことを心配したり大事に思うことです。
生活の中で徳を養い、さまざまな場面でその徳分を発揮していく。
仕事場においても、家庭においても、皆さんの生活の場で、
特別なことではなく、日々その場で教えを生かすことです。
人さまの幸せを喜び、何ごとも感謝で行なう「喜心」、思いやりを
もってことにあたる「老心」、すべてを大らかに観る「大心」。
まもなく生誕会を迎える開祖さまのお徳を端的に示しているように
感じます。
私たちも菩薩行をとおして、徳の香りが周囲を薫ずる生き方を
していきたいと思います。
開祖さまの六つの誓い
1. これからは、けっして うそはつくまい。
2. 力いっぱい働こう。
3. 他人がいやがってやらないことを進んでやろう。
4. 他人と争わぬこと。どんなひどい目にあっても神仏のおぼしめし
と思って辛抱すること。
5. 仕事をするときは、人が見ていようといまいと、陰日なたなく働くこと。
6. どんなつまらぬ仕事でも、引き受けた以上は最善をつくすこと。
今月は、慈しみの心で、まず人さまと善いことを習慣にして徳を養いましょう。
本来そなわっている徳を全開し発揮して、私たちも喜びの心で菩薩行を
実践してまいりましょう。
合掌
教会長 関戸快枝