三月の言葉
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉通り、滋賀の地も少しずつ少しずつ春が近づいてくるかのように、比良の山々も雪解けになり、木々や草花が芽を出し始めています。
春を待つ田園に広がる風景は私たちの心をほっと暖かくしてくれます。
滋賀教会は73周年創立記念日、春季彼岸会を迎え、創立の精神・先祖への感謝、私の頂いた「生かされた命」への感謝の原点にかえり、新しいスタートの三月です。
今月の会長先生のご法話は「生活の場が道場」です。
『ご法の実践こそ いま・ここ』の中から、「“信仰即生活”は、ご法を習学し日常生活に生かす、この姿勢は開祖さまのご指導であり、本会の特徴といえます」と、冒頭に頂きました。
私たちは人として命を頂き、それぞれの時と場所において生かされています。
生活の場があります。
会長先生は「一生涯かけて教えを学んで実践する場所は全て道場であるとかみくだいて味わうこともできるのではないでしょうか」となげかけて下さいました。
そしてもっと細やかに、中国の思想家王陽明の『知は行の始め・行は知の成るなり』という言葉を引用され、「仏道を歩むことも同じで実践が伴って初めて教えが生きるのです。その意味でも教えを実践する場が道場といえます」と示され、「家庭はもちろん学校も職場も電車の中も買い物途中も食事に出かけたレストランも居酒屋も私たちの心を磨く道場となります」とご法話下さっています。
全ての縁から心を磨くことができるということです。
そこで大切なのは「いま・ここ」の念(こころ)です。
会長先生は「念」をこころとふりがなをうって下さいました。「念」は「今の心」と書きます。この一瞬を精一杯生きるということがすでに教えの実践なのです。何かあったらとか特別なことがあったら本気になるのではなく、いつでも目の前のことに真剣に取り組むことです。
「何か問題が起きたときも「いま・ここ」の念で全力を尽くすと、解決の道が拓かれてきます」と力強いお言葉を頂くと、今の心が明日、そして未来につながって、「この問題があるから救われない」のではなく、「この問題が私を救ってくれるんだ」と、勇気がわいてきますね。
会長先生は「道場は必ずしも場所のこととは限りません。『煩悩即菩提』と、迷いがあるから悟りというものが生まれてくる。迷いの原因を探って、その根本に気づくところに悟りの世界が開けてくる」とご法話を下さりました。
「苦しみをなくす」のではなく「全てのものを生かして救われていく」ので、悪条件とみえることが自分を磨くのだということです。
読経供養の最初に唱えさせて頂く“道場観”を会長先生がご指導下さっているように、「生活の場でご法を実践いたします」とお誓いし、一日の心構えをつくり初心にかえり一日を過ごしたいものです。
最後に会長先生は、「私たちが読経のたびに唱える『道場観』は、いつでも『今自分がいるところで全力を尽くしなさい』という私たちに対する仏さまからの慈悲の呼びかけといえるのではないでしょうか。」というお言葉で、後悔しない生き方を今いる場所で実践することを教えて下さいました。
まずこの身が出発点です。
「信仰即生活」
幸せの道を皆さんと共に歩んでまいりましょう。
- 2011.03.05 Saturday
- お言葉
- 20:11
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- by rkkkinkishiga