2月「会長先生ご法話」に寄せて

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     今月の会長先生のご法話は「生きがいをみつけよう」です。

     

    ○「お前も、死ぬぞ」

     二月は、涅槃会の月です。涅槃会は、釈尊ご入滅の日とされる二月十五日に、仏教徒がそのお徳をたたえ、仏の教えの学びを深める日ですが、(中略)多くの人にとって「死」は、恐ろしくて、避けてとおりたいものといえるでしょう。しかし、だからこそ釈尊は、「お前も、死ぬぞ」と、この世の実相を、身をもって語りかけてくださったと思うのです。

    ただ釈尊は、もちろんご自身の死をとおして、そのことだけを教えているわけではないと思います。生まれては死に、死んでは生まれ、という「いのち」の大きな流れのなかで、私たちが人としてこの世に生まれ、生きる意味をも教えているといえないでしょうか。つまり、ただ死ぬためだけに生まれてきた人は、一人もいないということです。 

    (佼成2月号より引用)

     

     「お前も、死ぬぞ」その活字だけをみたり、ストレートに言われると、とても強烈な印象で、恐いです。しかし、決して嘘でもありません。我々は必ず死にます。私は幼少の頃、腎臓病のひとつでネフローゼという当時難治性の病気で半年以上の入院をしていました。入院中、同年代の同部屋の子がある日居なくなり、後から聞かされましたが、亡くなられていました。私が退院してからも病院で知り合った子が亡くなっていた、と聞いたりもしました。まだ幼かった私は「死」についてよく分かっていませんでした。その後、学生・成人になってからも身内や知り合いの方が亡くなられるのを経験しましたが、「自分の死」については正直、深く考えませんでした。今年の正月、例年のごとく実家に家族が集まりましたが、最近では両親も80歳と高齢で、父は一昨年足を切断し、同時期に母も大腿骨を骨折して、なかなか自由の利かない生活となってきました。両親の今後の生活について私と私の兄夫婦で考えるようになりました。

     実家からの帰りの道中で、私の長男が「元気なうちにみんなでどこかに行かないといけないね」と言いました。私はおじいちゃん(私の父)の事と思い、「あの状態では、なかなか厳しいだろう」と言ったら、「お父さんの事やで、お父さんが元気なうちに僕(長男)と弟(次男)でどこか旅行でも行きたいね、と弟(次男)と話しをしていたんやで」と言われ、“ドキッ”としました。もちろん私の身体の事を思っていてくれることは嬉しく思い、感謝の気持ちでしたが、自分もいつまでも元気ではない、息子たちがそんな事を考える自分は歳になっているのだ、と考えさせられました。そしてそれ以上に、人は必ず死ぬ、また人はいつ死ぬかは誰にもわからない、という事を改めて気付かされました。百歳時代と言われる時代に、生んで頂いた両親に、そして「いのち」を頂いた事に感謝し、「死」について気付かせてくれた息子たちに感謝します。

     

    ○生きる意味とは

     身近な人や家族、あるいは自分が、病気をしたり、亡くなったりするのは、ほんとうにつらく、悲しいことです。ただ、そのつらさや悲しみやおそれを心底味わうと、真実を見る目が開かれます。それは、苦しみ、悲しみ、つらさそのものが、救いのいとぐちになるということです。

    そして、ここでいう「救い」というのは、たとえ人生のどん底であえいでいるときでも、そこに生きる意味や生きがいを見出し、前向きな力に変えていくことです。

    救いとか生きがいといっても、おおげさに考えることはありません。それを得るきっかけは、たとえば、夕飯の料理に最善を尽くすとか、あいさつを気持ちよくするなど、ささやかでも、あなたにしかできないことを喜びとして、それがまわりの人に喜ばれる、といったことです。それが、生きる意味や生きがいの核心ではないでしょうか。

    (佼成2月号より引用)

     

     自分が幼い時に入院していた時や息子たちが大きな病気で入院した時は本当につらく、悲しかったです。しかしその事があったから、「いのち」の大切さに気付き、「生かされている」という事に気付いたことも事実です。つらい事、悲しい事はこれからも体験し続ける事です。その中で救い、生きがいを持って生きていく事が大切であると気付かせて頂きました。

     今年の元旦に滋賀教会で作っている「開祖さまのおことば」を頂きました。いくつかある中で私が頂いたおことばは、「『人さまのこと、人さまのこと』と心をくばっていくと、自然に自分が幸せになっているのです。」というおことばでした。「人さまのこと」は自分ではしているつもりでした。私は壮年部のお役で、よく教会で資料などの作成をしています。これも人さまの為に、と思ってさせて頂いています。「心をくばって」と考えると、なかなか出来ていなかったと思います。例えば宿直の資料作りをとっても、当番表は作っても宿直に携わる方々への心くばりが出来ていただろうか。当番表を作ったら終わりでした。わかりやすい当番表だったか、宿直に入られた方がどうだったか、など後の行動が出来ていなかったと思います。心くばりが出来て、人さまのためになる、と感じました。

    また心をくばるには、相手の方と触れてその方の思いを聞かせて頂かないといけないと、気付かせて頂きました。これからは家族や周りの方々に喜んで頂けるような、心をくばっていけるような行動を起こしていきたいと思いました。

    そしてその行動を起こすことで幸せを感じとれる自分になりたいと思いました。

                                   合掌

                         滋賀教会 日野支部 N.S

     

    (会長先生ご法話 佼成2月号より引用)

    当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。



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