新年のご挨拶

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     皆さま、明けましておめでとうございます。

     昨年は教団創立八十周年の記念すべき節目の年を、滋賀教会の皆様と迎えることができました。誠にありがとうございます。今年からはいよいよ創立百年に向け歩み始める年、そして滋賀教会発足五十五周年の節目の年を迎えました。そのような意義ある年に会長先生から次のような信行方針を頂戴しました。

     

    天地自然は、一瞬もとどまることなく、創造、変化を繰り返しています。私たちもまた、天地の道理の如く、停滞することなく、何事に対しても、日々新たな気持ちで取り組んでいくことが大切であります。

    今年、本会は創立八十一周年を迎えました。その今日に及ぶ歴史の礎は、開祖さま、脇祖さまをはじめ、先輩の幹部の皆様、信者さんの寝食を惜しまぬご尽力によって築かれてきたものです。

    私たちは今後、教団創立百年に向けて、一人ひとりが、創造的な歩みを進める確たる志をもって、そのご恩に報いてまいりたいと思います。

    2019年次布教計画書より引用)

     

    年頭法話の中で、会長先生はこの信行方針に触れ、一人ひとりが、創造的な歩みを進める確たる志を持つことの「創造的な歩み」について次のように教えてくださっております。

     

    この年次方針の中に「創造的な歩み」という言葉があります。これは、単に「新しいものをつくり出す」という意味ではありません。

    仏教は、勝ち・負け、成功・失敗、新しい・古いといった見方を超えた普遍的な価値を大事にします。つまり、人間の営みに真に力を与えるのは、いつの時代も、明るい心、優しい心、温かい心であります。それを一人ひとりが、家庭、学校、職場、地域、また世界で、惜しむことなく、そして今までの自分から一歩踏み出して表現するのが、本当の意味の「創造的な歩み」であると思います。

    そうした根本を忘れることなく、それぞれの個性をいかして、身近な実践に結びつけてまいりましょう。

    (佼成新聞201916日号より引用)

     

    この「創造的な歩み」をそれぞれの場で具体的に、私たちの日々の実践へと後押ししてくださるご法話が、佼成1月号の会長法話『みんな善の根っこをもっている』であると思います。

    それでは年頭法話にある、仏教の普遍的な価値、明るい心、優しい心、温かい心とはどのような心でしょうか。そのことに対して会長先生が次のようにお示しくださっています。

     

    『みんな善の根っこをもっている』

     

    ○乾いた根に潤いを与える

    私たちが読誦(どくじゅ)する法華三部経のなかの無量義経に、「衆生の諸有(しょう)の善根(ぜんごん)を潤漬(にんし)し」(徳行品)とあります。善根とは、善い果報をもたらす土台となる根っこのことですが、「だれにも仏と同じ性質が具わり、みんな仏のあらわれである」ということを示す「仏性」と同じ意味あいと、私は受けとめています。ですから、だれもが善根をもっているといえるのです。ただ、その根っこが健やかに育ち、伸びるには、乾いた根に活力を与える潤いが欠かせません。

    (佼成1月号より引用)

     

    私たちは誰もが、善根(仏性)を持っていると教えて頂きます。しかし、そのように教えて頂いていても、意識をしないとすぐに忘れて自分中心の心が湧いてきます。

    年末、家族が待つ自宅に戻りました。三人の子ども達はそれぞれの予定で動いています。妻孝行をしようと思い、リビングを掃除しておりました。子どもがお昼近くに起きてきて、遅い朝食をリビングで食べ始めました。ホコリがたつだろうとリビングの掃除を止め、隣の和室の拭き掃除をしていました。昼食後、再びリビングのフローリングの拭き掃除をしていました。すると今度は、先程の子どもが遅い昼食をリビングで食べはじめ、年末の特番を見て大笑い。子どもは食後、食器を流しに置くだけで部屋に戻っていきました。「昼食後の洗い物は終わっている。この時間になったのだから自分で洗えばいいのに」と一言言いたくなる自分を抑えましたが、勝手にイライラする私がいました。身内に対しては、自分の思い通りにならないと、善根(仏性)を持っていることを忘れ、「仕方のない奴」と否定してしまう自分を、このブログ原稿を書くことで振り返ることができました。

    それでは、その「善根」に潤いを与えていくには何を大切にしていけばいいのでしょうか。

     

     

    ○ほんとうの「正定聚」に

     無量義経の一節は、先の「善根を潤漬し」のあと、「善の種子(しゅじ)を布(し)いて功徳(くどく)の田(でん)に遍じ」と続きます。「世のため人のために尽くす行為の本(もと)になる、善の種子をたくさん播こう」―要するに、「仏の教えを伝えて、自分も人も一緒に幸せになろう」と、「布教伝道」を説いているのです。

     「善の種子を播く」というのは、多くの人の乾いた善根に潤いを与えることと同じだと思いますが、では、なぜここで「布教伝道」が説かれるのかといえば、理由は一つです。

     前述した若者のように、仏の教えを聞いて心の根が潤い、迷いの淵から抜けだしたあとには、「ほかの人も、自分と同じように苦悩から離れ、目の前の幸せに気づいてほしい」という慈悲の心が、とめどなくわきあがるからです。

     では、その「布教伝道」のあり方はというと、悩み苦しんでいた先の若者も、初めから素直に仏の教えが受け入れられたわけではないでしょう。その意味で、私たちにとって大切なのは、まず「身近な人の善き縁になろう」と願って生きることです。人を思いやるやさしい言葉や態度が、苦しむ人の乾いた心の根に潤いを与えるのですから。

     そのうえで、私たちは読経供養や仏さまの教えの習学など日々の基本信行を実践しつつ、仏教に縁のない人の手をとっていく。それが、先の経文の結びとなる「普(あまね)く一切をして菩提の萌(め)を発(おこ)さしむ」(あらゆる人に仏の悟りを目ざす心を起こさせる)という最高の生き方につながるのです。

    (佼成1月号より引用)

     

     善根に潤いを与えていくには、相手を変えようとするのではなく、まず「身近な人の善き縁になろう」と願って、相手を思いやるやさしい言葉や態度が大切なのだと教えて頂きました。そして、自分から法を実践し、身近な人から法を伝えていく、布教伝道していくことの大切さも教えて頂きました。 

     

    私自身、自らが菩薩としての自覚に立ち、一人ひとりに具わった可能性を信じ、目の前の方に喜んでもらえる存在になりたいと思います。

    滋賀教会としては、教会発足55周年を迎えるこの年、あらためて礎を築いてくださった先輩の幹部の皆さま、そして支えてくださったご家族の皆さま、信者さんの寝食を惜しまぬご尽力に感謝を深めさせて頂きます。また、開祖さまが何度もお示しくださった「一人が一人を導く」ことを合言葉に、布教伝道に「GOGO(ゴーゴー)」と取り組んでいきたいと思います。さらに、人材育成(人を植える)ということに全力を注ぎ、創造的な歩みができるように工夫を凝らし、心を合わせ精進していきたいと思います。滋賀教会の皆さまと共に、救いを求めるすべての人にとって、いつでも心安らぐ「正定聚」(みんなが「仏さまのようになりたい」と決意した仲間)でありたいと思います。

    今年一年どうぞよろしくお願い申し上げます。

    合掌

      立正佼成会滋賀教会 教会長 後藤益巳

     

    当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。



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