10月「会長先生ご法話」に寄せて

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    虫の音、コスモス、あかね雲…

    犬の散歩をしていると、キンモクセイの甘い香りに秋を感じ、季節の変わり目を味わっております。

    皆さんは如何でしょうか…

     

    今月の会長先生のご法話は

    「自他ともに心楽しい精進を」です。

     

    樹木が紅葉するように

    私たちは、ものごとにいっそう勤め、励むときなどに、努力とか精進という言葉を使います。そのためでしょうか、ひたむきな努力や精進と聞くと、骨の折れる、苦しいことに感じられます。信仰においても、「精進、精進、死ぬまで精進、生まれ変わったらまた精進」といった意気込みにふれると、思わず気圧(けお)される人もいそうです。

     ただ、精進というのは、本来、気負って努めることでも、苦しみに耐えながら励むことでもないと思うのです。

     

     私たちがよく口にする「精進しましょう」は、「まじり気のない自分本来の力を、まっすぐに発揮していこう」という意味と受けとることができるのです。

    佼成10月号より引用)

     

     目の前の人や事を大切に、思いやりの心で、ひとつひとつを優しく丁寧にと教えて頂いております。努力していこうと思いながら、触れる縁で自分の我がでてしまい、できなくなると、「何やってるんだろう」と自分で落ち込み、虚しさだけが残ってしまいます。

     

    本来の自分に出会う

     私たち人間には自分本位の我が出ることがあります。好き嫌いや善し悪しなど自分のものさしがあり、目の前の現象を素直に受けとれなくなるときがあります。そのとき、心を真理にそわせていく工夫をこらすことが「精進する」ということで、その工夫、つまり、ときに応じた精進のあり方を、釈尊はさまざまに説き示されています。

     

    ときどき顔を出す自分のわがままな心を反省したり、懺悔したりしながら本来の自分に帰るのです。ただし、やはりどれも気負って努めることではなく、むしろ自分もまわりの人も、ともに心楽しくなるような工夫ととらえてみてはどうでしょう。

     

    精進をとおして本来の自分に出会う喜びだと思います。そして、この本来の自分とは、いうまでもなく仏性にほかなりません。

    佼成10月号より引用)

     

     同居している主人の母は、心臓が悪く入退院をくり返しています。母は、私の心を磨いて下さる存在です。お決まりの嫁姑の関係、母を鬱陶しく思うことも度々…。そんな時は私自身が信仰しているのにと、自分を責めました。

     今、母と触れ合うとき、元気になって自宅に帰らせてあげたいと心から思い、いろんな話をしたり、励ましの言葉を掛けられる自分になれていることに喜びを感じています。母のおかげさまで自分の仏性に気づかせて頂けました。

    目の前の人を大切に丁寧にご縁をもたせて頂けるよう精進させて頂きます。

    合掌

         滋賀教会 教務部長 

     

     (会長先生ご法話  佼成10月号より引用)

    当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。

     



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