12月「会長先生ご法話」に寄せて

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     2017年の師走を迎え、なんと月日が過ぎるのが早いことかとの思いです。一年をふり返り、よろこびや悲しみ、別れ、あんな事こんな事と時を刻んだ日々に感慨無量です。
     12月は会長先生から『型を身につける』とテーマを頂戴いたしました。 型とは基準になる形、あるもののかたちを作り出すもの、芸能や武道などで規範となる動作といわれています。日常生活での動作が型という意味のあるものとは意識せずに過ごしてきました。
     「型は方便」
    私たちの日常生活における身近な所作にも「型」というものがある、と私は受けとめています。 ちなみに「所作」とは、仏教で「身と言葉と心の三つのはたらきの現われ」をさします。では、その心とは何か。どのような心を「型」として身につけることが大切なのか―結論を先にいえば、思いやりや慈しみの心にほかなりません。思いやりや慈しみを体現し、それを「型」として日々実践することによって、私たちは慈悲の心をさらに深く胸に刻みつけていくのです。
    朝起きたら顔を洗い、朝の挨拶を交わし一日が始まります。出かけるときには「行ってまいります」と外へ、帰ってきたら「ただいま」と家に入り、食事のときには「いただきます」、「ご馳走さま」と箸をおろします。そんな他愛もないことと意識せずに過ごしています。ところがその動きの一つひとつが家族に対しての感謝や食物に対する感謝のこころを表す所作で、そこに心を込めるという大事なことだったのに置き去りにしていました。
    「形は無我の実践」
     仏教に「一即多・多即一」という言葉がありますが、根底となる思いや願いを忘れないことが肝心なのです。その意味では、仮に個性の数だけ「型」があるとしても、自分勝手な「型」は、「型」とはいいません。むしろ、「自分の思いどおりにしたい」というわがままな心を抑えるために「型」があるといえるのです
    思いが解りあえない人との話しや、行動を共にすることから避けようとする、避けている私です。会長先生からそんな我を型によって取り払えると示してくださっています。思いやりや慈しみの心を反映した型を身に付け穏やかなときを重ねていきたいと思います。 一年の締めくくりにどこまで心田が耕せたかこのことで振り返る機会を頂戴いたしました。
    来年は教団創立八十周年を迎えます。本会の歴史を支えてきた大切な「型」を身に付け、感謝のこころを深める師走を過ごして参ります。
              合掌
            滋賀教会 総務部長
                      (会長先生ご法話  佼成12月号より引用)


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