近江八幡支部 『支部ファミリー ミニ運動会』

0

    近江八幡支部 『支部ファミリー ミニ運動会』

     

    平成29年6月25日(日)


    後藤教会長さんにもお越しいただいて、支部の皆さんとともに
    和気あいあいと楽しい時を過ごさせて頂きました。

    梅雨空のもとでしたが、こんな天気もあろうかとお借りいただいた「竜王町公民館」

    空調の中の運動会というゼイタクな会です。


    少年部の宣誓から始まり、

     

    定番のパン食い競争

    手つなぎ輪くぐり

    高速足踏み

    自家製ペタンク。

    滋賀教会随一のスペシャルイベンター主任の仕込みでそれはそれはお年寄りにも優しい凝ったメニューが繰り出されました。
    さらに昼休みには滋賀教会随一の歌のお姉さん主任。


    両名とも教会の枠を超えて滋賀で指折りのアーティストの主任を擁する近江八幡支部、支部壮年の段取りに支えられて無事盛会で終えることができました。


    張り切って高速足踏みに連投された会計さん、翌日スタスタちゃんと歩けてますか??


    普段は教会には足が遠い方もご参加下さり、久々に「支部家族」を確かめ合う会となりました。

    ありがとうございました(^^)

     


    7月「会長先生ご法話」に寄せて

    0

      本格的な夏を感じさせる季節となりました。佼成会では6月から下半期に入り、会長先生の年頭のお言葉「有り難し」をどう感じ、どう実践させて頂いているのかを振り返らせて頂きたいと思います。7月の会長先生のご法話は「相手を認め、讃える」です。

       

      「いのち」をする

       人のすぐれているところをほめることを、一般に「讃える」といいます。では、その「すぐれているところ」とは、何を基準にしてそういえるものなのでしょうか?

      ふつう私たちは長所を指して「すぐれている」といい、その人を認め、讃えます。ところが釈尊は自分の生命を奪おうとした提婆達多を「善智識」と讃え、世間の常識とは異なる見方かもしれませんが、ここには人を認め、讃えるときの大切な着眼点が示されています。

       

      釈尊がどれほど罪深い人に対しても讃えることを忘れなかったのは、相手に仏・菩薩の徳の輝きを見ていたからにほかなりません。仏法を学ぶ私たちにとって、人を認め、讃えるとは、相手の「いのち」を賛嘆することではないでしょうか。人とふれあうときに、相手のすぐれたところを見る心がけとともに、私たちはお互いさま、本来、仏・菩薩の徳を本具する「いのち」であることを忘れてはならないと思います。

       

      日々の中で、価値観が違う相手や批判する人に出会いますと、「なんでそんなこと言うのかな」と、どうにも受け入れられず、苦しくなります。ほめるどころではありません。そこには相手を変えよう、自分の思うとおりにしたいという自己中心が働いています。

       

      会長先生は、相手の言動や性格にとらわれると、もともと讃えるのに値する仏性という大切な視点を忘れてしまいがちと教えてくださいます。

      では、どうしたらほめるとか讃えることができるのでしょうか。

       

      ノウハウや言葉ではなく

      ほめるとか讃えるというと、最近はとくにテクニックとしてのそれがもてはやされ、人材育成や子育てのマニュアルには「ほめる」効用があふれています。相手をほめるというのは、自分の心を開くことです。

       

      素直に相手を認め、讃えていく気持ちが、人と打ち解けたり、和やかな関係を築くことになるのでしょう。

      その意味では、人を認めて讃えることも、じつは人のためではなく、自分を磨く実践の一つといえるかもしれません。

      けっしてノウハウや上手な言葉ではなく、自他のいのちの尊重と、相手の成長を心から願う気持ちに尽きるように思うのです。

       

      相手を認めたいと思っても、それが出きない時、そこで自分の枠や器の広さを知ることになります。

       

      お隣の方が、私の家との境に大きな樫の木を3本植えています。年々大きくなり、うちの2階のベランダに覆いかぶさる様になりました。だんだん陽も当たらず風も入りづらくなってきました。何とかこちらに入っている分だけでも切って頂けないかと申し入れましたが、「切る時期では無いので、時期が来たら切ります」との返事です。

       

      なんと理不尽な、こんな山の木に切る時期なんてないし、枯葉もうちの方にたくさん落ちてきます。私ではまったく聞き入れてもらえないので、主人にも言ってもらいましたが、頑として譲らないのです。だんだん腹が立ってきましたが、隣近所でもめたくない気持ちも有り、不承不承なりゆきに任せてきました。

       

      ある日、ばったり出会いましたので「お忙しいのですか?」と聞かせていただくと「母の介護があります。時間ができたら必ずやりますから!」と。その人の行動や言動や性格にとらわれると、もともと讃えるに値する「仏性」や相手の「いのち」を認めていくことができないと会長先生は教えて下さいます。

       

      私は相手の言動にとらわれて、自分の思うとおりにならないやっかいな人、非常識な人と思っていました。しかし、今回の事を通して、ただ一人で一所懸命、年取ったお母さんを介護されている相手の仏性を拝み、讃えていくことで、自分を磨くという実践がさせて頂けるご縁を頂いていたのです。

       

      後から、近所の方から彼女が、自分の2階の窓から身を乗り出して枝を切っていた事を聞かせて頂きました。仏様から頂いたありがたいご縁に、私から心を開き、声をかけさせて頂きます。

       

      開祖さまと会長先生のお背中を流されている時のふれあいが、相手を認め、讃えることについて、何が大切なのかを私に示してくださり、思わず涙しました。

      ありがとうございました。

       

                 合掌 大津支部 支部長 

              (会長先生ご法話  佼成7月号より引用)

            ※当月の会長先生ご法話はこちらからご覧いただけます。


      1

      calendar

      S M T W T F S
            1
      2345678
      9101112131415
      16171819202122
      23242526272829
      3031     
      << July 2017 >>

      selected entries

      categories

      archives

      links

      profile

      search this site.

      others

      mobile

      qrcode

      powered

      無料ブログ作成サービス JUGEM