5月「会長先生ご法話」に寄せて

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     若葉のころ、色とりどりの花が咲きほこり、山々には新芽が芽吹き萌木色のベールにおおわれる季節となりました。

    大自然の中に身をおくと身心がほんわかとほのぼのとしてきます。

     さて、今月会長先生から頂いたご法話は、「させていただく」です。

     

           させて いただく

     

       【無限のつながりのなかで】

     今月のテーマである、「させていただく」について、

    会長先生は、工学博士の森政弘先生のお言葉を引用下さり仏教では『させていただく』という受け止め方をするが、それは、なにごとも自分の力だけではできないからである」 (中略)

    又、曹洞宗の青山俊董師のお言葉からは、「この世界の一切のことは、どんな小さなことも漏れることなくぶっつづきに、あいかかわりあって存在する」とわかりやすく説かれています。

     ものごとはすべて、かかわる縁の作用で生じたり滅したりする。―――すなわち縁起ということです。このような宗教的な世界観から生まれた表現が「させていただく」なのです。

     その意味でこの言葉には、本来、私たちを常に「生かそう、生かそう」とはたらいてくださる大いなるものに対する、感謝の念が含まれているといえます。「おかげさまでさせていただくことができます」という気持ちです。 (中略)

    佼成会ではよく使われる表現だけに、「あらゆるもののおかげさまで」という気持ちから、自然に「させていただく」といえる私たちでありたいものです。

     

    ここまで読み進み、心から「させていただきます」といってるだろうか?口先だけではなかっただろうか?と自分の言動を振り返りました。すると、形だけで言っている私に気づくことができました。そんな私の心にピッタリのおことばを、会長先生は次のように下さっています。

     

       【仏さまへの感謝】

     私たちは、ふだん何気なく「させていただきます」と口にします。それは、先ほどお話ししたように、「おかげさまでとりくむことができます」「させていただけることがありがたい」という気持ちのあらわれです。ところが、この「おかげさま」や「ありがたい」を忘れてしまうと、「している」とか「してやる」といった自我が顔をだします。ものごとは形がとても大事であるといわれますから、繰り返し「おかげさまで、させていただけることがありがたい」と口にしていれば、縁起の教えがしっかりと胸に刻まれ、いつでも心からそういえるようになるのではないでしょうか。理想をいうと、そうなれば「させていただく」その感謝の実践は、仏・菩薩の遊戯三昧(ゆげざんまい)のようなとらわれのないうれしさ、楽しさにつながりそうです。

     

     忙しく毎日を過ごしていますが、おかげさまで健康を頂き家族に支えられ日々を送らせて頂いてます。しかし、食事の準備、洗濯など惰性に流されいつの間にか「している」、「してあげてる」と知らず知らずのうちにそんな思いになっている自分の心の姿勢に今回気付かせて頂きました。主人、子供がいてくれるおかげさまで、洗濯も料理もさせて頂けていると思うと、家族への感謝の思いが深まってきました。

     又、我が家の前の桜の花も終わり、がくが舞い落ち玄関先や、ガレージを覆いつくしてます。その上お隣さんの葉っぱが強風で飛んできて山のように吹きたまってます。いつもいつも隣の葉っぱに悩まされ、「なぜ今葉っぱが落ちるの!」「切ってくれればいいいのに‼」「一言ごめんねと言ってくれれば!!!」と思って掃除をしていました。しかし、今回のご法話を頂き、「おかげさまでさせていただけます。」「ありがたくさせてもらいますね。」そう思いながら、言いながら掃除をしていくうちに本当にありがたくなり、うれしくなり、清々しくなったのです。葉っぱを掃きながら、私の心の埃(愚痴や怒り)も清めさせて頂いているんだと思いました。

    全ての現象には無駄なものは無いと教えて頂いてます。出会うご縁を大事に、「おかげさまでさせていただけることがありがたい」と口に出し今月も歩ませて頂きます。

    ありがとうございました。

                                  合掌
                              甲賀支部 支部長
                     (会長先生ご法話  佼成5月号より引用)

             ※当月の会長先生ご法話はこちらからご覧いただけます。
     


    2月「会長先生ご法話に寄せて」

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      滋賀教会では平成29年次寒中読誦修行が121日から23日までの14日間行われています。始まって早々、何年かぶりの大雪が降り積り、予定していた通りに事が進まず大変でした。しかし色々な変化が生じてくることで、教会長さんより頂いた寒中読誦修行の心構えの中で、「寒さの一番厳しい時に、難行・苦行を乗り越え、小さな我を捨てること」を、そして「自分ではどうすることもできないことを受け入れていくこと」を、自然の中から学ばせて頂きました。

      今月の会長先生のご法話は
      「気にしない人」 です。

       
      すべては仏のおはからい

      私たちはふだん、いろいろなことを気にして暮らしています。そして、気にする必要のないことや、気にしても仕方のないことにとらわれて、悩んだり苦しんだりしていることも多いようです。日ごろ、人からの評価やうわさ話にふり回されていらいらしたり、まだ起きてもいない先のことを心配して心を曇らせたりすることはないでしょうか。

      同居している主人の母は、心臓が悪く定期的に診察を受けています。
      先日から具合が悪く寝込でいる母の体調を心配しながらもそれと同時に、2月には東京に行かなくてはならない用事があるのに、こんな状態で参加させて頂けるのかなと、まだどうなるかわからない先のことにとらわれる心が一瞬にして湧いてきました。

      私たちはつい、権威や世俗の価値に照らして人と自分の評価を比べ、さらにはものごとを損得勘定で判断しがちです。ところが仏教では、出会う人も、身の回りで起きるできごとも、すべてが、私たちに大切なことを教える仏のはからいであると教えています。ものごとをそのように受け止めると、そこに優劣や序列や損得はありません。したがって、そういうことにとらわれる必要もないのです。

      気にする必要のないこと

      わたしたちは、自分ではどうすることもできないことを気にして悩みます。気にしたところで自分ではどうすることもできません。つまり、気にしても仕方のないことです。しかし、そうとわかっていても、私たちはいろいろと気にして悩み、その結果、不安や不満をかかえこんで苦しむのです。一休さんや良寛さんのような「気にしない人」に本質的に変われたら、いつでも安心して生きることができます。幸いなことに、本誌を手にされているみなさんは、二人が求めたのと同じ仏の教えに縁のある方々です。諸行無常、諸法無我、一切皆苦といった仏教の根本とともに、すべてを仏のおはからいと見ることや自らを深く省みることを繰り返し学ぶことで、「気にしない人」に自ずから変わっていくのだと思います。

      ところで、私たちは気にしても仕方のないことまで気にするわりに、つねに心にとめておきたい大切なことは忘れがちです。その一つは「いま」です。過去や未来を思い煩うのではなく、「いま」をもっと大切にいきましょう。そして、人を思いやることを日々実践していきたいものです。

      教務部も忙しく、用事を一度にお願いされることもあります。
      こなす事だけにとらわれると、不安や不足の心、また相手を責めるこころが出てきます。
      会長先生より信行方針の中で「本年も現実の繁雑に陥ることなく…」とご指導頂いております。
      目の前の事を丁寧に、でてきた現象は仏さまからのプレゼントと有難く受け取れる私になれるよう、今年一年精進させて頂きたいと思います。

                           合 掌

                       滋賀教会教務部長

                (会長先生ご法話
        佼成2月号より引用)

      1月「会長先生ご法話」に寄せて

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        皆さま、明けましておめでとうございます。

        昨年は開祖さま生誕110年、そして開祖さまから会長先生へ法灯が継承されて25年という節目の年を皆さまとお祝いさせて頂きました。皆さま誠にありがとうございました

         本年は会長先生から次のような信行方針を頂戴しました。

         
         
        本年も現実の繁雑に陥ることなく、いつも大切なものごとに集中するよう工夫を凝らし、「テーマ」を持って布教に取り組みましょう。

        釈尊が教えてくださった「有り難し(ありがたい)」「感謝(ありがとう)」のこころを、日常生活の中で表現し、実践してまいりましょう。

        私たちは、仏さま及び開祖さま・脇祖さまの人を慈(いつく)しみ思いやるこころ、人間本来のこころ(明るく 優しく 温かく)を持って、菩薩道(人道?じんどう?)を歩んでまいりましょう。

         

        信行方針の中では、常に大切なものごとに集中できるよう工夫を凝らし、「テーマ」を持って取り組んでいくことの大切さを教えていただきました。滋賀教会としては、本年は大きな節目を迎える年ではありませんが、教団創立80周年(平成30年)を迎える前年でもあり、20年前に掲げられた総合目標『一人ひとりの心田を耕す佼成会』の締めくくりの年です。このような時こそ私たちがどのように過ごして行くかが大事になってきます。


        滋賀教会としては、メインテーマ「『
        明るく、優しく、温かい』自分・家庭・仲間づくりができる滋賀教会 〜つながろう!私から。つなげよう!大切なあの方に〜」をもとに、工夫を凝らし、心を合わせ精進していきたいと思います
         
        さらに本年は、釈尊が教えてくださった「有り難し(ありがたい)」「感謝(ありがとう)」のこころを日常生活の中で表現し、実践していくことの大切さを教えてくださっています。
         それではどのように実践していくことが大事なのでしょうか。
        それが、
        佼成1月号の会長法話地道に、淡々と』ということが大切になってくると受け止めました。


        『地道に、淡々と』

         私たちは新しい年を迎えこのような一年にしていこうと目標を立てますが
        日々の忙しさに紛れて、自分の目標、なすべきことを見失ってしまいます。そのことに対して会長先生が次のようにお示しくださっています

        ○大自然に学ぶ
         「元旦の雪といへども卸さねば」(広中白骨)の句が示すように、どのようなときでもなすべきことをていねいに行なう心のゆとりと落ち着きをとり戻すことが、いま私たちには必要なのではないでしょうか。時間に追われ、効率や成果にふり回されることなく、地道に、淡々とやっていく。そこに人間らしい生活やほんとうの幸せがあるように思うのです。
        なにごとも急がず息(や)まず、循々(じゅんじゅん)と行なっていくなかに、人としての成長があるのだと思います。
         
        私自身、この原稿を書くことにとらわれ、年末に家族と過ごしていても、心のゆとりがなく、家族、特に子供たちの話に耳を傾けることが足りずにお互いに寂しい思いをしました。そのことを内省し、どのようなときでもなすべきことをていねいに行なう心のゆとりと落ち着きをとり戻すことが、大自然に生かされている私たちが学んでいくことと受け止めています。

         それでは、地道に、淡々とていねいに行っていくもとになるのは何なのでしょうか?そのもとが次の内容であると思います。

         
        ○志を立てる

         志に随っていま目の前にあることの一つ一つにていねいに向きあえば、その歩みはたとえ地道ではあっても、必ず実を結ぶということです。また、志があればものごとに一喜一憂しない余裕が生まれるので、落ち着きのある淡々とした生き方にもつながるはずです。

         ただ、志に基づく実践といっても、人それぞれ、まさに分に随ってどのようなことでもいいのだと思います。

         

         まずは志を立てること。その志に随って目の前にあることの一つ一つにていねいに向きあっていくことの大切さを教えていただきました。各々志を立てていると思いますが、もしまだ志を立てていない方がいらっしゃったら、信行方針の中に示されている、「仏さま及び開祖さま・脇祖さまの人を慈(いつく)しみ思いやるこころ、人間本来のこころ(明るく 優しく 温かく)を思い出していただき、その「こころ」を発揮していくことを志にしていくといいのではないでしょうか。


         私自身、本年は
        「仏さま及び開祖さま・脇祖さまの人を慈(いつく)しみ思いやるこころ、人間本来のこころ(明るく 優しく 温かく)」を基に、今、目の前の方に喜んでもらえる存在になりたいと思います。具体的には、相手の話をていねいに聴き、「有り難し(ありがたい)」「感謝(ありがとう)」を日常生活の中で伝えていくことを、地道に、淡々と行っていきたいと思います
         さらに今年も皆さま一人ひとりを敬い、また、皆さまからいろいろと教えていただきながら、日々気づきと学びと感動を味わい合い、精進していきたいと思っています。
         今年一年どうぞよろしくお願い申し上げます。

         

                                    合掌
                                 教会長 後藤益巳
                  (会長先生ご法話
          佼成1月号より引用)
         


        12月「会長先生ご法話」に寄せて

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          木枯らしがふき、初雪の知らせが届く季節となりました。

          新しい年に、新鮮さとドキドキの高揚感を持って、真新しいカレンダーと向き合った時が、ついこの間の事のようです。光陰矢のごとし、12月、あと、一枚のカレンダーです。

          さて、皆様にとってどの様な一年でしたでしょうか?

          笑ったり、泣いたり、怒ったり、支えたり、支えてもらったり。たくさんのご縁を結ばれたのではないでしょうか?

          12月今月の会長先生のご法話は

          「仰いで天に愧じず(あおいでてんにはじず)」です。

          えっ・・ことわざ、どんな意味でしょう?と、読み進めさせて頂くうちに熱いものが胸にこみ上げてきました。年の終わりに、また会長先生より道しるべを頂きました。

           

          〜やましいことはないか〜

           

          仏教で十界互具と説くように、人はみな、心の中に欲得づくの「私」もいれば、清廉潔白な「私」もいます。地獄や餓鬼のような、自己中心で浅ましい心から、思いやり深く、人に尽くすことを喜びとする仏・菩薩の心まで併せ持っているのが人間であるというのです。(中略)

          だからこそ、いつも「自分にやましいことはないか」と省み、仏・菩薩の心に帰ることが大切なのではないでしょうか。

           

          いつもいつも帰る心は、仏であり菩薩でありたいと思います。何か批判されたり、指摘されたりすると先に自己防衛の心が起き、自己弁護の言葉になって、言われまいという防御の鎧をまといます。するともう言ってくださる方の言葉が素直に聞けません。

          自己中心になっていないか、孤立していないか、調和を乱していないか、と正直に自分を省みることが必要です。それがなかなか難しいのですが、会長先生は難しいからこそ、日々の過ごし方が大切であり、成長があると教えてくださいます。

           

          〜恥じるところに向上がある〜

           

          神仏を仰ぎ、敬い、神仏と向きあうときに生まれる「自分はまだまだ至らない」という慙愧の思い。それは釈尊が「恥じることを知る心は、どのような衣服よりも人を清く、美しく飾る」といわれるとおり、私たちの人間的成長に資する原動力となるのです。その意味で「仰いで天に恥じず」とは偉大なるものに少しでも近づこうとする人間性豊かな生き方といえるのです。

          神仏にも人にも自分にも、いつも誠実を胸として生きることが大切だと思います。人には礼を忘れず、当たり前のことを当たり前に行う。そして人を思いやる心を忘れなければ、やましいことのない晴れやかな心で日々を過ごすことができるのです。

          それでも道に迷いそうになることがあったら、まず人様の心を大切にしましょう。

          人は懺悔と思いやりの心の繰り返しによって、少しずつ成長していくものなのかもしれません。

           

          神仏にも人にも自分にも愧じない生き方、そのためには、謙虚であること、目の前の人の言葉に耳を傾け、思いを寄せ、当たり前のことを当たり前に行っていくことだと思います。

          そして、迷った時は、人様の心を大切にしていただろうか、思いを汲んでいただろうかと、立ち止まり、反省し、少しずつでも成長していきたいと思います。

          支部長のお役を頂いて、あっという間に一年が過ぎました。これで良いのか?大丈夫か?と迷っている私にとって「仰いで天に愧じず」は、一生忘れ得ないお言葉となりました。

          開祖さま生誕110年の年の終わりに、仏さま、開祖さま会長先生の教えを胸に、澄み切った空を見上げて、開祖さまのお示しくださった道を皆さんと共に歩ませて頂きたいと思います。来年も皆様にとって素晴らしい年でありますように。よろしくお願いいたします。 
                                    合掌
                                大津支部 支部長
                                 (会長先生ご法話  佼成12月号より引用) 

          11 月「会長先生ご法話」に寄せて

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            11 月「会長先生ご法話」に寄せて

            笑顔が幸せをつくる
            開祖さま生誕会、七五三参りを迎える11月、木々の葉も色付き始め日ごとに秋の深まりを感じます。
             
            開祖さま生誕110年を迎える今月に、開祖さまのような素敵な笑顔のわたしになれるようなご法話を会長先生よりプレゼントして頂けたと思わせて頂きます。
             
            11 月の会長先生のご法話は
                   「笑顔が幸せをつくる」 です。
             
            【笑顔も精進のひとつ】
             
            開祖さまのいつもニコニコしている秘訣について、 我の鎧兜を捨てて裸になる、つまり正直になると、気持ちが楽になります。そうなれば、どのような時も笑顔でいられる?― と教えて頂きました。
            私が嬉しい時楽しい時は笑顔になれますが、思い通りにならない事が起きたり、苦手な事にぶつかった時、笑顔をすっかり忘れてしまっています。
             
            開祖さまにとっては「ニコニコ顔」もまたひとつの精進であり、それがやがてほんとうの笑顔に昇華されていったということでしょう。見方を変えれば、それは辛いできごとをすぐに笑顔の種に変えることができる信仰であり、そこに幸せがあることを身で示してくださったともいえます。
             
            二人の子どもを授かり主人と共に子育てをさせて頂き、教会では婦人部長のお役をさせてもらう中で、自分ひとりで頑張ろうと我を張っている時、心は辛くなりますが、日頃より教会長さんより「話すは離す(放す)」と教えて頂くように、法座で話す。周りの人に相談したり、お願いをさせてもらうことで、仏さまの智慧を頂け自分の周りには助けてくれる人が沢山いることに気付きます。そしてたくさんの人の優しさやお陰さまを観じることができ、感謝の気持ちが沸き起こってきます。
             
            【みんなのための笑顔】
             
            滋賀教会の元気な子供さんたちの無邪気な笑顔も周りの人たちを笑顔にしてくれる菩薩の笑顔で、とても癒され心が和みます。教会のハロウィンパーティーに少年部の子がお友達を誘って参加してくれる姿、また初めて会った子がすぐに打ち解け仲良くなる姿を見て、自然に布教の出来る素晴らしさを感じ見習わせてもらいたいと思いました。
             
            笑顔は、自分が幸せになる精進のひとつであると同時に、みんなの幸せを願うところに生まれるものであります。
             
            構えず自然に、真心を込めて大事なことを伝えられる私になる為、周りの人に喜んで頂ける「みんなのための笑顔」を実践させて頂きます。一人で居ては笑顔も生まれませんが、家族が居てくれるお陰さま、お役のお陰さまで日々たくさんの人に出逢い笑顔になれる毎日です。ご縁のある人との出逢いを大切に触れ合わせて頂き、共にみんなの幸せを願って開祖さま譲りの笑顔の実践をさせて頂きます。
                                        合掌   
              婦人部長

                                    
            (会長先生ご法話  佼成 11 月号より引用)

            10月「会長先生ご法話」に寄せて

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              秋も深まる月を迎えました。先月、十五夜の中秋の名月を見上げて、空の月あかりを感じて頂けましたか?

              つい私も写真を撮って、秋の夜空を見上げる機会を頂けました。

              味覚の秋ともいい、五感を一杯感じて過ごさせて頂きたいと思います。


              今月の会長先生のご法話は「祈りの先に・・・・・・」です。


              --祈りとは--

              古い川柳に「神仏に手前勝手を申し上げ」とあるくらい、人はいつの時代も、神さまや仏さまに願いをかなえてほしいと祈ってきたようです。

              かつて開祖さまは、「信仰というと、苦からの救われや願望成就を願って神仏に祈ることと考えられがちです」と述べたうえで、「神仏に祈るだけでなく、仏法すなわち真理に随順した生き方を目ざす」のが信仰と明言しています。


              私もお正月に神社仏
              閣にお参りにいくと、神さま、仏さまに家族の健康家内安全など手を合わせ祈っております。病気になると祈らずにおれない心境になり、どんな所にいても、心から念じる気持ちがわいてきます。


              仏法を信じて身につけ、自分が仏になる、自分が仏であることに気づく・・・。仏教の信仰はその方向にあるということです。そもそも、自分が仏であると気づけば、神仏やほかのだれかの力を恃み、「救ってください」と祈ることはなくなります。それが、自灯明、法灯明の教えに基づいて生きていく仏道というものであります。


              私は以前、8人という大家族で住んでいる時、自ら手を合わさずにいられない心境で、親から進められ、この教えに一歩踏み込みました。

              信仰によって心境が変わり、心境が変わることで、自分の日常の生活をいかに正していくこと、又新しい家族が増えて、縁となる私が正しい道を歩んで行くことが、大事な事なのだと考えさせられました。


              --信仰を深める契機に--


              私たちは、祈願の先にある大事なことを、つねに忘れてはならないと思います。その大事なこととは、「生老病死は人生につきものである。だからこといま生きていることの有り難さに気づいてほしい」という仏の願いです。苦から抜けだしたいと祈る人に、私たちはたとえば「法座に座ってみませんか」「祈願供養をしましょう」とお伝えし、ときには同じ悩みに苦しむ人のもとを一緒に訪ね歩いたりもします。それらはすべて、いま申しあげたこと、つまり仏の願いに気づくための、いわば方便です。


              私は、お役をちょうだいして、手どり、法座修行の中で、縁を頂き、人を思い、自分を振り返ることを教えて頂きました。そして、朝・夕のご供養で朝は誓願・昼は精進・夜は感謝と反省を繰り返す、おかげさまで、自分中心な私でも、少しずつ「まず人様」という、周りへの感謝の心が出来るようになりました。

              また、思いどおりいかないことに腹を立てない様に暮らさせて頂く様になりました。いつまでも、今、何が大切かを気づかせて頂ける様、日々過ごしていきたいと思います。

                                           合掌
                                                               竜王支部 支部長
                               (会長先生ご法話 佼成10月号より引用)


              9月「会長先生ご法話」に寄せて

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                 今年の八月は猛暑日がつづき、早く涼しくなるのを待ちこがれて
                おられる方も多いのではないのでしょうか。せみの鳴き声も「ミー
                ンミーン」から「ツクツクボーシ」へと、夜には虫の声が聞こえて
                きます。夜空を見上げると月の美しさに目をひかれます。月ごよみ
                では九月を長月(ながづき)といいます。
                由来は夜がしだいに長くなる「夜長月」が、略されたといわれてい
                ます。
                今月は「老いの輝き」という会長先生のご法話を頂戴し、そのテー
                マを持って充実した日々を過ごさせて頂きたいと思わせて頂きます。

                  老いの輝き
                   ―本来の面目―

                いま日本には、後期高齢者と呼ばれる七十五歳以上の人が千六百四
                十一万人いるそうです。私もそのうちの一人ですが、この後期高齢
                者の「後期」という言葉に「光」と「輝(く)」の二文字をあてて
                「光輝高齢者」と書いた素敵な書面をいただいたことがあります。
                七十五歳をすぎて、ますます光り輝くー高齢者が元気に活躍するイ
                メージが伝わり、気持ちが明るくなります。
                「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 涼しかりけり」。
                道元禅師の有名な歌です。この歌は、春夏秋冬のそれぞれが、あり
                のままに独自の輝きを放っていることを伝えています。すべてが天
                地自然のはたらきであり、それぞれがすばらしいということでしょう。
                つまり、元気に活躍することもさることながら、自分がいまあるこ
                とそのものに目を向け、そこに映る輝きや有り難さに気づいている
                人こそ、ほんとうの意味で光り輝く高齢者というのではないかと思
                うのです。

                 滋賀教会の六十五才以上の法輪クラブの方々を拝見していますと
                年齢を間違っておられるのではと思うぐらいのパワーを感じさせて
                頂きます。震災の募金をされた時もバザーを開催され、バザーの出
                品物はすべて手作りの物をそろえられます。それぞれ得手とされる

                方々から、バザーの時には沢山の手作り品が揃えられて、真心のこ
                もった募金活動に法輪クラブが、ひとつになって取り組まれています。
                そのような、すばらしいお姿をお手本にさせて頂き継承させて頂きた
                いと思わせて頂きました。
                 

                  菩薩の輝き
                老いには、ほかの世代にはない輝きがある一方で、つらいと思わせら
                れる現実があることも否定できません。当人のみならず、高齢の家族
                の介護をされている人からすれば、人にはいえない苦労や複雑な思い
                を抱え、愚痴をこぼしながら、それでも「元気になってほしい」と願
                う。そういうあなたの深い思いやりの心を呼び覚ましてくれたのは、
                間違いなく介護を必要とするその家族です。だとすると、介護をする
                人の慈悲心に灯をともすきっかけとなった家族の姿こそ、光輝いてい
                ると形容するにふさわしいと私は思います。
                たとえ寝たきりの人であっても、光り輝く菩薩として、まわりにいる
                人たちの心田を耕す犂となり、鍬となっていることを忘れてはならな
                いのです。開祖さまは、「自分が生きていることがそのまま布施になる
                ような人生を送りたい」といわれましたが、私たちには、生きる姿を
                とおしてさせていただける布施もあるのです。教会道場で学んだ仏さ
                まの教えを家庭や社会で発揮する。それが一人ひとりの生きがいとな
                り、周囲からも喜ばれる。
                道場で見られるそのような光り輝く高齢者は、きっと若い世代の方々
                の目標となり、地域においても大切な役割を果たすのではないでしょ
                うか。

                 
                信者さんの中にも自宅で介護されている方や施設に預かって頂いて
                いる方もいらっしゃいます。私の実家では母が祖父を介護をしていた
                時、母の大変さを見ていながら母を手伝ってあげる事もなく、側に寄
                る事もしなかった事を思い出し、今は祖父と母に対して申し訳なく思
                っています。ご法話の中に、「教会道場で学んだ仏さまの教えを家庭や
                社会で発揮する」とのお言葉の中で、私が祖父や母にかけられなかった
                、やさしい、温かい言葉をふれ合う方々にかけられる私になれるよう、
                精進させて頂きます。

                 
                                    
                 合掌
                                  東近江支部 支部長

                               (会長先生ご法話 佼成9月号より引用)


                8月「会長先生ご法話」に寄せて

                0
                   7月下旬に梅雨も明け、いよいよ8月に入り、夏本番を迎えます。
                  7月の会長先生のご法話で、“人を育てるとは、すべてを尊い出会い
                  にして学んで帰ってくる。”と学ばせて頂きました。私自身、多くの
                  方とのご縁の中で、謙虚さを大切にし、自省しつつ、自分磨きの有難
                  い機会と受けとめ精進させていただきました。

                  8
                  月の会長先生のご法話は
                   「まず 自分から」です。

                   時々、行動・実践は出来るのに、相手を許せる心になれなかったり、
                  優しい言葉を掛けられなかったり、まあ〜良いかと、見過ごすことも
                  あり、そのような自分にふさわしく、温かく、包容力を身につけさせ
                  て戴けるようなテーマを頂戴いたしました。

                   【楽しく、自然に】

                   気づいたら、まず自分から――ゴミ拾いに限らず、それは気持ち
                  のいい日常生活をおくる手立ての一つです。
                  そこで大事なのは、その行ないが自然な心のはたらきであること、
                  そして実践する自分がそれを楽しいと感じることだと思います。

                   大自然が無償の恩恵を注ぐように、困っている人がいたら自然に
                  手を差しのべ、汚れている場所があれば率先してきれいにする。そ
                  してそれが楽しいという以外、何もとらわれるものがない。仏の

                  戯三昧(ゆげざんまい)にも似たそういう心であることが、「まず自分
                  から」の実践ということになるでしょうか。
                  と結んでおられます。

                   仏の遊戯三昧とは、どういう境遇にあっても、その境遇にしばられ
                  ない、自由自在な心境を持ち続けるよう一心に努力することです。と
                  あります。
                  道場当番もまさに自然な心のはたらきで、楽しいと感じている私たち
                  ではないでしょうか。トイレ・玄関の掃除・外回り・ゴミ出し、当た
                  り前の修行も、功徳をつみながら参拝してくださる会員、地域の方々
                  に喜んで頂けるよう、楽しくコツコツとさせて頂いていることも「ま
                  ず自分から」の実践になりますね。先日5人の豆菩薩さまが雑巾と窓
                  ふきスプレーを持って、「おばちゃんもうふくとこない?」と、
                  “掃除させられている”ではなく、喜んで、楽しく、また自然に
                  “修行されている”姿に合掌させて頂きました。


                   
                  一人ひとりの慈悲心から

                   この春、熊本県を中心に大きな地震が発生しました。ご自身も被災
                  して生活が困難であるにもかかわらず、サンガの安否を気遣い、奔走
                  された本会の信者さんが大勢いたと聞きます。

                  「自分がなぜ寝食も忘れてそうするのか、自分でもわからない」と語
                  っておられたそうです。「仏は慈悲して慈悲を知らず」という言葉が
                  ありますが、自らの心に突き動かされ、そうせずにはいられない。
                  だから、けっして苦しいともつらいとも感じず、むしろそのご縁を喜
                  びと受けとめて走り回っておられる様子が目に浮かびます。

                  そのような菩薩は、もちろん本会の信者さんだけに限らないでしょう。
                  「まず自分から」と率先躬行(そっせんきゅうこう)し、あるいは
                  「まず人さま」と心を砕き、まさに心の命じるまま、とらわれること
                  なく、喜びを持って救いに奔走されたみなさんの、こうした話しをう
                  かがうと、一人ひとりの思いやりが実践にうつされたとき、そこに
                  どれほど大きな安心が生まれるのかをあらためて教えられた思いが
                  します。

                  また平和という意味では、積極的な行動だけがそのための「実践」では
                  なく、批判したくなるような人や許し難い人を包容していくこと、そう
                  いう意識の変革も、私たちの大切な実践行ではないでしょうか。

                   今月は、「まず自分から」と行動を起こし、許し難い人をも受け入れ、
                  心の声を聞き、そして一人ひとりの慈悲心が平和な家庭を築いて行くと、
                  教えて頂きました。実践し行動する中で、相手を思いやり、温かい言葉
                  を掛けていけるよう実践させて頂きます。

                                     合掌
                                   湖北支部 支部長

                              (会長先生ご法話  佼成8月号より引用)

                  7月「会長先生ご法話」に寄せて

                  0

                    夏のお見舞い申しあげます。みなさま、お変わりございませんか?
                    いよいよ梅雨が明け、初夏の訪れを?旬?のものに触れ感じます。
                    年中味合える改良がされた今日であっても、胡瓜に茄子、アスパラガス、トマト、サクランボ、スイカ、アナゴやハモ、浴衣などに出合うと、私の五感、五根ともいいますが、(目、耳、舌、鼻、皮膚)が?あ〜暑い夏がそこまできているなぁ?と日頃以上に元気が出てきます。
                    さて、今月も私たちが、よりよく生きるための?生活のあり方?を会長先生のご法話から学ばせていただきます。

                    「人を育てる」


                    〜自分を磨く〜


                    いつの世においても、人間社会の課題の一つとして教育や人材育成のむずかしさが挙げられます。


                    では、人を育てる立場の人は「何のために」そして「だれのために」人を育てるのでしょう。

                    見た目には相手のため、そして組織や集団のためなのでしょうが、私は一義的に、自分を磨くためのよい機会が人を育てることであり、教育とは相手の縁にふれて自分も共に育つことだと思います。そのように受けとめると、相手に対して過剰な期待をしたり、性急に成果を求めたりすることがなくなります。

                    むしろ、うまくいかないときほど

                    「このご縁は、私になにを教えてくれているのだろう」と自省をうながしてくれます。


                    つまり、教えるより先に自分を磨くこと、それが人を育てる最短の道だというのです。


                    会長先生は、人に教えるより先ず?自分磨き?とご指導くださいました。

                    庭野日敬説法集の中にも⇒「己を磨くとは心を浄めること」と教えていただいております。以前、二十歳も過ぎた息子に、いつまでも茶の間で寝ていることを注意すると?お母さん、僕に言うより自分がしてるで?とピシャリと言われた事がありました。言ってもらって気づく私です。「相手は自分を映す鏡です。」ともいわれるが如く、茶の間で夕飯の片付けを終え、お風呂に入る前の長時間ゴロンと寝るだらしない姿を改めた次第です。息子も同じく少し改めてくれる事となり真に会長先生の「相手の縁にふれて自分も共に育つ」というよい機会(チャンス)をいただいたことを思い出しました。


                    〜人に教えることはできない〜


                    子育てでも組織の人材育成においても、どういう人を育てることを目的とするのかといえば、私は「慈悲心のある人」の一語に尽きると思います。

                    人と調和できる人、いつでも思いやりをわすれない人といえるでしょう。

                    では、そういう人をいかにして育てるのかを先の話と重ねあわせて考えてみると、「相手と縁を結ぶ自分がそのような人になる」それが一番の近道ということになります。

                    道歌に「よき人を見ればわが身も磨かれて鏡に向かう心地こそすれ」あるとおりです。


                    ほめたり、激励したりしながら、その人のもてる力が最大限に発揮されるような縁になることが「人を育てる」ということになります。

                    人を育てる立場の人は、そうした意味でも「自分はまだ至らない、足りない」との謙虚さが大切です。

                    そこで私は、たとえば外出するとき「行ってきます」ではなく「行ってまいります」と申します。

                    「行って」「参る」− すべてを尊い出会いにして、学んで帰ってくる。その繰り返しが自分を磨く習慣となり、自他の胸に慈悲の心を育むことになると思うからです。


                    自分の行動を振り返り謙虚さの足りない私だったと思い至りました。前文の私の五感(五根)でもって相手を直してあげなければいけない。いわば変える事を強いていた様に思います。

                    会長先生は仏性礼拝行のお手本を毎日の生活の中から「行って参ります」と教えて下さいました。私も今日から「行って参ります」の?1つの行?を通して謙虚さをもって慈悲心のある自分磨きの修行をして参ります。鏡に何が映るのか1か月愉しむテーマがいただけました。
                    ありがとうございます。
                                       合掌
                                     近江八幡支部支部長
                                     (会長先生ご法話 佼成7月号より引用)


                    6月「会長先生ご法話」に寄せて

                    0

                       

                      田んぼの緑が日に日に濃くなり、日ごと暑さが増してくる季節に

                      なってきましたね。

                      私は生まれ月が7月ということもあり、これからの季節が私は、

                      とても大好きです。


                      さて、今月の会長先生のご法話は


                         「和合の秘訣」です。


                       秘訣とは辞書で引くと、人には知られていない、最も効果的な方法、

                      とっておきの手段とかかれてます。和合の秘訣 とてもわくわくすると同時に、

                      今まさに
                      家庭・社会(職場)で、更に国家、世界の平和にとても大切なこと、

                      一字一句をしっかり拝読しました。


                         【互いに敬い、礼をもって】


                       二つの仏典を引用されご法話頂きました。



                      仏典に「教団を栄えさせる七つの原則」という教えがあります。

                      「一、しばしば相集まって教えを語り合い 二、互いに相和して敬い

                      三、教えをあがめ尊んで、みだりにこれをあらためず 

                      四、長幼相交わるとき礼をもってし 

                      五、心を守って正直と敬いを旨とし 六、
                      閑かなところにあって行ないを清め、

                      人を先にし、自分を後にして道に従い 七、人びとを愛し、来るものを厚くもてなして、

                      病めるものは大事に看護する。この七つを守れば教団は衰えない」



                       仏教では、同信の仲間をサンガといいます。仏教の信者や

                      その集まりを意味するインド
                      の言葉ですが、日本語ではこれを和合衆と訳します。

                      和合、すなわち和らぎ睦みあう仲間のことです。 


                      和合する仲間
                      この見方を少し広げると、本来は地域全体がサンガであり、

                      この七つの原則は、私たちが日常いかに和を築くかを教えていると

                      受けとることができます。
                       「教え」の部分をさまざまに読み替えれば、

                      家庭、社会、国のいずれにおいても、
                      みんなが穏やかになり、平和に暮らすための

                      教えといえるのではないでしょうか。



                      さらに詳しく


                      「互いに相和して敬い」や「長幼相交わるとき礼をもってし」は

                      生活の基本といえますし、
                      「人を先にし、自分を後にして」「来るものを厚くもてなして、

                      病めるものは大事に看護する」は、慈悲心に基づく思いやりの実践そのもの

                      と教えて頂いてます。


                      そして、もうひとつの仏典は
                      教団和合の六つの原則」


                      「一、慈悲の言葉を語り 二、慈悲の行ないをなし 三、慈悲の意を守り 

                      四、得たものは互いに分かちあい 五、清らかな戒めを保ち 

                      六、互いに正しい見方ををもつ」


                       ここにも大切なことが教えられていますが、ではこの教えをわが身にあてはめて、

                      何をどうすることが和合をもたらすのかを考えてみましょう。
                      と投げかけて頂きました。




                       私の仕事はサービス業で、毎日100名以上のお客さんと

                      触れさせて頂いております。まさしく、今月のご法話は私のために、

                      「会社を栄えさせる七つの原則」を教えて頂きました。

                      スタッフにはお客様第一、(昔こんな言葉がはやりました、お客様は神様です)

                      そんな気持ちで接するように伝えておりますが、中には、アルコールが入ると、

                      180度変わるお客様もいて、正直、私自身も堪忍袋の緒が

                      切れそうになることもあります。まさに、「互いに相和して敬い」・

                      「長幼相交わるとき礼をもってし」を、実践する場を与えて頂いてます。

                      教えを学んでいなかったら、その立場にいなかったら、

                      お客様とは思えない行動をとっているなと、しばしば思います。

                      どんなお客様にも、敬い・礼をもって接する事が、必ず会社を栄えさせる。

                      その「原則」を教えて頂きました。でも、頭でわかっていても、

                      なかなか、実践できないのですが、次の章で秘訣を学びました。




                         【慈悲の実践が和をもたらす】



                       
                      友もなく、僧房に独り病み臥す弟子を見かけ、

                      釈尊が看護の手を差しのべられた話が残されています。

                      釈尊は「私があなたの友になろう」と声をかけ、

                      汚物にまみれた体を清めて、手当てし摩り、洗いたての衣に着替えさせたうえ、

                      部屋の掃除までして、体と心に安楽を与えたといいます、


                       この釈尊の行動からは、先の「六原則」にある慈悲の言葉、

                      行ない、心のすべてが感じとれます。衣を分け与え、

                      ともに修行するサンガは平等であることも示されています。

                      またこの弟子は、友が困っていても助けないなど、

                      それまで自己中心に生きてきたため「独り病み臥す」

                      身の上に至ったのですが、釈尊はそうした先入観にとらわれず、

                      あたたかくふれあったのです。その結果、弟子は「善心を生じ」

                      真の和合衆(サンガ)になったのです。

                       


                       こう見ると、和合のための六原則は、慈悲心から生まれる、

                      身口意三業の活動であることがわかります。慈悲の思いが、実践によって

                      人と人の心をつなぐぬくもりを生みだし、それが和合を築くということです。

                      和合の「和」には「あたたか」という意味もあるのです。

                      つまり、一人ひとりのあたたかな思いやりが、家庭・地域社会・さらには

                      国や世界の和へとつながっていきます。国のこと、地域全体のことは

                      政治の問題と思いがちですが、論語によると「自分を正し、家を斉えることも政である」

                      とあり、和合は私たち一人ひとりの心から
                      生まれていくのです。


                       では、なぜ和合が大切なのか
                      それは、宇宙・人生の一切は大和から

                      成り立っていることからもわかるように、自他の命を尊重する最善、最良の手立てが

                      和合にほかならないからです。



                       
                      和合のための秘訣は、慈悲心から生まれる。身口意三業の実践であると

                      教えて頂きました。先ほどの酔っ払ったお客様が、もし自分の身内だったら、

                      あるいは、愛する彼氏だったら、おそらく先に身体の心配をするでしょうし、

                      あたたかい言葉をかけるだろうと思います。それが、自分に関係ない他人だと、

                      暴言を吐いたりすると腹が立ってしまうのである。


                       でも、他人だと思っている人も、何代か前は親戚だとわかると、あたたかい言葉を

                      かけられるに違いありません。釈尊がとられた行動、慈悲心から生まれた

                      「六原則」を大切に、家庭、職場で、まず私が、人と人との心をつなぐぬくもりを実践、

                      精進してまいります。



                                                       合掌

                                                     滋賀教会 渉外部長

                                           (会長先生ご法話 佼成6月より引用)



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