6月「会長先生ご法話」に寄せて

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     もうすぐ梅雨の季節ですね。雨が大好きなお庭の紫陽花みたいに“生き生き”と雨の恵みに感謝して過ごしていきたいと思います。

     

     今月は会長先生より『踏みとどまる』とご法話を頂きました。

     

    ○まず、ひと呼吸

    「八正道」の二つめにあげられる「正思」は、「貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)を離れ、仏さまのような大きな心で考える」ということです。それを生活に即していえば、感情や衝動に駆られそうになったら、まず「ひと呼吸」入れて踏みとどまる、というところに、実践の入り口があるのではないでしょうか。

    (佼成6月号より引用)

     

     私は婦人部長のお役を頂いて5年目を迎えます。信仰がなければ今の私は無かったと思うほど、滋賀教会でのお役の経験と、たくさんの人との出会いが私を成長させてくれています。

    自分中心の固い考え方や狭い視野を広げて、仏さまのような広い心に少しでも近付きたいと思っています。もちろん欲や怒り・自己中心の心が起こりかかる時もありますが、ここでまず、“ひと呼吸”入れて、自分以外の人さま、家族のことを思って動かせてもらえている時、自然と欲の心を離れて思いやりの心・優しい言葉でふれ合えていることに気付き、心があたたかく嬉しくなります。

       注釈:貪(とん)=貪欲<欲ばり>・瞋(じん)=瞋恚<怒り>・痴(ち)=愚痴<自己中心の愚かさ>

     

    〇思いやりの心で

     欲ばる心、怒りの心、他を蔑(ないがし)ろにする心のないのが「正思=正しく考える」ということですが、それは「分けあう心」「あたたかく接する心」「いたわる心」で考える、と言い換えることができます。そして、それをひとことでいえば「思いやり」にほかなりません。つまり、ここでいう「正しく」とは「思いやりの心で」ということになります。

    佼成6月号より引用)

     

     今年度は子供会の役員をさせて頂き、新たな出会いの多い年となりました。「地域のみなさんに喜んで頂けるように、協力して頑張らせてもらいたい」という思いでスタートしました。その中で、一緒に役員をさせてもらうお母さん方がとても親切で優しく、各々の得意なことを生かして助けて頂いて、本当に有難いです。話し合いや行事の準備の時も和気あいあいとした雰囲気で、明るく・前向きに取り組まれる姿勢からたくさん学ばせて頂いています。

    また、子供たちが安全に登下校することが出来るのも、地域の方々・ボランティアのスクールガードさん方が、毎日あたたかく“思いやりの心で”見守って下さっているからこそです。

     

     どの場にいても、たくさんの「おかげさま」を見つけて、家族や周りの人にたくさんの「ありがとうございます💛」を伝えていけるよう、相手の良い所を見つけてほめていくことを心がけています。

    平成30年度、会長先生・光弔気泙茲蝓崟砲靴澆覆つながる」とご指導を頂いています。人とつながることは勇気のいることですが、相手から学び、目の前の人を大切に笑顔でふれ合わせて頂きます。

     

     

    合掌

       滋賀教会  婦人部長

     (会長先生ご法話  佼成6月号より引用)

    当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。

     


    5月 「会長先生ご法話」に寄せて

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      新緑がまばゆい季節になりました。付近の田んぼも水が張り早苗が植わるのを待っているようにみえます。5月号は会長先生より「楽しく生きる」と、ご法話をいただきました。

       

      『楽しく生きる』

       

      〇どちらが楽しいか

       

      少し前の話になりますが(中略)「人がせっかく寒修行をしているのに、どうしてこんなに雪が降るんだ!」。早朝に家を出て、自動車やバス、電車で参拝する人にとって雪は困りものですから、グチが出るのも当然かもしれません。

       一方で、ある人はつぎのような声を耳にしています。「雪のおかげで、ほんとうに寒修行らしい修行をさせていただけて、ありがたい!」

      さて、みなさんは、どちらの見方をする人が、楽しく生きられると思いますか。私は後者に軍配が上がると思います。けっして、むずかしいことをいっているわけではありません。ただ、天地自然の変化を素直に見て、それをありのまま受けとめているところがすばらしい。しかも素直に受けとめているだけなのに、自分にもまわりの人にも、寒さや眠気を吹き飛ばすように感じさせるのはなぜなのでしょう。それは、ものごとを「正見」で見るか、どうか、その違いだと思うのです。

      (佼成 5月号より引用)

       

       私も寒修行の思い出があります。初日から休まずに参拝してきて最終日を迎えました。玄関を開いてビックリ!大雪です。車は雪に埋没してます。妻は「電車で行こう!」と後ろ向きな私を引っ張ります。そんな訳で車は乗ることはできませんが、妻の勢いに乗って参拝できました。寒修行後の帰りの電車は更なる積雪で途中で止まってしまいましたが、なぜかとてもさわやかで有り難い最終日となりました。あと押ししてくれた妻に感謝しました。

       

      〇「中道(かたよらない)」が大事

       

      天地自然のはたらきを素直に見る―それが「正見」ではないでしょうか。「正見」はまた、邪な見方や偏った見方、つまり自己中心の見方で見ると、不平や不満、あるいは怒りを覚えることも、大らかに受けとめることで、その結果、気持ちが楽になる見方ともいえます。仏知見とか諸法の実相を見極めるというと確かに難解ですが、雪の日の例のような見方(智慧)は、みなさんの日常でも、自然にはたらいているはずです。また最近、心臓の手術を終えて退院された方が、「これまでは、心臓が動いていることに感謝したことなどありませんでした。でも、それは当たり前ではなかったんですね」と、しみじみ話してくれました。「ああ、これが正見なのだな」と、そのとき私は教えられた思いがしました。

      (佼成 5月号より引用)

       

       私たちは今、全会員を対象にした「会員教育」を学んでいます。その教育の中で、人生には様々な出来事が起こりますが、その受け止め方の大切さを教わりました。「苦しかったり辛かったりした出来事、それによって生じた感情、そして今、思えば(お蔭さまで)と考えていけば、本来マイナスの出来事などないのです」と学び、とても勇気づけられています。

       私も自営業を廃業しなければならなくなったとき、残った借金のことや、これから先の不安等で頭の中がいっぱいになり、とても前向きにはなれませんでした。廃業イコール悪い出来事と印で押したような捉え方をしていました。教えのように正しい見方へ私の硬いスイッチを押してみると、夫婦、家族の絆が強くなっていたり、お金や物の大切さも身に染みてわかりました。今まで見えていなかったものも見えてきました。教会長さんは「正見の正の字は一つ止まってと見てとれます。間を入れることで物事を正しく見ていきましょう」と教えてくださっています。日常の出来事をおかげ様と感謝で見ていけるようになりたいと思います。

       

      合掌

      滋賀教会 渉外副責任

      (会長先生ご法話  佼成5月号より引用)

      当月の会長先生のご法話は  こちら からご覧いただけます。


      4月 「会長先生ご法話」に寄せて

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        4月1日は滋賀教会発足54周年を迎えます。
        この一年を大事に、来年の発足55周年を 明るく やさしく あたたかい心で 迎えたいと思います。
        4月号で会長先生より「円満な人になる」 とご法話をいただきました。
         
         
         『円満な人になる』  
         
        〇あいさつ一つで
          
        ある職場に、 朝のあいさつをとてもていねいにする人がいたそうです。 しっかりと相手の顔を見て、「おはようございます」 といいながら、頭をゆっくり下げる。それだけのことなのですが、 慌ただしい朝の空気のなかで、 ていねいすぎるその姿勢を煩わしく思う同僚もいたといいます。
        ところが、しばらくすると職場の雰囲気が変わってきました。 それまで、すれ違いざまに「おはよう」と言い交わしていた人たち も、 それぞれが相手としっかり向きあってあいさつをするようになり、 やがて職場の空気が和らいできたというのです。
        円満とは、人格が「十分に満ち足りて、欠点や不足のないこと」 です。ですから「円満な人になる」といえば、 いわば人間の理想に近づくことで、 仏教徒にとっては仏さまのような人になることを意味します。 しかし、だからといって遠い目標ということではないと思います。
        人に安心や満足を与え、そのことをとおして、相手に「 人と仲よくしたい」という気持ちを発さしめたり、 その場に調和をもたらしたりするのが仏・ 菩薩のはたらきと受けとれば、 朝のあいさつ一つで人の心を動かし、 職場に和らぎをもたらした人は、まさに円満な人そのものです。 足りないところの多い私たちですが、だれもがみな、 仏性を具えていることの証ともいえましょう。そしてこの春、 新たな出会いを円満な人間関係にする決め手も、 あいさつをとおして相手の仏性を拝むことにあるといえるかもしれ ません。   (佼成 4月号より引用)
         
        相手の顔を見てあいさつをする、 簡単な様で私はなかなかできませんでした。 照れてしまうのかもしれません。今、朝食を作っていても、手を止 めて・目を見て、 起きてくる主人にあいさつする努力をしています。 主人からは返ってこない時もありますが、 させていただいた私はすがすがしくなっています。
        教会長さんから教えて頂きました、「おはよう」 のあいさつの後に一言つけ加えること
        「おはよう このあいだ豚汁作るの手伝ってくれてありがとう とってもうれしかったよ」
        「おはよう 今日の髪型とってもステキだよ」
        と、一言つけ加えることで、 相手のよいところの発見ができた私があたたかくなってきました。
         
         
        〇悲しみを知る人に
           
        人間の本質が仏性であり、人格円満であることを示す話は、 ほかにも数多く見られます。
        江戸時代、現在の奈良県吉野に暮らした清九郎という妙好人( 浄土真宗の篤信者)は、留守宅にあったお金を盗まれたとき、 こういったそうです。「私のような者の家に盗みに入るその方は、 よほど困っていたのでしょう。 たまたま我が家にもお金があったのでその人も得るものがあり、 うれしく思います」と。そして、「私はいま、仏の慈悲に導かれて ”盗まれる身” にさせてもらい、これほどうれしいことはありません」 と語ったというのです。
        同じく妙好人といわれる大阪の物種吉兵衛さんは、「 よいときばかり喜ぶのならだれでも喜ぶ。 どのような難儀なことに遭うても、 その難儀の底にかかってある仏法や」と、困難が教えてくれる「 感謝の種」に気づける喜びこそ信仰の醍醐味であり、 真骨頂であることを伝えています。
        こういう方々の心には、み仏に生かされていることへの感謝と、 人に対する慈悲、思いやりがあるばかりです。円満とは、人格が「 満ち足りて、不足がないこと」の意で、それはまた、なにごとも「 ありがたい」 と感謝で受けとめられる温かな充足感そのものといえます。
        ところで、先の清九郎さんは父親を早くに亡くし、 母親との貧しい暮らしのなかで出会った妻とも、 三十三歳のときに死別しています。悲しみや辛さを、 とことん味わったからこそわかる、人の心の痛み。 そこからわき出る慈悲の思いが、 おのずから人を救う智慧を発さしめたのでしょう。
        評論家の亀井勝一郎さんは、柔和な微笑で知られる奈良・ 中宮寺の菩薩半跏像の、その口もとに湛えた笑みを、 嘆きや悲しみによってこみ上げる「慟哭と一つなのかもしれない」 と綴っています。菩薩の心の奥には七転八倒の苦悩があり、 言葉に尽くせない思いがあるというのです。
        「非智円満」という言葉があります。釈尊も、そして私たちも、 慈悲と智慧をあますことなく発揮するためにこの世に願って生まれ てきたといわれています。  (佼成 4月号より引用) 
         
        「困難が教えてくれる”感謝の種” に気づける喜びが信仰の醍醐味であり真骨頂である」 と教えて頂きました。
        いま、私の母は九十五歳を迎え、少しずつ体もおとろえていき、 一年前ぐらいから動けなくなり寝たきりになっています。 認知もはじまり、言葉も発せられないのですが「誰かわかるか?」 と聞くと「うん」と首をふります。「ごはんおいしい?」・・・「 うん」と首をふります。
        見舞いに行く私たちを喜ばせようと一生懸命努力している姿が愛おしくかわいくみえます。
        母の生きざまを思い返してみますと、苦労・苦労の毎日でした。 洋裁の仕事をしていた母は農家に嫁ぎ、牛を飼っていたので、 雨の日もカンカン照りの日も牛のために草刈りに行っていました。 子供にお乳を飲ませに帰っても「いつまで飲ませてるんや」 と叱られたり・・・
        嫁として母として台所に立つこともなく、 ひたすら外へ出ての作業でした。姑はきびしく、 自分の思い通りにしたい人でした。家の中のことも自由にならず、 耐えるばかりの母でした。
        私が高校生の頃から、母と私の合言葉「やさしい、 おとなしいおばあちゃんになろうな。 されてきたことはしないでいようね。」と。
        晩年の母は穏やかに畑仕事を楽しみにすごしてきました。しかし、長女と一緒に住み、 おこられてばかりの母の姿を見て、 私は姉を責める心がわいてきました。でも、教えにふれた私は、 姉を責めるのではなく、 感謝させていただくことなんだと思えるようになりました。 姉もおこりたくておこってないんだ、姉のつらさが理解できた時、 姉の優しい部分が見えてきました。
        一番母のことを心配してくれているのは姉なんだと。
        今は毎日、母を看に行ってくれてます。
        なにもなく、穏やかに生活していたら、“してもらってあたりまえ ・できなければあなたのせい” と、自分を見つめることもなかったのではないでしょうか。 母の辛さがわかったから、「おだやかに生きたい」 と願う私にならせていただいたのだと思います。
        今はとっても穏やかな顔をしている母、 姉妹の仲の良さを見て安心してほしいなと願っています。
        年を重ねるごとに円満になっていきたいと思います。
                                              合掌 
                滋賀教会  少年部長
          
         ( 会長先生ご法話  佼成 月号より引用) 
         
        当月の会長先生のご法話は こちら からご覧いただけます。

        3月「会長先生ご法話」に寄せて

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           3月5日、教団創立80周年を迎え、さらに100周年に向かうこの月に、ブログの担当を頂き、ありがとうございます。
           4年に一度の冬のオリンピック、平昌オリンピックを観ながら、日本選手のがんばりに感動と元気をもらい、私は今、白内障の手術を終え、病室のベッドでこのブログの原稿を書いています。 Good なタイミングでお手配を頂きました。
           
          教団創立八十周年を迎えて
          『地域の人びとと共に、幸せに』
           
          〇多くの菩薩が住む街に
           「究極の目標は世界人類の救済にあろうとも、あくまでも身近のことをおろそかにせず、まず目の前の一人を救い、おのれの家庭を調え、地域社会の浄土化へ進むという、着実な歩みも忘れてはならない」(昭和六十三年・三月号)
           創立五十周年の年に示されたこの決意を、私は、節目の年を迎えて新たな一歩を踏みだそうとするいま、あらためてかみしめています。
           以前、私は「(地域の)みんなが幸せになることによって、私たち佼成会会員の幸せもある」と申しました。「地域社会の浄土化」とは、そこに住む一人ひとりが、自分の幸せだけではなく、地域の安寧やみんなの幸せという、いわば公のことに意識を向けながら、生活の一つ一つをおろそかにしないで明るい家庭を築いているということです。現実社会という娑婆も、こうして常寂光土となるのです。
           開祖さまは、よく「地域のお役は喜んで受けなさい」ともいわれましたが、自分の住む地域のために力を尽くし、隣近所に困っている人がいれば寄り添い、悩みがあると聞けば話をよく聞かせていただく。そういう菩薩のような人がたくさん住む地域にしていくことが、みんなの幸せを願う私たちの理想ではないでしょうか。 (佼成3月号より引用)
           
           私の住んでいる地区は、50軒弱の小さな集落です。現在私は、私の両親と妻、長男夫婦、長女、三男の8人家族で暮らしています。昨今には、田舎でもめずらしい大家族です。
           私は、勤めの傍ら、6haの田んぼを仕事とお役の合間をぬってしています。
          小さな集落でもあり、住民参加型の作業や行事など昔ながらの伝統が受け継がれている、又、住民同士のつながりのある地域でもあります。
           私が結婚した頃は、長男は家を継ぐということが当たり前の時代でしたので、子ども達が大勢いたものですが、現在では、集落内に小学生までの子どもが3人のみという超高齢化が進み、平均年齢が65歳と過疎化の一途をたどっています。
           ですから、地域の役もいろいろとさせて頂いております。今では、息子も地区の役を頂き、又、休みの日には、少年少女スポーツ教室のコーチをして、明るく楽しく、活動をしています。
           両親も高齢となり、認知症が進み、パジャマのまま、フラッと外に出て歩いている父を見つけて下さり、近くの方が連れて帰ってきて下さったり、実家に帰ると言って歩いている母を連れて帰ってきて下さったりと地域の皆さまのあたたかい支えのおかげさまで、日々を送らせて頂いています。こうして、地域の皆さまがあたたかく見守って下さるのも、両親が今までコツコツと地域の皆さまと共に一生懸命生きてきた証しだと思っています。
           
          〇ぬくもりを家庭から地域へ
           窓から明るい灯がこぼれ、凍てつく夜も家のなかは笑顔とぬくもりにあふれている―そういう、だれもが帰りたくなるようなあたたかな家庭が、一軒ずつふえていくイメージです。
           そして、その最初の一軒は、みなさんのご家庭です。家族がみんな仲よく、それぞれが敬いと親愛で結ばれて、心安らいでいる。爐錣家″をそういう家庭にすることが、地域全体の幸せの始発点になるのです。
           なぜなら、地域や近所の人のことを思うみなさんの気持ちは、たとえば道の掃き掃除をするときでも、自然に隣の家の前まで掃いておこうという行動となってあらわれるからです。散歩の際には、たとえ見知らぬ人であっても、元気に「おはようございます」「こんにちは」と、自分からあいさつをすることでしょう。そうして少しずつ人と人とが和み、自他の心が耕されていくことで、共に地域を照らす仲間―菩薩もまた少しずつ生まれるのだと思います。
           また本会には、各地域に教会道場があります。信者のみなさんにとってのオアシスであるばかりでなく、どなたにとっても身心が休まる場所であることが望まれます。ただ、それには私たちが率先して地域にはたらきかけることが大切です。「出入口」という言葉が示すように、まずこちらから一歩を踏みださなければ、入ってきてはいただけないのです。そのことを踏まえ、ぜひ地域のみなさんと一つになって、街全体をオアシスのようにしていただきたいと思います。家庭の幸せを始発点として、地域のみんなが仲よく過ごすことは、大きな平和への一歩でもあるのです。(佼成3月号より引用)
           
            我が家は、それぞれが毎日忙しく過ごしていますが、夜になると一同が揃い、今日の出来事を話したりとにぎやかに食卓を囲み、明るく、楽しい生活を送っています。地域の皆さまが″いいね!″と言って下さる様な家族を目指しています。
           今年の寒修行は、雪が降り、沢山積もりました。雪をあけないと皆が仕事に行けません。寒修行にも行けません。我が家の子供達が小学生の頃は、雪が積もると集落の自警団が集落内の通学路の雪をあけるというのが習慣でした。
           今では通学をする子どももなく、そのようなことはありませんが、今年の寒修行は一日だけ、雪あけ修行をさせて頂きました。普段は自分の家の回りをあけるだけで精一杯ですが、寒修行のおかげさまで早起きをしたので、朝の5時前から自分の家、そして隣、また隣と雪あけをし、すがすがしい朝を迎えました。
           これからも、皆さんに喜んで頂けるような行いを一つ一つ真心をこめてさせて頂き、ここに住みたいな、ここに住んでいてよかったなと思ってもらえるオアシスのような地域作りに貢献していきたいと思っています。
          合掌
                  滋賀教会  壮年部長
           ( 会長先生ご法話  佼成 3 月号より引用)
          当月の会長先生のご法話は こちら からご覧いただけます。

          2月「会長先生ご法話」に寄せて

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            2月「会長先生ご法話」に寄せて

             

            新年を迎え心あらたまる1月があっという間に過ぎさり2月を迎えました。2月は節分会があり、豆まきが行われます。自分の心に邪気(鬼)の心が住みつかないように、この1年を過してまいりたいと思います。

             

            2月会長先生のご法話は「人生を厳粛なものに」です。

             

            厳粛に生きるとは

             

            「人生を厳粛なものに」というテーマですが、そもそも一人ひとりの一生は、「生まれる・老いる・病む・死ぬ」のどこをとってみても厳粛以外の何ものでもありません。意識していないだけで、私たちはみな厳粛な人生を歩んでいるのです。そうすると、そのことを明らかに知る、真理を自覚して生きることが、人生を厳粛なものにする鍵といえそうです。

             「厳粛とは、無常観に立って、いまを大切に生きること」といわれています。一日を、一時間を、そしていま目の前の一分一秒をおろそかにしないで、ていねいに暮らすことが大切なのです。

             

             私はいつも「時間を守る」ということが出来ないでいました。“何時に帰ります”と言って家を出ても、約束した時間に帰ったことがありませんでした。又、以前も「5分前行動」の実践を教えて頂いたのですが、なかなか守ることが出来ませんでした。この度、会長先生のご法話を拝読させて頂き、厳粛な人生を送るには、目の前の一分一秒を大切にすることだと学ばせて頂き、愕然としました。

             時間を守れないということは、今を大切に生きていない事だと気づくことが出来ました。今、大切な時間をいただいていることに感謝し、時間を守り、一日一日をていねいに暮して参りたいと思います。

             

            心のスイッチを入れる

             

             朝、ご宝前にお参りするとき、学校や職場や教会道場へ出かけるために家を出るとき、「おはようございます」と人とあいさつをかわすときなど、毎日、何気なく行っていることのどれか一つを「心のスイッチ」を押すきっかけにして、心に「ポン」と「真理の電流」を流し、「きょう一日、出会う人を大切にしよう。時間を有意義に使おう」というような「真理の灯り」を、心に「パッ」とともすのです。「ありがとう」という感謝の言葉も、私たちが「いま・ここに存在する」という厳粛な事実から生まれた「有り難い」を語源とするものであり、真理をかみしめるための「心のスイッチ」にはうってつけといえるでしょう。こうした習慣が身につけば、ことさら意識しなくても、私たちの日常は自然に厳粛なものになっていきます。

             

             私は納得いかないと「ハイ」と言えない自分でした。何かいわれると「でも・・・ それは」とか、いっぱい言い訳をしたい私でしたが「0.1秒のハイ」の実践を教えて頂き実行させて頂いたところ、半年が過ぎる頃から主人の態度が変わって来たように感じるようになりました。

             そして、私自身が、いかに自分本意で相手の意見も聞かず自分の思いを押しつけていたかということに気づかされたのです。「0.1秒のハイ」の実践は、自分の我を取る早道だと実感しました。教えて頂いたことを素直に実践することの大切さを、改めて学ばせて頂きました。

             2月15日は涅槃会です。

            入滅される前、釈尊は「すべて移ろいでゆく・怠ることなく精進しなさい」と、いい残されました。目の前の人を大切に、人さまに尽くす行いをさせて頂きます。

             

               合掌

                    滋賀教会 文書布教部長

                              (会長先生ご法話  佼成2月号より引用)

            当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


            平成30年新年のご挨拶(会長先生ご法話に寄せて)

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               皆さま、明けましておめでとうございます。

               昨年は滋賀教会のメインテーマ「『明るく、優しく、温かい』自分・家庭・仲間づくりができる滋賀教会 〜つながろう!私から。つなげよう!大切なあの方に〜」のもと、今までのご縁を深めることはもちろんのこと、新たな出会いも頂いた一年でした。皆さま誠にありがとうございました。

               本年は教団創立八十周年の記念すべき節目の年です。その年に会長先生から次のような信行方針を頂戴しました。

               

               天地自然は、一瞬もとどまることなく、創造、変化を繰り返しています。私たちもまた、天地の道理の如く、停滞することなく、何事に対しても、日々新たな気持ちで取り組んでいくことが大切であります。

               今年、本会は創立八十周年の節目を迎えました。その今日に及ぶ歴史の礎は、開祖さま、脇祖さまをはじめ、先輩の幹部の皆様、信者さんの寝食を惜しまぬご尽力によって築かれてきたものです。

               この記念すべき年に当たり、教団創立百年に向けて、一人ひとりが、創造的な歩みを進める確たる志をもって、そのご恩に報いてまいりたいと思います。

               

               信行方針の中では、先達に恩返ししていく大切さと同時に、組織も個人も、常に「創造」を志すことの大切さを教えていただきました。滋賀教会は、来年発足55周年を迎えます。このような時こそ、私たちは心を合わせ信行方針に取り組んでまいりたいと思います。

               

               さらに年頭法話にて、「いま自分が、いかに恵まれているかに気づき、一見(いっけん)不都合と思われることの中に、仏さまの説法を見いだしていくこと。自も他も共に救われることが、真の幸せであることに気づくこと。つい頼ってしまう信仰から、主体的で、自立した信仰へと生まれ変わり、『自灯明・法灯明』を胸に精進していくこと。端的(たんてき)にいえば、これが釈尊の教える本質的な救われであり、『心田を耕す』ということであります」教えてくださっています。

               その「自灯明・法灯明」を具体的に教えてくださったのが、佼成1月号の会長法話『明るく、朗らかに』であると思います。

               私たちは新しい年を迎える中で、同じ一年を過ごすのであれば、充実した、有り難い一年をすごしたいと願っています。それではどのような心で、何を大事にしていけばいいのでしょうか。そのことに対して会長先生が次のようにお示しくださっています。

               

              『明るく、朗らかに』

               

              ○自らを灯として

               それぞれに思うところ、期するものがあると思いますが、だれにも共通するのは、一年をとおして明るく、朗らかにすごしたいという願いでしょう。

               そうであれば、ぜひ忘れずにいたいことがあります。それは、私たちに生きるエネルギーを与えてくれる太陽のように、まずは自(みずか)ら明るく朗らかになって、人を和(なご)ませ、喜ばせることです。ときには人に励まされ、他の人の明るさに癒(いや)されることもあるでしょうが、自ら明るく朗らかに生きる ― それが大切だと思います。

               

               私たちの共通する願いは、一年を明るく、朗らかに、心にこだわりがなく晴れ晴れとしてすごすことであり、そのためにはまずは自分自身が明るく、朗らかに、人を和ませ、喜ばせていくことが大事になっていきます。

               それでは、その「自ら」という気持ちはどうしたら発揮できるのでしょうか。

               

               自灯明は「自らを灯(ともしび)として生きる」ということですが、それは「何にも左右されない確固たる生き方の芯(しん)がある」ということです。そしてその「芯」となるのは、自分を含むすべての人が、かけがえのない命を、いま・ここに・自ら生きているという揺るぎない「信念」で、いま命あることへの「感謝」が、芯を明るく灯(とも)しつづけるのに必要な「油」といえるのではないでしょうか。

               

               年末、用事を済ませた後、時間があったので献血に行ってきました。献血ルームには若い女性やスーツ姿の壮年など56人の方が待っていました。その姿を見て何とも温かい気持ちになりました。年の瀬が迫ったこの時期に献血をする人の姿を通して、各々がそれぞれの生き方の「芯」に、いま命あることへの「感謝」という「油」が温かさと明るさを灯して輝いているように感じました。

               それでは、何にも左右されない生き方の芯をもつ私たちは、さらに何を精神的支柱にしていけばいいのでしょうか。

               

              ○法をよりどころに

                明るく、朗らかに生きるというとき、陽気な性格や環境に恵まれていても、いなくても、要は何を心の芯に据(す)えるかが大事で、私たち仏教徒にとっては、それが仏法(ご法)であることを、この小沢(道雄)師が明快に示してくださっているのではないでしょうか。そしてこれが、法を灯として生きる ― 法灯明でありましょう。

               また、見方を変えれば、ほんとうの明るさ、朗らかさは、苦悩を突き抜けた先にあるともいえますが、苦悩を突破するには、先に述べた「生き方の芯」とともに、さまざまな思わくにとらわれないで心を一つに向かわせる「志(こころざし)」をもつことが大切です。

               

               私たち仏教徒にとって、心の芯、あるいはバックボーン(背骨、精神的支柱)と表現してもいいと思いますが、その中心に何を据えるのかは仏法(ご法)であることを教えて頂きました。

               そして目標を一つに絞り込んで、集中して取り組み、その志にしたがって目の前にあることの一つ一つにていねいに向きあっていくことの大切さを教えていただいたように思います。

               

               信行方針の中に示されている、「私たちもまた、天地の道理の如く、停滞することなく、何事に対しても、日々新たな気持ちで取り組んでいくことが大切であります」を思い出し、自立した信仰者になっていくように、自分の心田を耕すことを大事にしながら、/佑里擦い砲靴覆ぁ⊂魴錣里擦い砲靴覆ぁおこらない。ことを実践していきたいと思います。 

               

               滋賀教会としては、メインテーマ「『明るく、優しく、温かい』自分・家庭・仲間づくりができる滋賀教会 〜つながろう!私から。つなげよう!大切なあの方に〜」を本年も掲げました。このメインテーマをもとに、人材育成(人を植える)ということに全力を注ぎ、創造的な歩みができるように工夫を凝らし、心を合わせ精進していきたいと思います。

               

               私自身、目の前の方に喜んでもらえる存在になりたいと思います。具体的には、たくさんの方に自ら出会い、目の前の人を大切に、さらに不都合と思うような相手の話もていねいに聴き、「有り難し(ありがたい)」「感謝(ありがとう)」を日常生活の中で伝えていくことを、精進してまいります。

              今年一年どうぞよろしくお願い申し上げます。

                                                   合掌

                立正佼成会滋賀教会 教会長 後藤益巳

                (会長法話 佼成1月号より引用)

              当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


              12月「会長先生ご法話」に寄せて

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                 2017年の師走を迎え、なんと月日が過ぎるのが早いことかとの思いです。一年をふり返り、よろこびや悲しみ、別れ、あんな事こんな事と時を刻んだ日々に感慨無量です。
                 12月は会長先生から『型を身につける』とテーマを頂戴いたしました。 型とは基準になる形、あるもののかたちを作り出すもの、芸能や武道などで規範となる動作といわれています。日常生活での動作が型という意味のあるものとは意識せずに過ごしてきました。
                 「型は方便」
                私たちの日常生活における身近な所作にも「型」というものがある、と私は受けとめています。 ちなみに「所作」とは、仏教で「身と言葉と心の三つのはたらきの現われ」をさします。では、その心とは何か。どのような心を「型」として身につけることが大切なのか―結論を先にいえば、思いやりや慈しみの心にほかなりません。思いやりや慈しみを体現し、それを「型」として日々実践することによって、私たちは慈悲の心をさらに深く胸に刻みつけていくのです。
                朝起きたら顔を洗い、朝の挨拶を交わし一日が始まります。出かけるときには「行ってまいります」と外へ、帰ってきたら「ただいま」と家に入り、食事のときには「いただきます」、「ご馳走さま」と箸をおろします。そんな他愛もないことと意識せずに過ごしています。ところがその動きの一つひとつが家族に対しての感謝や食物に対する感謝のこころを表す所作で、そこに心を込めるという大事なことだったのに置き去りにしていました。
                「形は無我の実践」
                 仏教に「一即多・多即一」という言葉がありますが、根底となる思いや願いを忘れないことが肝心なのです。その意味では、仮に個性の数だけ「型」があるとしても、自分勝手な「型」は、「型」とはいいません。むしろ、「自分の思いどおりにしたい」というわがままな心を抑えるために「型」があるといえるのです
                思いが解りあえない人との話しや、行動を共にすることから避けようとする、避けている私です。会長先生からそんな我を型によって取り払えると示してくださっています。思いやりや慈しみの心を反映した型を身に付け穏やかなときを重ねていきたいと思います。 一年の締めくくりにどこまで心田が耕せたかこのことで振り返る機会を頂戴いたしました。
                来年は教団創立八十周年を迎えます。本会の歴史を支えてきた大切な「型」を身に付け、感謝のこころを深める師走を過ごして参ります。
                          合掌
                        滋賀教会 総務部長
                                  (会長先生ご法話  佼成12月号より引用)

                11月「会長先生ご法話」に寄せて

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                  11月「会長先生ご法話」に寄せて

                   

                   暦の上では、早くも立冬を迎える11月、朝夕はめっきり寒くなり、佼成会のカレンダーでは、本年最後の月になりました。

                  先月のご法話『「苦悩」と「苦労」』を通して、生きる事の素晴らしさを学ばせて頂きました。そして、今月その為の具体的な実践を教えて頂けるのです。

                   

                   今月の会長法話は、『 親孝行と菩薩行 』です。

                   

                  親孝行に「手遅れ」なし

                   ただ、私は親孝行するのに、けっして手遅れということはないと思うのです。

                  私は以前、本誌のこのページで、親やご先祖様に「安心してもらえるような生き方をしよう」と申しました(「親孝行と仏道」/2011年7月号)。それをより具体的にいえば、暮らしの一つ一つに、ていねいににとりくむ。日々を明るく、楽しくすごす。人に喜ばれるようなことを誠実に行うことです。娘や息子がこのように生きていれば、いまは亡き両親も、安心してくれるのではないでしょうか。そのような意味で、親孝行をするのに手遅れということはないのです。元気に暮らす両親にとっても、当然のことながら、わが子が誠実に生きて、まわりの人に喜ばれることは何よりもうれしいはずです。

                   

                   私の父は、私が小学校二年生の時に病気で亡くなりました。妹は五歳、

                  弟は二歳でした。幼いときは感じなかったのですが、年が行く度に「なんで、なんでこんな苦労をせんとあかんねや」と、自分なりに我慢したものでした。母親からお兄ちゃん、お兄ちゃんと言われると、その思いはつのるばかりでした、表面は親孝行ぶっていましたが、心はいつのまにか鬼のようで 亡くなった父や苦労している母親を恨むような人間になっていたのです。でも、そんな私たちに転機がおとずれたのです。それは、十三歳中学一年生のときです。母親が立正佼成会のご縁に触れて入会してくれたのです。

                  十九歳の時に初めて青年部のお役を頂き、今日まで教会のお役を、青年部長、教会教務員、渉外部長と気が付いたら四十五年間も頂いており、自分のことしか考えられなかった私が、お役のお蔭様で少しでも人さまに喜ばれることを実践させて頂いている姿をきっと亡くなった父親、母親は喜んで頂いているものと思います。

                   

                  「孝は百行の本」

                   では、その菩薩行とは何か。それは、布施・持戒・忍辱など仏さまの教えに随って、人を思いやり、周囲の人に喜ばれるような行ないのことです。見方を変えれば、人の喜びを自分の喜びにする人を菩薩といい、その菩薩の心を支える杖は、生かされていることへの感謝といえましょう。そこで、先の親孝行のとらえ方をもう一度ふり返ってみましょう。日々をていねいにすごし、誠実に、人に喜ばれるような生き方をすること・・・この親孝行の具体像を菩薩行と重ねると、親孝行も先祖供養も菩薩行も、根本においては一つということがわかります。そして、これらすべてに共通するのは、いま命あることへの「感謝」です。

                  「考は百行(ひゃっこう)の本(もと)」という言葉があります。「孝行はすべての善行の根本となる」という意味ですが、その孝行も生んでいただいた両親への感謝が基本ですから、命への感謝がすべての善行の土台となり、それが善なる世界を創造する力になると教える言葉なのかもしれません。

                   

                  今月のご法話を拝読させて頂き、今更に、もし、このご法に触れさせて頂いてなかったら、親孝行の真似事さえ出来ていない自分であったこと。まして、ようやく朝夕のご供養も自然体でさせて頂くようになった。そんな私にならせて頂いたのも、両親とこの教えに導いて下さった方、こんな私をここまで教え導いてくださった多くの方々、そしてなによりも、開祖さま・会長先生のお蔭さまと感謝申し上げます。

                  ほとんどの方が、人のことよりまず自分のことしか考えない、今の世の中、いまこそこの教えを一人でも多くの方にお伝えさせて頂きたいと存じます。最後にいま意識して実践させていただいている事があります。それは、心田を耕す実践、人のせいにしない・条件のせいにしない・腹をたてないことを日々心がけて生活実践させて頂いています。  合掌

                                              教会渉外部長

                                          (会長先生ご法話  佼成11月号より引用)

                  当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


                  10月「会長先生ご法話」に寄せて

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                    10月「会長先生ご法話」に寄せて

                     

                     彼岸花が咲き、通る人達に私はここにいますよと呼びかけている様に感じ、つい笑みが溢れます。

                    8月の猛暑もいつの間にか過ぎ、朝夕めっきり涼しくなりました。先月のご法話、『人に「伝える」という事』を通して、相手とのご縁を大切にして、いつだれに対しても「学ぶ」姿勢を忘れない。

                    つまり「ありがたい、うれしい、楽しい、と感じた純粋な気持ちを素直に伝えると教えて頂きました。」

                    今月の会長法話は『「苦悩」と「苦労」』です。

                     

                    悩むことは大事

                     

                    たくさん悩んで苦労を重ねたことが、のちのちその人の大きな心の財産になっているというケースをよく見聞きします。今月四日に入寂会を迎える開祖さまは、子の病という苦悩が宗教とのご縁となり、その後、人生を大きく変える法華経との出会いがあったわけです。そう考えると、「悩むからこそ、いろいろな教えを求め、どう生きることが大切なのかを真剣に考える」といえそうです。     苦しみや悩みは貴重な経験として「ありがたいもの」だということも、いろいろ体験をして初めて「ああほんとうにそうだな」「苦があればこその楽なのだ」と受けとれるようになると思うのです。

                    先日帰りが遅くなった事で、主人は不機嫌でした。怒っても当然だなぁ〜と思う心と、前から遅くなるって話してたのにと私の心は動きました。

                    私はどこか自分を正当化する心が起きました。主人を責める心はありませんが、辛くなる自分がありました。

                    しかしよく考えてみると、逆の立場になれば怒るのも無理はないと思え、わかっていても腹がたつんだろうなぁ〜と思えました。そういう心になると今までの自分の在り方を反省したり、日頃の当たり前のことに感謝が薄れている事にも気付き、ありがたい気持ちになりました。

                    「大いなる苦労人」に

                     釈尊は「一切皆苦」―この世のものごとはすべて苦であると教えてくださっています。開祖さまは、「この真実をしっかりと見つめ直し、それを腹の底に据え直すことが、何より大切」で、「そうすれば、苦境というものは、なにも特別なものではなく、人生にとって、ごく当たり前のことだということがわかってくる」

                    「苦悩」と書くとき「悩」は「心を乱す、思いわずらう」という意味で、これは頭の中で問題が「停滞」し、堂々めぐりしている

                    「苦労する」というときの「労」は、「つとめや仕事の疲れや骨折り」をさし、そこには問題を一歩前に進める「動き」があります。

                    悩みや苦しみに直面したときには、体を使って「何かやってみるほうがいい」でしょう。そうすると「苦悩」が「苦労」に変わります。

                     

                    ここを拝読させて頂いたと時は、私は思い悩んで堂々めぐりをしていた事に気付きました。過去に執らわれている間は、苦悩で自分を見失うこともありました。

                    昔の諺に苦労は買ってでも・・・とあります。

                    沢山の体験で視野が広がり、相手の思う心も深まると思います。

                    人様の為に労をいとわず動くことが「苦悩」を「苦労」に変える秘訣だと教えて頂きました。

                    自分の事よりまず人様という心で、いつもはれやかにいられる自分になれる様、意識を持って、努力させて頂きます。

                    合掌

                    湖南支部 支部長

                    (会長先生ご法話  佼成10月号より引用)

                    *当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


                    九月「会長先生ご法話」に寄せて

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                      九月「会長先生ご法話」に寄せて
                      八月は、見えないはたらきに気づくには、宗教や信仰が気づきのきっかけを与えてくれると教えて頂きました。私たちはどうすれば仏様からのメッセージに気づけるのでしょうか。それは、素直になることと教えて頂き、0・1秒の拝を間髪入れず実践させて頂きました。
                      九月の会長先生のご法話は人に「伝える」ということです
                      法を伝える意味
                       仏さまの教えを学び生活のなかで実践していく------ それは、さまざまなことが起こる人生において、たとえ悩んだり、悲しい思いをしたりしても、直面した苦悩を受けとめて乗り越えていく「智慧」を身につけることになります。さらに学んだ教えを人さまにお伝えすることは、よりよく生きていくうえでの「智慧」や「慈悲」を体得する大事な実践であります。
                       臨済宗松原泰道師が、説法の意味を「法は人のためにではなく、自分のために説くのだ」とおっしゃっています。法を伝えること、つまり布教伝道は、「一人でも多くの人に真理を知ってもらい、幸せになってもらいたい」と願う法の布施であると同時に、法を伝えることをとおして、自分の心田を耕していく精進にほかならないのです。
                       私は八月の式典担当のお役を頂きました。その中で心一つにさせて頂くことの難しさ、伝わっていないことも知らずに、目の前に迫っている行事に囚われていました。仏の説法とも気づきもせず、ただこなしているだけの自分に気づかせて頂きました。一人一人を大事にし、相手を尊重し対話をして行く事を教えて頂き、求道心を持ち自ら寄って行く事を実践させて頂きました
                      「智慧海の如くならん」
                      私たちは、自分がよくわからないことを人に伝えることはできません。また、人にものを伝えるには、それなりの理解が必要です。ところが、私たちの知識や経験の量はほんのわずかです。そうすると、人に何か伝えようとするときに大事になるのは、「自分は何も知らない」という謙虚な姿勢ではないでしょうか。 私たちが読経供養の際に唱える「三帰依文」には、つねにその場にふさわしい仏さまの智慧をいただくには、つまり相手とのご縁を大切にして、いつ、だれに対しても「学ぶ」姿勢を忘れないことを、この一節から教えられます。
                       また「伝える」ことの大事なポイントは、「ありがたい、うれしい、楽しいと感じた純粋な気持ちを、素直に伝えることほど人のこころに響くものはない」ということです。日常にあてはめると、「ありがたいことをたくさん見つけ、人さまに伝えていく」そこには、つねに感謝を忘れない心の姿勢があり、日々の幸せと喜びがあります。 感謝ということは、人間だけができること。その自覚に立って、ありがたいことをたくさん人さまにお伝えしていきたいと思うのです。
                       今年九九歳を迎え益々元気になって行く母の声を聴きながら、弟夫婦に感謝の気持ちで杯です。一時は認知症
                      を患うほどで心配しましたが、夜は晩酌をしながら、孫たちとの話に花を咲かせ、週三回のデイサービスにも行っています。 お役のお陰様で感謝を伝えられ、ありがたいことをたくさん見つけ、家族、支部の方、触れ合う方に法をお伝えし、ありがたいことをたくさん人さまにお伝えさせて頂きます。
                                                             合掌
                                                    滋賀教会 湖北支部支部長
                                              (会長先生ご法話 佼成9月号より引用)


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