3月会長先生ご法話に寄せて

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    「慎み」は、「慈しみ」から

     

    「慎む」とは思いやること

    〜中略〜

     慎み深くあることについて、釈尊(しゃくそん)は「身(み)と言葉を慎み」や「身体、言葉、心を慎むのは善(よ)い行為である」など、先月号の「恥(は)じること」と同様に、その大切さをしばしば述べておられます。私たちはこの言葉を、ともすると一般的な生活規範(きはん)のように受けとめがちですが、良寛さんの歌を見てもわかるように、慎みとは、慈悲と一体のものではないかと私は思うのです。仏教学者であり、曹洞宗(そうとうしゅう)の僧侶でもあった奈良康明(ならやすあき)師によると、釈尊の教えは「すべて『慈悲』というものに根拠(こんきょ)をもって説かれている」といいますから、「慎む」ということも、思いやりの心を深めるものであればこそ、仏の教えとして説かれているのです。

     

     私は、慎むとは、ひかえめにする事と思っていたので慎む=思いやること?でした。頭の硬さを感じつつ、何回も読ませて頂けました。

     私は サンガ(同信の仲間)の方にも、地域の方に対しても自然体で思いやりの心で 接し言葉の出し方も考えてきたつもりでした。

    でも 自分の苦手な人や、相性の合ない方に対して慎むとはほど遠い、酷い時は、仏頂面になったり 無視したりと恥ずかしいですが、表面だけの言葉をかけている自分に気づかせて頂きました。 相手の方にも、良い所もいっぱいあるのだからと、無理に認め様とする自分があります。

     今回 他を思いやって言動を慎み接する事の大切さを教えて頂き、せめて気がつくかぎり意識して、分けへだてなく慈しむ習慣ができる様、努力させて頂きます。

     

    身近な実践から世界の問題まで

    〜中略〜

    建物が大きいからりっぱな教団なのではなくて、また伽藍ができたからそれで教団が成熟したということでもなく、そこに集う同信の仲間一人ひとりが、仏の教えを学んでいつもいきいきとして、謙虚(けんきょ)で慎み深く、それがひいては地域、社会の人びとの心にぬくもりや元気を与える――そのような教団でありつづけることが大事だと伝えたかったのでしょう。

     その意味でいえば、本会の「一食(いちじき)を捧(ささ)げる運動」が長くつづけられているのはとても重要なことです。

     

     今年、新しい年を迎えてすぐ、能登の震災に大きな衝撃を受けました。 今もまだ水の出ない地域など、テレビのニュースで流れる映像に胸を痛める毎日です。

     三食、食ベられる事、トイレに行きたい時にいける事、毎日温かいお風品に入れる事、1つ1つに感謝するばかりです。今私たちが出来るわずかな一食募金が少しでも被災者の方々に援助できる場所を与えて下さった開祖さまに感謝の心を深めつつ、今後も生きた一食をさせて頂きたいと思っております。

    合掌  東近江支部 TS

     

    (太字は会長先生ご法話3月号より引用)

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    2月会長先生ご法話に寄せて

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      「恥じること」は、善く生きること

       

      ○人間の基本

       同じ「心の鬼」でも、それを一文字で「愧(き)」{忄(りっしんべん)に鬼}と書くと、意味あいがまったく変わってきます。こちらのほうは、むしろ払ってはいけない心、私たちがけっしてなくしてはならない心といえるものです。それは、自分の言動の過(あやま)ちや至らなさに気づいて恥(は)じる心です。

       

      ○恥じることで救われる

       では、私たちは何に対して「恥じること」が大事なのでしょう。親鸞上人は「自らの罪を恥じる」といわれますが、罪とはどのようなことだと、みなさんは思われますか。

       「恥(はじ)を知れ」という言葉を、人を非難(ひなん)するとき、その相手に向かって使う人をときおり見かけますが、この言葉は自分自身に向ける言葉だと思うのです。

       

       わが家の元気な両親は学びの会やサークルに出掛け、生き生きしているのは有り難いのですが、「今度、ここに行くの」と言います。つまり、私に送迎を頼んでいるのです。私はその度に出勤時間を調整するのですが、たび重なると「申し込む前に聞いてくれないのね」「趣味のお出掛けに関しては自分で段取りしてくれませんか」と言ってしまいました。「恥を知れ」とまではいかずとも一瞬にして両親(相手)を非難して言葉にしているのです。会長先生は、

       

      〜中略〜

       私たちは「恥を知る」ことによって、日常生活のなかで知らず識(し)らずに犯している罪から救われるということです。自分を苦しめたり、人を傷つけたりしないですむのです。

       

      と教えて下さいます。自分の言動を振り返り、どれだけ相手に向けた非難を言っているのか意識し、伝え方を学んで自他共に救われる日々を一日でも多く精進して参ります。        合掌   

      竜王支部 K.Y

       

      (太字は会長先生ご法話2月号より引用)

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      12月会長先生ご法話に寄せて

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        いつでも元気 ―病も辛苦も善知識

         

        ○「災難に逢う時節には・・・・逢うがよく」

         災難や生老病死(しょうろうびょうし)の苦しみは、この世のだれ一人として避けることができないものです。人の力ではなすすべのないもの、仕方がないことなのだから、それをあるがまま受けとめることが、その辛苦(しんく)に押しつぶされないですむ唯一の手立てなのです、と。

         

         会員教育でも苦があるからこそ人は成長できるのですと、苦の捉え方の大切さを教えて頂いています。

         

        あるがままを受けとめることは、苦から逃げ出さないで自分の見方を変える機会を頂いている時なのだとも教えていただきます。

         

        過去に大きな手術をしたときは不安もありました。自分の体でありながら自分では治せません。病院の先生やスタッフの方々、また家族や多くの皆さんのおかげ様の中で生かされていることに気付くことが出来ました。ありがとうございました。

         

        ○ただ「心田を耕す」のみ

         災難も病も、それに遭(あ)えば嘆(なげ)きたくなるのがふつうです。しかし、それらをこの世のことわりとして受け入れ、善知識ととらえれば、辛苦に打ちひしがれるどころか、心静かに、たくましく前へと進む智慧(ちえ)に目ざめるということです。

        〜中略〜

        そのうえで、私たちにとってさらに大切なのは、欲や怒りを超えて、和(なご)やかな心をもって日々、精進(しょうじん)をつづけること、心田(しんでん)を耕(たがや)すことです。

         

         私たちは毎日をいろいろな人のおかげ様で生かされています。日頃からいつも、そのことに目を向けていれば問題ないのですが、自分の我欲がその様な思いを消してしまうことがあります。

         

        「心田を耕す」を今一度読ませていただきました。苦難のときも自分を見失わず、生活が順調のときであっても、おごることなくいつも感謝で生きることの大事さを学ばさせて頂きました。日々の生活の中で実践させていただきます。

                             合掌   教務部 Y.S

         

        (太字は会長先生ご法話12月号より引用)

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        11月会長先生ご法話に寄せて

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          愚痴はほどほどに

           

          〇「知」が「病む」と「痴」になる

           ものごとを理解し判断する能力としての知性、それを支える知識や知恵、そうした「知(ち)」が「疒(やまいだれ)」に囲まれた状態です。つまり、「知」が「病(やまい)」にかかっているから「愚痴をこぼす」と受けとれるのです。

           

           その病を癒すには何が大切か。私も振り返ると、感謝がないときは、愚痴ばかりこぼしています。職場でも、家庭でも、自分の事は、二の次、相手の事、身の回りの環境の事、特にご法のご縁から遠うのいているときは、自分の事が見えず、まさに、「知」が「痴」にかかって愚痴をこぼしております。でも、教えを聞かせて頂いているとき、お説法を聞かせて頂いているときは、自然と感謝の念が深まり、愚痴をこぼしていない自分があります。

           

          〇愚痴を聴かせてもらう

           だからといって愚痴をいっさい口にしてはならないとなると、それもまた窮屈(きゅうくつ)です。(中略)やるせない気持ちで吐(は)く愚痴や弱音は、ときに必要なのかもしれません。それが、やがて「いっても仕方がないことにとらわれるのはやめよう」と自ら気づき、考え、新たな気持ちで前を向く出発点なることもあるのです。

           

           会長先生より、人さまの愚痴を聞かせていただく受け皿のような私たちであることの大切だと教えて頂きました。いつも感謝でいればいいのですが、なかなかそうはいきません。学校や職場で、周りのみんなと同じように愚痴をこぼしている日常です。それがだめでなく、とても大事な、自ら気づき、考え、新たな気持ちで前を向く出発点にすればよいと教えてくださって、とてもうれしく、勇気が湧いてまいりました。そして大事なのが人様の愚痴をきかせていただく受け皿のような私たちになることを今月教えて頂きました。人様のつらい気持ちを聴ききる、「知恵の心」を持てるように、さらなる精進をさせて頂きます。

           

          合掌    総務部 Y.U

           

          (太字は会長先生ご法話 佼成11月号より引用)

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          10月会長先生ご法話に寄せて

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            今月の会長先生のご法話は心も体も傷つける「怒り」です

             

            怒りをどう抑えるか

             貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)。仏教で人の心を毒する煩悩(ぼんのう)とされるこの三つは、心だけではなく体の状態にも影響を与える毒といわれます。ことに「瞋恚=怒(いか)りや憎(にく)しみ、恨(うら)みの感情」が肉体に与える悪影響は、科学的にも証明されています。

            中略

             「瞋恚」の正体は、自分の思いどおりにならないとか、人に軽んじられたといっては怒(おこ)ったり、人を恨んだりする「小我(しょうが)にもとづく自己中心の怒(いか)り」で、釈尊(しゃくそん)いわく、それは「猛火(もうか)より甚(はなは)だし」く自他の身心(しんしん)を傷つけるのです。

             

             おかげさまで今月で息子が1歳の誕生日を迎えます。今月のテーマが「怒り」という事で日々の自分自身を振り返ると、出産という大きな変化があり、些細なことでイライラしたり自分の中の怒りの感情に自分自身が振り回されているように感じました。

            時間も生活も子ども中心になり、夜泣きで睡眠不足が続き余裕のない日々でした。

            今考えると、怒りをどう抑えるかというより周りの環境や相手をどう変えるかという感情で動き、自ら苦を作っていたような気がします。佼成10月号のタイトルにあるようにその怒りが自分の心を傷つけていた事に気付きました。

             

            損して「徳」を得る

             自分が損をするように思えることも怒(いか)りや欲をおさえて受け入れ、身を削(けず)って人の役に立つならば、結果としてその人の「徳」が高まると教えるものです。すなわち、そういう「損」は、めぐりめぐって自分に喜びや心の安定をもたらすのです。同じ損得勘定で動くなら、目を血走らせて欲得(よくとく)に走るよりも、人に譲る気持ちで損を引き受けるほうが、身心両面においてよほど健康的で、つまりは「得」だということです。

             

             「同じ損得勘定で動くなら、目を血走らせて欲得(よくとく)に走るよりも、人に譲る気持ちで損を引き受けるほうが、身心両面においてよほど健康的で、つまりは「得」だということです。」という部分が印象に残りました。

            夫婦間でもそれぞれ育った環境や周りの縁が全く違うので、ちょっとした事で考え方や習慣の違いがあり息苦しい事がよくありました。その息苦しさは私自身が自分の思い通りにしたいという我が原因だと気付きました。これからは心に余裕を持ち、人に譲る気持ちで損を引き受けられるようになりたいと思いました。

                                    合掌  青年部 K

            (太字は会長先生ご法話10月号より引用)

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            8月会長先生ご法話に寄せて

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              今月の会長先生のご法話は『安心して生きるために』です

               

              〇すべての国が滅びない手だてを

               健康とは何かについて、世界保健機関では「病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも精神的にも社会的にも、すべてが満たされた状態にあること」と示しています。これは、幸福の定義とも重なるものです。

               しかし、ロシアによるウクライナへの侵攻(しんこう)、シリアやスーダン、ミャンマーなどでつづく内線、各地に存在する難民と人権の問題、日本においては周辺諸国との諸問題など、世界の現状を見るかぎり、ほんとうの意味で健康で幸福な暮らしをしている人はいないに等しいといわざるを得ません。世界政治の現実は軍事力に支配されていて、各国が軍備を充実させることで牽制(けんせい)しあい、それによって武力衝突(しょうとつ)を抑(おさ)えている状態ですから、たとえ一見、平和な国や地域でも、つねに軍事的緊張にさらされているといえるのです。

               

              中略

               

              〇自分を愛するように

               私たちのような平凡な人間が、戦争をくい止めるのは現実的には困難なことです。しかし、信仰による心の向上を、社会・国家がよりよい方向に進むように役立てることはできます。慈悲の心で自他を見ること、その心を押し広げて、さらに地域社会も国も、みな自分と一体の大事な存在であるということを人さまに伝えること。信仰のあるなしにかかわらず、そうして自国はもちろん世界の国ぐにや人びとを愛し、思いやる仲間が多くなることが、だれもが安心して生きられる世界の現実につながるのです。(佼成8月より)

               

               もうすぐ8月15日がやって来ます。この日は戦争で犠牲になられた方々への慰霊と、世界の平和を祈願させて頂く日です。今月のご法話で、今の世界政治の現実を詳しく教えて下さり、また、私たちのような平凡な人間が、戦争をくい止めるには現実的には困難なことを教えて下さっています。最初、拝読させて頂いた時、正直、「今月は何てスケールの大きなお話し」なんだろうかと思わせて頂きました。そんな中で、今の世界の現状をしっかり見つめられる目を持つ事の大切さを頂いている、と思わせて頂きました。

               自分達の生活やまわりの環境が満たされ過ぎている今、またそれらがあたりまえの様にさえ感じている私達に、どうして行くことが、皆が安心して生きていく事なのかを改めて問いかけてくださっている様にも思わせて頂きました。朝夕のご供養で、「ウクライナ情勢の平和祈願」を唱えさせて頂いていますが、ともすれば、ただツラツラと読み上げるだけで終わっている様に思います。今回の投稿のお役のお陰さまで、ご供養の時だけでも、ど真剣に平和的解決を念じさせて頂こうという気持ちにならせて頂きました。

               自分の生活に目を向けてみると、小さな争いが全く無いとは言いきれません。ほんのたまに、妻とちょっとした口ゲンカになったりする時もあります。そんな時は、「自分は間違っていない。正しい。」とか「女のくせにうるさい!」という様な醜い心が表れます。相手を認めようという思いは少しもわいて来ません。ある程度時間を置いてから、悪い事を言ったなあと反省はするものの、しばらくは自分自身も情けない気もちになります。まず、どんな時でも相手を認め、自分も相手も尊いんだ、かけがえのないものだからいつも大事にしていこうという思いで、これからは誰に対してでも接していける様、身近な平和を築いていける様になりたいと強く思わせて頂きました。ご法の縁を頂いたお陰さまで、こんな私が、小さいですが世界の平和を願える自分にならせて頂けた事に感謝させて頂きます。ありがとうございました。

              合掌

              甲賀支部 K

               

              (太字は会長先生ご法話 佼成8月号より引用)

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              7月会長先生ご法話に寄せて

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                今月の会長先生のご法話は『身心を養う「食」とは』です

                 

                〇四つの栄養

                仏教では、ほどほどの量の食事を感謝とともにいただくことを大切にしています。その感謝は、あらゆるご縁によってもたらされた食材を無駄にしない工夫や命を尊(とうと)ぶ心につながるものです。

                 さらに仏教で特徴的なのは、身心を健康に保つ「栄養」を、口からとり入れる飲食物だけとは見ていない点です。

                 では、仏教でいう飲食物以外の「栄養」とは何か―。

                 その一つは、眼耳鼻舌身意(げんにびぜつしんい)という感覚器官をとおして、体や心に受ける情報という栄養です。これは、とり方によって、私たちの欲や怒りの心を育てることもあれば、穏(おだ)やかな心を育てる滋養(じよう)にもなります。

                 

                 食をとおして元気に生きている私達に、心身をもっと健康にと教えて下さっているのが「食べ物からの栄養」「心を養う栄養」を、と戴いています。

                 高齢者となって考える時に、子どもの頃、親からの言葉に「食べ物は好き嫌いなく何でも食べ、よく噛んで食べることは心身も鍛えられるのだ!」

                親から伝えられていた仏教の教えに感謝です。

                 

                〇何ごともバランスよく

                「ただ生きる」のではなく「健康で幸せに生きる」ことは、人間に与えられた一つの特権です。その本領(ほんりょう)を発揮するという意味で、釈尊は「真実(真理を説くこと)は、諸々(もろもろ)の飲料のうちですぐれて甘美(かんび)なるものである。明らかな智慧(ちえ)によって生きる人を、最上の生活と呼ぶ」と説かれました。仏の教えを学び、人にも伝え、あらゆるおかげさまに感謝して生きるなかに、健康で幸せな人生があるということです。それは、たとえば食事の際に「いただきます」と手をあわせる一瞬に育まれるといえるのです。

                 

                 食べ物に不自由なく、何でも食べられる幸せに、あらゆるおかげさまに感謝、感謝です。

                 幸せで健康に生きることを教えて戴きました。ありがとうございました。

                                                  合掌

                                                  湖南支部 壮年部 N

                (太字は会長先生ご法話 佼成7月号より引用)

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                6月 会長先生ご法話に寄せて

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                  「会長先生御法話 季節の風物に心を寄せて」 


                  自然にふれて感性を磨く
                   
                  大都会といわず地方の小都市といわず、私たちの暮らしは、つねに自然の営(いとな)みとともにあります。私が十年ほどすごした新潟県の菅沼(すがぬま)でも、冬になれば雪が降り、夏が近づくと田植えをしてといった具合に、暮らしはいつも自然とともにあって、私も子どもながらに農作業を手伝い、鎮守(ちんじゅ)さまでの盆踊りやお祭りなどの行事を楽しみにしていました。
                   どれだけ時代が移っても、四季折々の自然や風物はつねに生活と密接に結びついているのですが、それがいかに貴重なことかを私たちは忘れがちです。季節の訪れを告げる草花や昆虫の生命力に目を見張り、大自然の織(お)り成(な)す美しさに感嘆(かんたん)するようなことも、大都会では少なくなります。(佼成6月より)

                   

                   今月の御法話のテーマが自然と云うこともあり、私の仕事に相通じるモノを感じました。昨年より自然の中(と言いましても、大人がたしなんだり、メジャーなスポーツが行われる競技場の一部ですが)で仕事をする機会が増えたからです。毎週、山へ行き、自然に囲まれた中で仕事をしております。
                   その施設は人工物でありますが、汚れた水をきれいにする肝心な部分は、真に自然だと思うからです。自然の中で、汚れた水をきれいにする施設の維持管理という仕事をさせて頂いている自分に「自然」をテーマとした御法話を読ませて頂き、寄稿させていただくことに、誠に有り難いご縁を頂いたと感謝しております。


                   さて、私の住んでおります地域は、自然に囲まれたのどかな所であります。ここ数十年の間に、すっかりと開発が進み、山や丘が一つの街になりましたが、それでも自然豊かな里山が近所にあり、季節の風物を感じさせていただいております。

                   

                   

                  黙々と真理を実行する自然


                   また、レイチェル・カーソンの言葉は、美しいものや神秘的なものを見て「きれいだな」「不思議だな」と感動できる感性があれば、苦しみや悲しみさえ乗り越えることができると教えています。
                  豊かな感性は、苦悩(くなん)から救われる道をみつける柔軟(じゅうなん)な心のはたらきにも通じていて、そのことによって命尽(つ)きるまで生き生きとすごせるというのです。
                  (佼成6月より)


                  『美しいものや神秘的なものを見て「きれいだな」「不思議だな」と感動できる感性があれば、苦しみや悲しみさえ乗り越えることができる』
                  今月の御法話の中で、一番感銘を受けた部分です。なぜ、一番感銘を受けたのかといいますと、この頃の普段の生活の中で、ついついネガティブシンキング(後ろ向き)になりがちな自分に、ポジティブシンキング(前向き)を思い出させていただいからです。会社では、以前まで融通が効いていた部分が効かなくなり、時間がなくなり、限られた時間の中で時間に追われ、一向に仕事が片付いていかない状況でした。今回の御法話を拝読させて頂き、心を亡くした状態の私に、「これも神仏のお計らい」という究極のポジティブシンキングを思い出させて頂きました。仕事上、家庭等でネガティブな事があっても、毎週、自然の中での施設で仕事をする時、自然に触れられることにも感謝していこうと思います。


                   地球は水の星ともいいます。表面積の7割が水(海)です。海、湖沼、河川のいずれも私達に見せる姿は違うように、仕事で維持管理している施設の水も全く同じ時はありません。これも真理だと思えるようなりました。大自然には、秩序が崩壊して、あらゆる状態が悪化しても、時間が経てばやがて元に近い状態に戻ろうとする働き(真理)があります。私も大自然に倣い、仕事に関わる水、その他の諸所の状態が悪くなっても、ポジティブシンキングで良くしていこうと思いました。


                   今の仕事に就く前、私は住宅設備の修理業をしておりました。
                  心が病みかけておりましたが、自然の多い地域で、水をきれいにする設備の維持管理業をすることで、立ち直る事ができました。これも一年近くその地域で過ごして自然と季節の風物に触れた事だと今でも思い、感謝も忘れません。

                   

                                                    合掌

                   

                               大津支部 T.K
                   


                  5月会長先生ご法話に寄せて

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                    今月の会長先生のご法話は「自分を思いやる」です。

                     〇心が傷つきやすい時代
                     洋の東西を問わず、人は昔から「自分に厳しく、人にやさしく」あることを美徳(びとく)としてきたように思います。しかし、最近では「人にやさしく、自分にもやさしく」というあり方が必要だともいわれるようです。なぜなら、心に傷を負って苦しむ人が、以前よりずっとふえているからです。

                     この度、定例の支部会議でこのお役を頂きました。まさか、、、私がこのようなお役を頂くことになるとは思いませんでしたが、今一度、自分やこの社会を見つめ直す良き機会となりました。コロナ禍前は、教会で拝読させていただき、教会長さんから分かりやすくお言葉を頂き、自分に置き換えて理解し噛み締めて私の周りの人達に接する事が出来ておりました。
                     

                    ココ最近は、目を通して深く噛み締めることまでには至っていなかった。と、勿体ない事に気付く自分と周りの関係各者への配慮の乏しさを反省しました。このブログのお役を頂きましたことで、いろいろと自分自身を振り返ることが出来ました。本会の会員である事に心より感謝いたします。改めて5月のご法話を拝読させていただきながら私自身に置き換えました。

                     

                    確かに以前とは、心が傷つきやすい時代だと思います。私の幼少のころから社会人になり、しばらくまでは、傷つくと言うよりは、学んでいることだから、頑張らなければならないという前向きに考えるようにしておりました。
                     

                    このままだと、当たり障り無く生きて行く方法を選ぶ人が増え、閉塞人社会となり、本来、人が持っている良きコミュニケーション能力が活かされない。また、この社会と協働する生き方を一人ひとりがどのようにすれば良いのか。楽に生きる事は成長を妨げる。失敗を如何にも体験したように思うことで理解は深まります。また、自分を責めないで、自分にとって思いやりをもって現象と、向きあう―セルフ・コンパッションという考え方に心したいと思います。
                     これまでの佼成会会員諸先輩方から教わった事を自らが真似る。真似るは学ぶである事を教わりました。

                    〇自分が元気になることで
                     自分を思いやるというのは、たとえば何か失敗をしたときでも、そのできごとを否定的に見ないで、「こういうことはだれにでもあることなんだ」と大きな受けとめ方をしたり、「この経験は私の財産になる」と前向きにとらえたりして、一方的に自分を責めたり罰(ばっ)したりする感情に支配されないことです。ものごとの善(よ)し悪(あ)しを一概(いちがい)に判断する見方から離れると冷静に事象(じしょう)と向きあえますし、そこにあるのは悪いことばかりではないと気がつけば、心は楽になるはずです。
                       ただ、「自分を思いやる」という表現は自分を甘やかすことのようにも聞こえて、自己を律(りっ)する仏道精進(しょうじん)などとは正反対のあり方だと思う人がいるかもしれません。しかし、自分を思いやるというのは、つまるところ自己と冷静に向きあって唯一無二(ゆいいつむに)の自分と出会い、心の調和を保(たも)つことで、それは私たちの精進にも通じます。その意味でいうと、私たちは日々、心の健康法を実践しているともいえるのです。

                    (佼成5月号より引用)
                     

                    私は支部壮年部の皆様には、様々な配慮に感謝しております。私は常に明るく元気で周囲の方々と触れ合うことで、自身を認めて頂いていると思っております。なので、これまで通り引き続き笑顔絶やすことなく、まず「自分」が明るく元気になって思いやりの輪を広げていくことが大切と教えて頂きましたので、回りの方々と共に修行精進させて頂くことをお誓い申し上げます。   

                    合掌
                     

                    湖北支部壮年部N・Y
                    (太字は会長先生ご法話 佼成5
                    月号より引用)

                    当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


                    4月会長ご法話に寄せて

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                       今月の会長先生のご法話は「朝が大事」です。

                       

                      「日々感謝で目覚め」 

                       

                       「春眠(しゅんみん)や慈母(じぼ)の懐(ふところ)にあるごとく」 (佐藤春夫)。春の朝のぬくもりと、心地よい気分が伝わってくる一句です。たがらでしょうか、漢詩に「春眠暁(あかつき)を覚えず」と詠(うた)われ、「朝寝(あさね)」は春の季語になっています。たまにはそういう日があってもいいでしょうが、「朝こそすべて」といわれるくらい朝のありようは大切ですから、年度初めにあたり、一日のスタートである朝の意義をあらためて考えてみたいと思います。

                       

                       まさか今月ブログのお役を頂くとは思っていませんでした。 実は今頂いている課題になかなか取り掛かれずにいて、締め切りまであと1か月足らずなのです。「今日は?だから明日やろう」、「いざとなったら集中して出来る」等と毎日自分に言い訳をしながら ダラダラと3週間以上が過ぎてしまっている。そんな時、支部長さんからこのお役を頂きました。拝読させて頂きながら何故、このお役を頂いたのかその意味について考えました。

                       「そうか、4月は年度初めなんだ。一区切りついた後のスタート、節目、切り替えの時なんだ。」と改めて気付かされて、ダラダラと日常をやり過ごしたり時間を無駄にしている現状を振り返らせて頂きました。

                       

                       まず自分の事から申しあげれば、私はいま、毎朝四時に起床します。人生の先輩である千玄室(せんげんしつ)先生(裏千家大宗匠(うらせんけだいそうしょう))に倣(なら)ってはじめた習慣です。ただ最近では三時ごろに一度、目が覚(さ)めて、四時に設定した時計のアラーム音が鳴る前に自分で目覚まし時計を止めて起きだすことが多いのですが、それも年齢を重ねて時間を有効に使える体質になってきたと受け止めれば、嬉しい変化と言えましょう。

                       

                       会長先生は朝四時に目覚ましを、私は五時と五時半の二段回に。しかし、何時に寝ても必ず一時半頃と三時頃に目が覚めてしまいます。目を閉じて五時なるのをじっと待ってるのです。たまには時間が来るまで、熟睡したいと思います。でもご法話に触れて、「そうか、年齢を重ねて時間を有効に使える体質になったと受けとめればいいんや。」と思えると、次の日また一時半に目覚めた時、起きて少しですが課題に取り掛かることが出来ました。

                       

                      「誕生偈ではじめる一日」

                       

                       ここで大切なのは、長く合掌するということよりも、合掌礼拝が神仏に通じており、その敬虔(けいけん)な気持ちがストレスを和(やわ)らげ、自然治癒力(ちゆりょく)など潜在的(せんざいてき)な力を引きだす可能性があることです。まして、朝いちばんにまごころをこめて神仏と向きあう合掌ともなれば、帰依心(きえしん)の深まりとともに、持ち前の活気がより呼び覚まされるのではないでしょうか。 私たちは、そういう合掌を毎朝しているわけです。

                       また、「一日は一生の縮図(しゅくず)」ともいわれますが、その意味でいうと、朝の目覚めは誕生の瞬間そのものです。「今日(こんにち)ただいま誕生」。そういう新鮮な気持ちで朝を迎えると、日々新たになり、きのうまでのとらわれを離れた前向きな心で一日をはじめることができるのです。

                       

                       私は会長先生のおっしゃる様な新鮮な気持ちで朝を迎えた事があるだろうか…。コロナ禍になって、以前よりも増して御宝前の前に座ってご供養をさせて頂いたり、ゆっくりとご先祖さまと対話する事が無くなりました。朝の御供養はとても大切だとわかっているのに神仏と向き合う事から離れてしまっています。 だからでしょうか、大切な朝から気がたびたび滅入るような事が起こるのは。

                      すると、やはり仕事をしている時もその事が頭から離れず、一日の大半をそういう状態で過ごしてしまう。自分の思っている以上に心が疲れてしまっているのか、ただただ思考を停止させる為に手のひらの中の別世界(携帯)に入り込んでしまう。「良くないな。」と思いながらも、やるべき事が後回しになる。これって、その事柄(朝の出来事)にとらわれているんですね。「朝の目覚めは誕生の瞬間そのものです」そんな風に考えた事はありませんでした。

                       「今日ただいま誕生」

                      これは心のスイッチを切り替える言葉なんですね。日々老いていくのでは無く、日々新たになる。そういう感覚を私も味わいたい。

                      これを機に心を込めた合掌と仏様と向き合える自分にならせて頂ける様にスイッチを切り替えて、まずは朝の御供養から始めさせて頂きます。ありがとうございました。

                       

                      合掌

                       

                      東近江支部  A

                       

                       (太字は会長先生ご法話 佼成4月号より引用)

                      当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。 



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