新年のご挨拶

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    皆さま、明けましておめでとうございます。

     

    昨年は滋賀教会発足55周年という節目の機会を、新しい方や久しぶりの方を含め多くの皆様と迎えることができました。

    誠にありがとうございます。

     

    今年は会長先生から次のような信行方針を頂戴しました。

     

    天地自然は、一瞬もとどまることなく、創造、変化を繰り返しています。私たちもまた、天地の道理の如く、停滞することなく、何事に対しても、日々新たな気持ちで取り組んでいくことが大切であります。

    今年、本会は創立八十二周年を迎えました。その今日に及ぶ歴ふ史の礎(いしずえ)は、開祖さま、脇祖さまをはじめ、先輩の幹部の皆様、信者さんの寝食を惜しまぬご尽力によって築かれてきたものです。

    私たちは今後、教団創立百年に向けて、一人ひとりが、「即是道場(そくぜどうじょう)」(この処は即ち是れ道場なり)の精神をもって、そのご恩に報いてまいりたいと思います。

     

    年頭法話『尋常(じんじょう)(つね日ごろをたずねる)』の中で、会長先生はこの信行方針に触れ、「即是道場」について次のように教えてくださっております。

     

    「道場」というと、私たちはまず大聖堂や教会、地域道場などを思い浮かべます。しかし、「即是道場」とは、自分が居る所、住んでいる所、身を置く所、すべてが道場であるということです。

    日々の生活の中では、本当にいろいろなことが起こります。(中略)

    相性の悪い人に出会ったり、冷たい言葉、厳しい言葉を投げかけられたり、無視されたりして、悲しく、つらい思いをすることもあるでしょう。

    しかし人間は、不自由であったり、不都合であったりするからこそ、それを何とか乗りこえていこうという気持ちを起こします。何一つ試練がなかったとしたら、おそらく人間は向上できないと思います。

    ですから、困難に出遭った時には、「人間として成長するきっかけを頂いた」「ここが踏ん張りどころだ」という受け取り方をして、目の前のことに最善を尽くしていく―それが「即是道場」の精神であります。

    とりわけ在家仏教徒にとっては、日常生活のあらゆることが修行です。何か特別なことをするのではなく、人と会って話をすること、仕事をすること、学校生活を送ること、料理や掃除をすること……。その一つひとつのことに、手を抜かず、丁寧に、心を込めて取り組んでいくことで、良い習慣が身につき、自ずと身心が調うのです。

     

    この「即是道場」の精神を大切に、この一年を真に豊かにしていくための根本姿勢を示してくださったのが、佼成1月号の会長法話『ほんとうの自分に帰る』であると思います。

     

     

     

    『ほんとうの自分に帰る』

     

    ○一年をどうすごすか

    この一年を真に豊かなものにするのは、ほかでもない、私たち自身です。日々に出会う人やものごとは、すべて、自分が因となり、縁となって生じているものです。さらにいえば、遠い世界のできごとさえも、自分と無縁のことは一つもないと受けとめれば、どのような一年にするかは、すべて自分にかかっているといえるのです。

    それはまた、一年をかけて自分をどのように成長、進化させていくかということでもあるでしょう。

     

    この一年、一カ月、今日一日を真に豊かなものにするのは私自身と教えていただいたのですが、私はこのことを深める年末をすごしました。

    私は滋賀に赴任してはじめてインフルエンザに感染してしまい、年末にアパートで数日寝込んでしまいました。

    24日の朝に咳が出はじめ、午後には体全体が重くなり微熱も出てきたのです。25日の夕方には東京に帰る予定だったので早めに病院に行き、念のためインフルエンザの検査も受けましたが、陰性反応でした。薬をいただき、ホッとしながらすぐに横になりました。

    しかし、次の日には熱が38度台に上がってきたため、壮年部長さんにお願いをして病院に連れて行ってもらいました。再検査をするとインフルエンザA型と診断されました。

    自分の中で立てていた予定は崩れてしまい、熱でボーっとする頭で「何で?何が?どうして?」「自分は何をしているのだろう?」とぐるぐると考えていました。東京の家族の所に帰れなくなり残念な思いと、家庭修養日に入るこの時期で良かったという思いが交差しました。

     

    時間が経ち見方を変えると、年末の忙しい時にインフルエンザを通してゆっくりと体を休め、自分を振り返る時間をいただいたのだと思えてきました。ご法話の中にあるように、一年をかけて自分をどのように成長、進化させていくかを考える時間をいただいたのだと思うと、なんて贅沢な時間なのかと思いました。マイナスに思うようなことが自分を豊かにするための機会と思えることが、年頭法話にあった「即是道場」の精神であると思いました。

    それでは、この一年を真に豊かに、成長、進化させていくかを考えるうえで、釈尊の実子、羅睺羅(らごら)のお姿から何を大切にしていけばいいのでしょうか。

     

     

    ○素直に、謙虚に

     「密行第一」が、羅睺羅に対する尊称です。しかし、そう称えられたのは、舎利弗をはじめとする先輩たちの指導や助言を素直に聞き、謙虚になって、人が見ていないときでもひたすら教えを学び実践しつづけたからだと、私は思います。釈尊の長男として生まれ、世俗にあったときには、父である釈尊に「王宮の財産を私にください」と語った羅睺羅が、出家して法を継ぐことが人生の大事だとわかったときから、身を慎み、つねに「素直であろう」「謙虚であろう」と心して、ただただ静かに精進を重ねる姿勢が、「密行」、つまり羅睺羅の努力だったと思うのです。

     そこには、財を貪(むさぼ)る心も、自分の境遇を恨(うら)む思いも、釈尊の肉親であることを驕(おご)る気持ちもありません。「密行」を重ねるなかで、羅睺羅はすべての人が生まれながらに授かっている仏性の有り難さにめざめ、貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)などの煩悩を離れた、「ほんとうの自分」に帰ったということです。

     

     年末にインフルエンザで休んでいる中で、佼成ご法話に照らして「仏法僧の三宝に対して、自分は素直であっただろうか。謙虚であっただろうか」と自問自答しました。すると見えてきたのは、私自身の心のあり様でした。

    形は一人ひとりの心に寄り添っているようで、自分の思い通りにしたい心があることが浮かんできたのです。知らず知らずのうちに、心に溜まっていた貪瞋痴のホコリに気づくことができたのです。たとえれば、整理棚の表面はいつもきれいにふいているが、大掃除の時に、棚をずらしてみたら陰にはホコリがたまっていたようなものです。

    この年末にインフルエンザを通して、自分の心の大掃除をさせていただいたのだと思います。とても清々しい気持ちになりました。

     

    心機一転、私は新年を迎えるにあたって、佼成ご法話をもとに次の言葉を考えました。この一年、朝夕のご供養の後に次の言葉を唱和して、自分の居る場所で、一つひとつを丁寧に、目の前の人に喜んでもらえるように真心込めて、一所懸命に精進していきたいと思います。

     

    ○宇宙の大生命である久遠の本仏に生かされていることに素直に感謝し、謙虚に生きよう。

     

    ○不滅の真理を説かれた仏さまの教えを謙虚に学び、素直に実践しよう。

     

    ○同じ信仰の仲間であるサンガを素直に信じ、謙虚に自分を磨こう。

     

    ○自分と相手の仏性を素直に拝み、謙虚に仏性のはたらきを発揮しよう。

     

    また、人材育成(人を植える)ということに全力を注ぎ、創造的な歩みができるように工夫を凝らし、「一人が一人を導く」ことに取り組んでいくことを通して、身近なところから菩薩の働きができるチャレンジャーになりたいと思います。

    さらに、滋賀教会の皆さまと共に、救いを求めるすべての人にとって、いつでも心安らぐ「正定聚」(みんなが「仏さまのようになりたい」と決意した仲間)となるように、心を合わせ精進していきたいと思います。

     

    今年一年どうぞよろしくお願い申し上げます。

     

    滋賀教会長         合掌

     

    当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


    会長先生のご法話に寄せて

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      今月の会長先生のご法話は「弁を尽くす」です。


       ○言葉の力

       人間が生まれもって授かった心、すなわち「人」としての素朴な感情や意思を、言葉を使ってまわりの人に伝え、コミュニケーションを繰り返すなかで「人間らしい心」が育ってきたということです。(中略)
      言葉の発達に心の成長が追いつかないのか、あるいは心が退化しているのか、言葉が人を傷つける道具として使われることも多いのです。

       (佼成12月号より引用)

       インターネットやSNSの発達によって、面と向かわなくても言葉をやり取りできるようになりました。そのぶん、荒い言葉でも抵抗なく相手に投げかけられるようになってしまい、「炎上」「ディスる」「パヨク」といった攻撃的な言葉が出回るようになりました。自分の姿が相手に見えていないと感じ、言葉を発する側に責任がないと勘違いして、本当の自分がいったい何者なのか、もうわからなくなっているのではないかと思えます。

      議論の最高機関である国会ですら、質問に対する答えがかみ合っておらず、やじや怒号が飛び交い、力ずくで採決するといった有様です。

      反面、ありがたい言葉を聞いたり、いい文章を読んだりしたときは涙が止まらなくなって、感情をゆさぶられることも少なくありません。

      そのどちらもを含めて、人生とは、人が生きた証とは、一生かかって「自分が発した言葉」と「書いた文章」と「起こした行動」の集積なのだと思えます。


      ○富楼那に学ぶ
       それよりも大事なのは、相手の顔が自然とほころぶような柔和な態度で、思いやりをもって言葉を交わすことです。そうすれば、おのずから話しかける言葉もやさしくなって受け入れやすいものとなり、それが相手の心に届くということではないでしょうか。
       (佼成12月号より引用)

       一昔前は「上から目線」という言葉は存在していなかったように思います。しかし、「誠実」という言葉はいまも以前も同じニュアンスを保ってくれています。本心から出た「相手を思いやる言葉」は、やはり人の心を打つのだと思います。
      そうめったにはありませんが、ライブに出かけて涙がとまらなくなったことがあります。
      ある程度演奏や歌の技術も必要ですが、「本当に伝わってきて泣けてしまう」のは、テクニックではないものによるのだ、という体感を持っています。


       「大切なことをだれにもわかるように」伝える、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく」
       (佼成12月号より引用)

       私が以前仕事でよくかかわっていた「特許」もそうでした。大したことのない発明をいくら難しい言葉で飾り立てても、もとになるアイデアが今一つなときは、弁理士の担当官にはすぐ見破られてしまいます。
      そのかわり、本当にいい発明ができたときには「簡単な言葉で誰にもその良さや新しさが伝わる」「小学生にも理解できる特許こそがほんとうにいいものになる」と言われたものでした。
      最近はその仕事からも少し遠ざかっていますが、自分に言い訳をせずに「もっといいこと」を考え続けないとお給料をたくさんもらえませんね。。。


      「単純に、わかりやすく」「自分にしか書けないことを自分の文章で」
      (佼成12月号より引用) 
       私は普段、「滋賀教会のメディア布教委員」として活動をしています。でも、「ご法話に寄せて」を自筆するのは初めてです。このブログにも私が掲載に関わった記事が何分の一かはあるのですが、自分で文章を書いたのはごくわずかなのです。(どれだかわかるでしょうか・・・)

      ブログ担当月は3か月に一回です。読み手の皆様にとってはあまり記事がないとつまらないし、かといって頻繁に更新されてうっとおしくなってはいけないと思う、ささやかな悩みを楽しんでいます。
      あまり記憶が薄くならないうちに「滋賀教会七面山練成」の記事もアップしますね。「人生、残り少なくなってきたからやりたいことしかやらない」と決めてから、心のありようがすごく楽になりました。この法話を拝読・担当させて頂き、テーマの符合に驚きながらも仏さまからのお計らいを味わわせていただいています。

                  合掌    近江八幡支部 メディア布教委員
      (会長先生ご法話 佼成12月号より引用)

      当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。

      11月「会長先生ご法話」に寄せて

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          今月の会長先生のご法話は「励まし」と「精進」です。

         

        ○仏からの励まし
         「教えにもとづくみずからの努力によって、苦悩の世界から出ていかねばならない」
         (佼成11月号より引用)
         自分の好きな事に対しての努力、例えば纏が好きだから少しでも上手くなろうと思って練習をする。それも大切な努力のひとつだと思いますが、ここでいう努力と言うのは、苦手な事に対しての努力だと思います。自分は面倒臭がりな性格で、頼まれた事が直ぐに出来ないと分かればまあ後回しでもいいかと、自分の都合で物事を進めてしまう時があります。それが結果として周りに迷惑をかけてしまったり、後々問題になったりする事もしばしば・・・。出来る時と出来ない時があるので、それを常に出来る様にし続けることが本当の努力であり、その努力が教えにもとづいているのか確認しながら進むことが、自分が苦悩の世界から脱する唯一の手段なのかなと感じました。

        ○ていねいに生きる
         「善きことにつとめ励む」とは何かといえば、それは暮らしのなかにある当たり前のことをなおざりにせず、日々をていねいに生きることでしょう。
         (佼成11月号より引用)
         頭ではていねいに生きようと思っていても日々の忙しさから心を亡くし、自分ではそんなつもりが無くても誰かを傷つけたり、迷惑をかけてしまったり、自己嫌悪に苛まれ一歩も踏み出せなくなる時があります。しかし仏さまはそこからまた踏み出せば良いと励まして下さる。まずはありのままの自分を受け止めて、今をどう精進して人様の為に生きるか。仏道にゴールは無いのかも知れませんが、気付いた時がスタートでもあり自分を高めていきたいと思います。

         本来、私のブログ担当月は12月でしたが11月に前倒しになりました。この法話を拝読させて頂き、先日の一乗まつりでどんな自分だったか振り返る事も出来て、今後のまとい部の活動に活かせる収穫の秋になりました。前倒しになったのもしっかり意味があっての事と感じ、すべてに仏さまからのお計らいを頂き感謝の気持ちでいっぱいです。

                    合掌  纏部長

        (会長先生ご法話 佼成11月号より引用)

        当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


        10月「会長先生ご法話」に寄せて

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          今月の会長先生のご法話は 「仏」を供養する です。

           

          〇なぜ「仏」がたくさんいるのか

           釈尊は、「我が此の弟子摩訶迦葉、未来世に於て当に三百万億の諸仏世尊を奉覲して、供養・恭敬・尊重・讃歎し」とか「大迦旃延は当来世に於て、諸の供具を以て八千億の仏に供養し奉事して」など、弟子それぞれに、仏を供養し、尊重することの大切さを、その内容とあわせてくわしく説いています。

          (佼成10月号より引用)

           

           釈尊は、三百万億や八千億という計り知れない数の仏を供養することが大切です。と仰っていますが、とても自分に実践できるとは思えませんし、まずそんな数の仏さまというものが想像できません。ですが、会長先生はこう続けて話してくださっています。

           

           ただ、人間・釈尊が、悟りに至るまでに出会った人や、教えを受けた人、さらには、真理を伝える旅でふれあった人びと、そうした人たちすべてを「仏」と受けとめる見方に立って読むと、先の経文も違って見えてきます。同時に、日々に出会う一人ひとりを、釈尊に倣って「仏」と受けとめるとき、この経典の一節が、私たちの日常生活における実践課題として身に迫ってくるのではないでしょうか。

          (佼成10月号より引用)

           

           日常で出会う一人ひとりが仏さまであると受けとめ、供養していくことが実践課題であると教えてくださっています。私は、接客業の仕事をしています。そのため、毎日たくさんの人と出会います。中には、態度が横暴だったり言葉が汚い人もいたりします。そのような人たちと接するとき、どうしても「仏さま」という様に受けとめるのは難しいです。

          しかし、だからこそ会長先生は我々に日常生活における実践課題なのだと教えてくださっているのだと感じさせていただきました。

           

          〇「供養」の基本は思いやり

           仏に感謝のまことを捧げる「供養」のなかでいちばん大切なのは、教えを実践することだといわれます。実践をとおして、教えが真実であることを体得する。釈尊のように慈悲の心で日々をおくる。やさしくいえば、「人の悩み苦しみが少なくなるように、楽しみが多くなるように」と願って、人を思いやることです。

          (佼成10月号より引用)

           

          教えを実践し、目の前の悩み苦しんでいる人から楽しみが多くなるように手助けをする。世界全ての人を一人ではできませんが、目の前の苦しんでいる人を助けるという供養、思いやりを実践する。それが一番大切なことであること、今回のテーマである「仏」を供養することなのだと教えてくださいました。私たちは思いやりのあふれる人間になっていく、またその輪が広がっていくことが大切なのではないかと感じさせていただきました。

           

          合掌

          滋賀教会 南西ブロック男子部長

          (会長先生ご法話 佼成10月号より引用)

          当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


          9月「会長先生ご法話」に寄せて

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            今月号の会長先生のご法話は『違い』があるからこそです。

             

            〇みんなを愛おしむ心

            私は、学生部長のお役を頂戴しています。先日、8月2日〜4日にかけて鹿児島の知覧平和学習に実行委員長として参加させていただきました。そして、知覧特攻平和会館の見学や語り部さんの講話を通して、特攻隊員の想いやその人たちを支えた方々の想いに触れ、戦争の恐ろしさや悲惨さを改めて感じました。

            なぜ戦争が起こってしまったのか、私たちはこれからの世の中をどのように生きていくべきなのかを考える機会となりました。戦争の原因を考えてみると、自国の領土を広げたい・相手よりも上の立場に立ちたいなどという自己中心的な考えが招いたものだと言えます。

            つまり、相手の考えや存在を排除して私利私欲を追求した結果が戦争へと傾いてしまったのです。

             

            会長先生は他者との関わりについてご法話の中でこのように教えてくださっています。

            私たちが身近でできることは、他者との違いを違いとして認めて受け入れることですが、それにはまず「私の胸の内にも、この世のすべてのものを愛おしいと感じ、慈しむ心がある」と自覚することです。すると、人と自分に違いがあることの尊さも見えてくるはずです。

            (佼成9月号より引用)

            この教えを実践し、自分とは違う考えを持った相手を尊重し、誰もが安心して暮らせる世の中をつくっていきたいです。

             

            〇『違い』がある意味と尊さ

             宗教の世界においても、人それぞれの縁に随って救われる道が異なるのは自然なことで、キリスト教の教えで救われる人もいれば、イスラム教や仏教の教えで救われる人もいるのです。それは、安らぎを求める人が、信じ仰ぐ教えがたくさんあるということです。この地球に生きるすべての人に安心を与えるため、宗教・宗派のそれぞれが個性を発揮しつつ、お互いに補いあっているともいえます。

            (佼成9月号より引用)

             

            このお話を聞いて「違い」の価値に気づかされました。一般的に「違い」と聞くと対立やもめごとの原因と捉えがちですが、「違いがあるからこそ、それぞれに価値が生まれるのだと思いました。

             

            8月下旬、コンビニに立ち寄ると、なんと、おでんが販売されていました。残暑がまだまだ厳しいこの時期に「もう、おでんの季節?」と驚きましたが、「久しぶりに食べたいな」という思いも生まれました。ですが、やはり暑かったので結局、買いませんでした。さて、おでんと言えば、どんな具材をイメージしますか?大根・たまご・こんにゃくなど、どれも美味しいですよね。そして、お家によっては、必ず○○を入れるというこだわりの具材もあるかもしれませんね。ところが、もし、おでんに大根だけやたまごだけしか入ってなければどうでしょう。おでんの美味しさは、半減どころか、もはや、おでんじゃないと感じるかもしれません。つまり、それぞれの具材がそれぞれの持ち味を発揮し、補いあうことで、はじめて美味しいおでんが出来上がるのです。このことからも、「違い」によってお互いの良さが引き出され、もとの何倍もの力が発揮できるのです。

             

            今後、私自身の持ち味をより一層、生かし、生かされながら周りの人を明るく元気にしていきたいです。

             

            合掌

            滋賀教会 学生部長

            (会長先生ご法話 佼成9月号より引用)

            当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


            8月「会長先生ご法話」に寄せて

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               今月の会長先生のご法話は自分の「宝」を輝かせるです。

               

              〇自信をもちにくい時代

               私は青年男子部長のお役を頂戴しています。部員さんの悩みを聞かせていただくと、様々なジャンルの悩みがありますが、やはり仕事で悩みを抱えている方が多いように感じます。会社の中で仕事が遅い・出世が遅い・上司に言われた通りにノルマがこなせないで叱られる…と言った内容が多いです。

               

               仏教では、人と比べる見方がものごとを見る目をいかに曇らせるかを教えています。仮に人をうらやむ気持ちが生まれても、それを必要以上の欲望や無益な憎しみに発展させないよう、心を制御(コントロール)することが大切なのです。

              (佼成8月号より引用)

               

              私もその通りだと思います。人と比べるから苦が生じ、争いが起こり、結果、自信が持てなくなります。神仏は何もそのように生きる事を望んではおられません。いかに自分自身が人生の課題に気付き、全うし、魂(心)を成長させるかにあると私は思います。

               

              〇仏性を輝かせる

              今振り返ると、私は生まれて20歳くらいまでは平々凡々と暮らしてきたような気がします。20歳から30歳の間に挫折するくらいの愛別離苦・怨憎会苦を体験しました。自分を責め、相手を責め、周りの人間、環境まで全てを責めた時期があります。

              それは会長先生のご法話の中にあるように

               自分が不幸なのは世の中のせいだとか、他人のせいだといった思いこみにとらわれると、成長の糧となるはずの劣等感が愚痴の種に止(とど)まり、向上心に結びつかないのではないでしょうか。

              (佼成8月号より引用)

              と教えていただいている通りだと思います。

               でも、この佼成会とのご縁があったおかげさまで苦が神仏のご加護と感じることが出来、沢山のご縁をいただき、自分の人生のお役目にも気付かせていただく事が出来ました。人を恨んで生きる事もなく、寧ろ前より一層有り難く生きる事が出来ています。これが私にとっての「宝」(仏性)が輝いたと言えます。

              会長先生が「すべての人が仏の子であり」と書かれています。そこに気付く事が、自信を持って仏性を輝かせる第一歩だと私は思います。

               

              部員さんに神仏の存在を感じていただき、自分は神仏に護られているという事に気付いていただけるように、お伝えしていきます。それが神仏からいただいた私の使命だと感じています。これから心が有り難く変容される、輝いた青年が増えるよう努力、精進させていただきます。

              合掌

              滋賀教会 北東ブロック男子部長

               

              (会長先生ご法話 佼成8月号より引用)

              当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。

               

               

               


              7月 「会長先生ご法話」に寄せて

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                7月「会長先生ご法話」に寄せて

                 

                「自由自在に」生きる

                いつもブログを読んでくださりありがとうございます。

                ようやく梅雨入りが発表されたと同時に、台風の接近も発表され、被害が少しでも小さいように願うばかりです。

                 

                ほんとうの「自由」と「自在」

                私たちは、自分の思うままに行動できることを「自由」といい、それが「自在」な生き方だと思っています。そして、多くの人が「自由自在に生きられたら、どれほど幸せだろう」と考えます。別の見方をすれば、私たちが日ごろ、いかに不自由や不満を感じているかということです。

                ただ、ある意味でそれは当然のことです。自分の思いどおりにできることが「自由」だと思っていると、ままならない現実にぶつかるたびに不足や不満、苛立ちや苦しみを覚え、不自由な思いが募るからです。これは、「自由」を求めながら、逆に自ら不自由を招いているといえますが、不自由を感じるようなときこそ、ほんとうの意味の「自由」で「自在」な生き方を身につけるいい機会かもしれません。(佼成月号より引用)

                 

                南西ブロック女子部長というお役を頂いて10ヵ月が経ちました。私は仕事の都合上、教会へは平日に行くことがほとんどです。お役を頂いて間もない頃「平日に来られるときだけでも来てくれると、教会の雰囲気も明るくなるし、青年部さん頑張ってはるな〜って思ってくれはるよ」と言って頂いたことがきっかけで、可能な限り週に一度は教会へ行き、青年部活動の準備をするようになりました。同世代の部員さんと自分を比較し、不自由さを感じることもありますが、青年部活動を通し、たくさんの方と関りを持たせて頂く中で、仲間を思いやり、共に向上を目指すことのなかに「自由」があり「自在」があるのだと学ばせて頂きました。

                 

                「三界は我が有なり」の気持ちで

                たとえばいま、目の前に、おにぎりが二つあるとします。あなたに与えられたものです。ところが、まわりにはあなたと同じくらいお腹を空かせた人が四人もいます。

                「諸苦の所因は 貪欲これ本なり」と経典にありますが、もらったあなたが自分一人で食べたいと思う気持ち(貪り)も、もらえなかった人たちがそれを恨んだり妬んだりする感情(瞋り)も苦悩の一つです。だからといって、足りないぶんのおにぎりを仏にプレゼントしてもらうのが「智慧の楽」ではないでしょう。そうではなくて、その不足がもたらす苦悩を、自他の向上につながる楽しみや喜びとして受けとめるようになるのが「智慧の楽」ということです。

                自由ということでいえば、私たちにはつらいできごとを「前向きにとらえる自由」も与えられているといういい方もできます。苦しいときでも、それをまるごと受けとめて、目の前にある小さな幸せをかみしめたり、喜びを人と分かちあったりすることで、苦悩を楽しみに変えていく―それが、ほんとうに「自由自在」な生き方だと思います。(佼成月号より引用)

                 

                先月、青年部のスタッフさんが行事の準備をしに教会へ行かれた際に怪我を負い1ヵ月入院されることになりました。入院されている間、他のスタッフで不在を補ってはいましたが、本部への提出書類や支部長さん方への確認事項、その他普段やってくださっていること等、私の知らないことがたくさんありました。そういうお役だからと言えばそうなのですが、青年部のスタッフさんは会社でも中堅と呼ばれる立場の方がほとんどです。頂いたお役を責任もってさせて頂くことも大切なことではありますが、部員さんの悩みや苦しみを聞かせて頂くだけでなくスタッフ間でも悩みや苦しみを分かち合い、助け合い、一緒に向上を目指すことが大切なのだと気づかせて頂きました。

                 今月学ばせて頂いたことを胸に刻み、青年部一丸となって、8月の知覧(鹿児島)平和学習に臨ませていただきます。

                2つのおにぎり、私なら、全員で笑顔で分け合います。

                あなたならどのようにされますでしょうか。

                合掌 

                        南西ブロック女子部長


                (会長先生ご法話 佼成7月号より引用)

                当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。

                 


                6月 「会長先生ご法話」に寄せて

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                  6月「会長先生ご法話」に寄せて

                   

                  『仏の教えを習い、学ぶ』

                   

                  田植えも終り、緑のジュータンが敷かれたような、目にさわやかな風景が広がっています。

                  その隣で、小麦が黄色く色づき、これからの収穫の時期を待っています。

                  その自然の織り成す風景を楽しみながら6月も元気に精進させて頂きます。

                   

                  「習学」は日常のなかに

                  「諸仏の法是の如く 万億の方便を以て 宜しきに随って法を説きたもう 其の習学せざる者は 此れを暁了すること能わじ」。仏は、たくさんの手だてを使って、常にそれぞれの人にふさわしい法を説いているのですが、「習学せざる者」は、そのことに気づくことができないというのです。逆にいうと、「習学」をすれば、いつでも、そのとき自分に必要なお諭しに気づけるということです。

                  (佼成6月号より引用)

                   

                   私は文書布教部のお役を頂き、毎日教会に来させて頂いています。朝の9時のご供養に入らせて頂いていますが、ご供養後の「教会法座」に座って自分のことを話したり、また発表される方の話をじっくり聞くことはありませんでした。一刻を争うような悩みもなかったこともあり、毎日起こってくる小さな事は“まぁいいか” と置き去りにしていた私でした。今月の会長先生のご法話を拝読させて頂き、私自身たくさんの習学するチャンスを逃していたのだと気づかせて頂きました。これからは「教会法座」に入らせて頂き学びを深めて行きたいと思います。

                   

                  実践してこそ「習学」

                   日々、私たちの周囲で起こるできごとは、仏が「万憶の方便」を駆使して説く法にほかなりません。受けとめようとする心があれば、だれでもそれに気づくことができます。

                  ただ、「習学」は知識を得るものというよりも、実践を繰り返すなかで「仏の教えにそった生き方を身につけていく」ものです。

                  (佼成6月号より引用)

                   

                   先日、年回供養のお導師のお役を頂きました。供養させて頂いた方は、奥さんの実父、継母、夫の両親と兄弟の5人の方です。奥さんは自分の母親が産みの親でないことを、小学4年生ぐらいで知り、厳しく育てる継母に反感をもって育ったそうです。教会で法華経のお勉強を学ぶご縁を頂き繰り返し、繰り返し学びを深める中で、継母と心を通い合わせることが出来「亡くなるまで献身的な介護が出来ました」と嬉しそうに話して下さいました。

                  年回供養のお役を頂いたおかげさまで、仏さまの教えにそった生き方を実践し繰り返し習学することの大切さを学ばせて頂きました。

                   

                  合掌 

                          文書布教部部長


                  (会長先生ご法話 佼成7月号より引用)

                  当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


                  5月「会長先生ご法話」に寄せて

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                     新元号(令和)を迎える5月にブログのお役を頂き、ありがとうございます。新しい時代に平和で穏やかな日々が送れることを願います。

                     今月号の会長先生のご法話 「なぜ、苦しみが絶えないのか」を拝読し、読み書きが苦手な私にとって、ブログのお役を頂いたことはまさに四苦八苦することです。

                     

                    〇「苦」と「苦しみ」の違い

                     釈尊はしかし、この「苦」を、いま私たちが一般的に使う「苦しく、つらいこと」という意味で示されたわけではなさそうです。「苦」の語源は「思いどおりにならないこと」を意味する「ドゥッカ」という言葉ですから、先の八苦はどれも、「自分にはどうすることもできないこと」を示しています。ところが、それを「なんとかしたい」と望み、そのことにとらわれて諦めきれないと、心に「いやだ」とか「つらい」といった感情が起こってきます。そのとき「苦」は、身心を苛(さいな)む「苦しみ」に変わるのです。

                    (佼成5月号より引用)

                     

                     満開の桜をながめていたのもつかの間、私にとって忙しい一年が又、始まりました。

                     好きで始めた稲作。楽しみでもあり、苦しみの原因でもあります。年々面積が増え、仕事との両立、教会では壮年部長のお役を頂き、その合間をぬいながらなので、とても私一人ではまかなえるものではありません。

                     家族はもちろん、周りの方々の応援がなければできないことです。肌寒い4月2日の夜、私、妻、長男夫婦、長女、次男夫婦、孫の8名で播種作業を始めました。ボンボリのついた桜を農舎からながめながら、あーでもないこーでもないと楽しく色々な話をしながら作業をしました。途中、機械の調子が悪くなるというアクシデントもあり、夜中の0時までかかりましたが、みんなで助け合うことで苦が楽しみになり、それが喜びにかわり、幸せを感じる時間でもありました。

                     

                     

                    〇「苦」は「智慧」の湧く泉

                     「苦」から逃げずに、それをそのまま受け入れる覚悟ができると、その「苦」は「智慧」の湧き出る泉ともなります。私たちが本来もっている「智慧」がはたらきだすには「苦」が必要だったと受けとれば、「苦」は楽しみに向かう大切な道しるべとなり、その「苦」も抜き去られるのです。

                     これが、「苦」があっても苦しまない生き方といえるでしょう。そしてそのことを、仏教では四諦の法門など数々の教えで伝えています。ただ、それらを学んでも、私たちはいざ苦に出会うと悩み苦しむのですが、それでもいいと思うのです。苦しい思いをしなければ、仏さまの教えという「幸せにつながる道」を歩んでいないかもしれないのですから。

                    (佼成5月号より引用)

                     

                     しかし、「苦」はまたすぐにやってきます。平日は仕事、土日や夜は教会のお役があったりで、「いったい私はいつ田んぼを耕し、植えることができるのか」次なる悩みがやってきます。そして、自分の思い通りにならないことにイライラを募らせます。周りからも「いつ植えるのか、予定がたたない」と言われるとイライラが今度は怒りに変わるのです。

                     そこに、救いの手を差しのべてくれるのが長女です。みんなの予定を聞いて、「この日とこの日は人数が大勢集まるからあそこの田んぼを植えて、この日は2人しかいないから2人でできる田んぼにしよう」と段取りをしてくれ一晩で問題が解決するのです。悩んでいたことがスッキリとし、私の体にスイッチが入り、イライラと怒りがスーッと消えていきます。娘のやさしさに気づくとともに、私一人が頑張っているように思っていたのですが、娘の段取りはまさに智慧を下さる仏さまです。

                     現在、家族のほかに草刈りをして下さるスタッフ7名がいて下さり、感謝させて頂きながら、悩み苦しむ百姓ではありますが、幸せにつながる道しるべになり、その道を歩かせて頂いていることを実感し、今日も仕事帰りトラクターに楽しく乗っている私です。

                                                     合掌

                                              滋賀教会 壮年部長

                    (会長先生ご法話  佼成5月号より引用)

                    当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


                    4月「会長先生ご法話」に寄せて

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                       今年も早や、桜咲く四月 お釈迦様の生誕を祝う「降誕会」の月、そして、社会人、学生さんも新しいスタート月 自然界の草花が開花し、私達も心軽やかに、心を開花させたいものです。

                       今月の会長ご法話は、香る風のような人に」です。

                       

                      ○心に香風が吹きわたる

                       

                       その喜びにも通じる言葉が、法華経の「序品」にあります。「栴檀の香風 衆の心を悦可す」 この一節を開祖さまは「仏さまの香風が衆生の心の中に入ってくると大歓喜が生じる」と、簡潔に説明しています。

                       仏の教えに出会えた私たちは、その教えを聞き、学び、実践していくなかで、数々の気づきを得ます。いやだと思っていた人やものごとに感謝ができるようになったり、それまで幸せだと感じていたことは自己中心の思いにすぎなかったと気づいたりして、生き方が変わるのです。

                      (佼成4月号より引用)

                       

                       私も、この教えに出会えてなかったら、お役を頂いていなかったら、人を恨んだり、軽蔑したり、落ち込んだりしている日々を過ごしていたと思います。

                       お陰様で、生き方が変わりました、本当に感謝で口では言い表せないくらい、有難い日々を送らせて頂いています。

                       

                       ○みんな「徳のある人」

                       

                       法句経に「徳のある人びとの香りは風に逆らっても進んでいく」「徳のある人はすべての方向に香る」とあるように、人の心を「悦可」するには「徳分」が必要という見方もできそうです。よく「私には徳がない」とか「あの人には徳がある」といったりしますが、修養や善行の積み重ねが「徳分」を身につける決め手なのかもしれません。

                      (佼成4月号より引用)

                       でも、会長先生は、私は、そういいきれないとも思うのです。と、ご指導頂いてます。

                       

                       私たちがいま、この世に一つの命を授かって生きているというのは、大自然の徳はもちろん、先祖や親の徳をいただいているからです。一人ひとりが、すでに豊かな徳を具えているということです。ですから、私たちは自らの「徳分」に気づけばいいだけです。気づいて、それを成長させれば、だれもが香風を運ぶ「徳のある人」になるのです。

                       そこで大切なのは「有り難い」という気持ちです。なにごとにも感謝を忘れない素直で謙虚な人には、自然に人が引き寄せられます。

                      (佼成4月号より引用)

                       

                       私たちは90%目に見えないものに、生かされているのに、あとの10%の現象世界にバタバタしているのだと聞かされたことがあります。私も、この教えのお陰さまで、幸せになる秘訣を教えて頂けました。幸せは独りでは味わうことはできないのです。

                       この生かされているいのちを、この世に生きるすべての人とともに、人さまのためにどう使わして頂くか。

                       今月お釈迦さまのお誕生をお祝いし、自分の誕生の不思議さを味わって、この生かされているいのちを輝かせるのも、曇らせるも自分次第だと受け取らして頂きました。

                       いつも 未熟で愚かな存在と自覚して いのち いっぱい 生きて 大きな花を咲かせたいです。

                      世界が平和になりますように。

                                      合掌

                                 滋賀教会 渉外部長

                      (会長先生ご法話 佼成4月号より引用)

                      当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。

                                      



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