平成29年次7月15日盂蘭盆会式典/釈迦牟尼仏ご命日ならびに布薩の日

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    日時 平成29年7月15日(土) 午前9:00〜

     

    ●後藤教会長おことば

     

    ●当日の板書

    ( ..)φメモメモ


    平成29年次7月1日布薩の日ご命日式典

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      日時 平成29年7月1日(土) 午前9:00〜

       

      ●後藤教会長おことばと佼成確認(動画)

       

      ●当日の板書

      ( ..)φメモメモ


      7月「会長先生ご法話」に寄せて

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        本格的な夏を感じさせる季節となりました。佼成会では6月から下半期に入り、会長先生の年頭のお言葉「有り難し」をどう感じ、どう実践させて頂いているのかを振り返らせて頂きたいと思います。7月の会長先生のご法話は「相手を認め、讃える」です。

         

        「いのち」をする

         人のすぐれているところをほめることを、一般に「讃える」といいます。では、その「すぐれているところ」とは、何を基準にしてそういえるものなのでしょうか?

        ふつう私たちは長所を指して「すぐれている」といい、その人を認め、讃えます。ところが釈尊は自分の生命を奪おうとした提婆達多を「善智識」と讃え、世間の常識とは異なる見方かもしれませんが、ここには人を認め、讃えるときの大切な着眼点が示されています。

         

        釈尊がどれほど罪深い人に対しても讃えることを忘れなかったのは、相手に仏・菩薩の徳の輝きを見ていたからにほかなりません。仏法を学ぶ私たちにとって、人を認め、讃えるとは、相手の「いのち」を賛嘆することではないでしょうか。人とふれあうときに、相手のすぐれたところを見る心がけとともに、私たちはお互いさま、本来、仏・菩薩の徳を本具する「いのち」であることを忘れてはならないと思います。

         

        日々の中で、価値観が違う相手や批判する人に出会いますと、「なんでそんなこと言うのかな」と、どうにも受け入れられず、苦しくなります。ほめるどころではありません。そこには相手を変えよう、自分の思うとおりにしたいという自己中心が働いています。

         

        会長先生は、相手の言動や性格にとらわれると、もともと讃えるのに値する仏性という大切な視点を忘れてしまいがちと教えてくださいます。

        では、どうしたらほめるとか讃えることができるのでしょうか。

         

        ノウハウや言葉ではなく

        ほめるとか讃えるというと、最近はとくにテクニックとしてのそれがもてはやされ、人材育成や子育てのマニュアルには「ほめる」効用があふれています。相手をほめるというのは、自分の心を開くことです。

         

        素直に相手を認め、讃えていく気持ちが、人と打ち解けたり、和やかな関係を築くことになるのでしょう。

        その意味では、人を認めて讃えることも、じつは人のためではなく、自分を磨く実践の一つといえるかもしれません。

        けっしてノウハウや上手な言葉ではなく、自他のいのちの尊重と、相手の成長を心から願う気持ちに尽きるように思うのです。

         

        相手を認めたいと思っても、それが出きない時、そこで自分の枠や器の広さを知ることになります。

         

        お隣の方が、私の家との境に大きな樫の木を3本植えています。年々大きくなり、うちの2階のベランダに覆いかぶさる様になりました。だんだん陽も当たらず風も入りづらくなってきました。何とかこちらに入っている分だけでも切って頂けないかと申し入れましたが、「切る時期では無いので、時期が来たら切ります」との返事です。

         

        なんと理不尽な、こんな山の木に切る時期なんてないし、枯葉もうちの方にたくさん落ちてきます。私ではまったく聞き入れてもらえないので、主人にも言ってもらいましたが、頑として譲らないのです。だんだん腹が立ってきましたが、隣近所でもめたくない気持ちも有り、不承不承なりゆきに任せてきました。

         

        ある日、ばったり出会いましたので「お忙しいのですか?」と聞かせていただくと「母の介護があります。時間ができたら必ずやりますから!」と。その人の行動や言動や性格にとらわれると、もともと讃えるに値する「仏性」や相手の「いのち」を認めていくことができないと会長先生は教えて下さいます。

         

        私は相手の言動にとらわれて、自分の思うとおりにならないやっかいな人、非常識な人と思っていました。しかし、今回の事を通して、ただ一人で一所懸命、年取ったお母さんを介護されている相手の仏性を拝み、讃えていくことで、自分を磨くという実践がさせて頂けるご縁を頂いていたのです。

         

        後から、近所の方から彼女が、自分の2階の窓から身を乗り出して枝を切っていた事を聞かせて頂きました。仏様から頂いたありがたいご縁に、私から心を開き、声をかけさせて頂きます。

         

        開祖さまと会長先生のお背中を流されている時のふれあいが、相手を認め、讃えることについて、何が大切なのかを私に示してくださり、思わず涙しました。

        ありがとうございました。

         

                   合掌 大津支部 支部長 

                (会長先生ご法話  佼成7月号より引用)

              ※当月の会長先生ご法話はこちらからご覧いただけます。


        立正佼成会滋賀教会平成29年6月15日(釈迦牟尼仏ご命日)

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          日時 平成29年6月15日(木) 午前9:00〜

           

          ●後藤教会長おことば

           

          ●当日の板書

          ( ..)φメモメモ

           


          6月「会長先生ご法話」に寄せて

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            変わりなく毎日繰り返す日常も、会長先生のご指導をかみしめさせていただくと、教えを生かしているのか生かし切れていないのか、はっとさせられます。

            今月も会長先生より学ばせていただきたいと思います。

             

               「愚痴をいわない」

             

              【「 知っている 」という思いこみ】

            不都合なことに遭うと、私たちは不平不満を口にしがちです。

            俗にいう「愚痴をこぼす」ですが、この「愚痴」という熟語の二文字は、どちらも「おろか」を意味します。

            「痴」のほうは自分の知っていることがすべてと思いこみ、全体がよくわかっていないことからくる「おろかさ」ということです。

            「愚」は、まわりくどく、心のはたらきの鈍い「おろかさ」を示しているとでもいえるでしょうか。

            また、愚痴には「いっても仕方がないことをいって嘆くこと」という意味があります。

            確かに私たちは、いってもムダと知りつつも不平不満をいい、ときには思いどおりにならないことを人のせいにしてまで愚痴をこぼすのです。 

            私たちがなぜ、そこからなかなか抜けだせないのかといえば、自分の知っていること、思っていること、考えていることが「絶対に間違いない」という錯覚にとらわれているからです。まさに、「私は知っている」という病気にかかっているのです。

             

            毎日生活をしていると色んな人や物と出遭いますが、先日、新しく入った職場の若い方が、元気が無いので心配して声をかけたところすごい剣幕でまくしたてられ私も周りに居た人も大変、驚きました。

            前日に、仕事のことで注意をされがきっかけだったようです。

            しかし、その様な事を言われるような方に見えなかったので、心配よりも「なんで,あんなこと言うんやろう」「話しかけるの怖いな」と自分に起きた不都合な出来事に、言葉に出さなくても心の中で愚痴をこぼしていました。

             

              【道理がわかれば】

            「私が正しい」「私は知っている」という気持ちが愚痴の原因の一つだとすれば、その心を省みることにより、不満や文句が少なくなりそうです

            そして、反省することによってものごとに対する洞察が深まると、不平や不満の対象としか思えなかったことが、「仏の説法」と受けとれるのではないでしょうか。

            日ごろから仏の教えに親しんでいると、愚痴をこぼしそうなときでも、智慧の心がそれを鎮めてくれる、経文にあります。

            「愚痴多き者には智慧の心を起さしめ」という一節ですが、愚痴の対象が「自分に大切なことを教える仏の説法だった」と思えたとき、そこには智慧の心がはたらいているといえそうです。

             

            日ごろから仏さまの教えを聞かせて頂いているのに、先日の職場での出遭いを通して、「怖いから近づかないでおこう」と浅はかに思った訳です。しかし、相手の心に寄り添うと…すごい剣幕をまくしたてるほどの思いを抱えていることが有るのではないかと見方を変えると、一生懸命に仕事を覚えようとされてる姿がみえてきました。

            怖い気持ちがなくなったわけではありませんが、智慧を得るには『六波羅蜜』の行じ方の順番である布施⇒持戒⇒忍辱⇒精進⇒禅定⇒智慧 へと進んでいくと教えて頂いているように、まず私から爽やかに朝の挨拶からはじめていきたいと思います。

             

            それでも、会長先生は次のようにご指導くださってます。

             

            仮に、ついうっかり愚痴が出そうになったときでも、観音さまのような慈悲の心・人に対する思いやりの心が、自分勝手な言葉や行動を押しとめてくれるでしょう。

            それでも愚痴をこぼしそうになったら、「智慧がはたらく チャンスだ」と気持ちを明るく切り替え、あるいは日々の 読経供養をとおして心を見つめなおして、真理にそった ものの見方・受けとめ方に立ちもどればいいのです。

             

            今月も、ご指導に基づいた生活をおくっていけるよう精進いたします。

             

            有り難うございました。

                                       合掌

             

                              近江八幡支部 支部長

             

                      (会長先生ご法話  佼成6月号より引用)

             

                ※当月の会長先生ご法話はこちらからご覧いただけます。


            5月「会長先生ご法話」に寄せて

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               若葉のころ、色とりどりの花が咲きほこり、山々には新芽が芽吹き萌木色のベールにおおわれる季節となりました。

              大自然の中に身をおくと身心がほんわかとほのぼのとしてきます。

               さて、今月会長先生から頂いたご法話は、「させていただく」です。

               

                     させて いただく

               

                 【無限のつながりのなかで】

               今月のテーマである、「させていただく」について、

              会長先生は、工学博士の森政弘先生のお言葉を引用下さり仏教では『させていただく』という受け止め方をするが、それは、なにごとも自分の力だけではできないからである」 (中略)

              又、曹洞宗の青山俊董師のお言葉からは、「この世界の一切のことは、どんな小さなことも漏れることなくぶっつづきに、あいかかわりあって存在する」とわかりやすく説かれています。

               ものごとはすべて、かかわる縁の作用で生じたり滅したりする。―――すなわち縁起ということです。このような宗教的な世界観から生まれた表現が「させていただく」なのです。

               その意味でこの言葉には、本来、私たちを常に「生かそう、生かそう」とはたらいてくださる大いなるものに対する、感謝の念が含まれているといえます。「おかげさまでさせていただくことができます」という気持ちです。 (中略)

              佼成会ではよく使われる表現だけに、「あらゆるもののおかげさまで」という気持ちから、自然に「させていただく」といえる私たちでありたいものです。

               

              ここまで読み進み、心から「させていただきます」といってるだろうか?口先だけではなかっただろうか?と自分の言動を振り返りました。すると、形だけで言っている私に気づくことができました。そんな私の心にピッタリのおことばを、会長先生は次のように下さっています。

               

                 【仏さまへの感謝】

               私たちは、ふだん何気なく「させていただきます」と口にします。それは、先ほどお話ししたように、「おかげさまでとりくむことができます」「させていただけることがありがたい」という気持ちのあらわれです。ところが、この「おかげさま」や「ありがたい」を忘れてしまうと、「している」とか「してやる」といった自我が顔をだします。ものごとは形がとても大事であるといわれますから、繰り返し「おかげさまで、させていただけることがありがたい」と口にしていれば、縁起の教えがしっかりと胸に刻まれ、いつでも心からそういえるようになるのではないでしょうか。理想をいうと、そうなれば「させていただく」その感謝の実践は、仏・菩薩の遊戯三昧(ゆげざんまい)のようなとらわれのないうれしさ、楽しさにつながりそうです。

               

               忙しく毎日を過ごしていますが、おかげさまで健康を頂き家族に支えられ日々を送らせて頂いてます。しかし、食事の準備、洗濯など惰性に流されいつの間にか「している」、「してあげてる」と知らず知らずのうちにそんな思いになっている自分の心の姿勢に今回気付かせて頂きました。主人、子供がいてくれるおかげさまで、洗濯も料理もさせて頂けていると思うと、家族への感謝の思いが深まってきました。

               又、我が家の前の桜の花も終わり、がくが舞い落ち玄関先や、ガレージを覆いつくしてます。その上お隣さんの葉っぱが強風で飛んできて山のように吹きたまってます。いつもいつも隣の葉っぱに悩まされ、「なぜ今葉っぱが落ちるの!」「切ってくれればいいいのに‼」「一言ごめんねと言ってくれれば!!!」と思って掃除をしていました。しかし、今回のご法話を頂き、「おかげさまでさせていただけます。」「ありがたくさせてもらいますね。」そう思いながら、言いながら掃除をしていくうちに本当にありがたくなり、うれしくなり、清々しくなったのです。葉っぱを掃きながら、私の心の埃(愚痴や怒り)も清めさせて頂いているんだと思いました。

              全ての現象には無駄なものは無いと教えて頂いてます。出会うご縁を大事に、「おかげさまでさせていただけることがありがたい」と口に出し今月も歩ませて頂きます。

              ありがとうございました。

                                            合掌
                                        甲賀支部 支部長
                               (会長先生ご法話  佼成5月号より引用)

                       ※当月の会長先生ご法話はこちらからご覧いただけます。
               


              2月「会長先生ご法話に寄せて」

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                滋賀教会では平成29年次寒中読誦修行が121日から23日までの14日間行われています。始まって早々、何年かぶりの大雪が降り積り、予定していた通りに事が進まず大変でした。しかし色々な変化が生じてくることで、教会長さんより頂いた寒中読誦修行の心構えの中で、「寒さの一番厳しい時に、難行・苦行を乗り越え、小さな我を捨てること」を、そして「自分ではどうすることもできないことを受け入れていくこと」を、自然の中から学ばせて頂きました。

                今月の会長先生のご法話は
                「気にしない人」 です。

                 
                すべては仏のおはからい

                私たちはふだん、いろいろなことを気にして暮らしています。そして、気にする必要のないことや、気にしても仕方のないことにとらわれて、悩んだり苦しんだりしていることも多いようです。日ごろ、人からの評価やうわさ話にふり回されていらいらしたり、まだ起きてもいない先のことを心配して心を曇らせたりすることはないでしょうか。

                同居している主人の母は、心臓が悪く定期的に診察を受けています。
                先日から具合が悪く寝込でいる母の体調を心配しながらもそれと同時に、2月には東京に行かなくてはならない用事があるのに、こんな状態で参加させて頂けるのかなと、まだどうなるかわからない先のことにとらわれる心が一瞬にして湧いてきました。

                私たちはつい、権威や世俗の価値に照らして人と自分の評価を比べ、さらにはものごとを損得勘定で判断しがちです。ところが仏教では、出会う人も、身の回りで起きるできごとも、すべてが、私たちに大切なことを教える仏のはからいであると教えています。ものごとをそのように受け止めると、そこに優劣や序列や損得はありません。したがって、そういうことにとらわれる必要もないのです。

                気にする必要のないこと

                わたしたちは、自分ではどうすることもできないことを気にして悩みます。気にしたところで自分ではどうすることもできません。つまり、気にしても仕方のないことです。しかし、そうとわかっていても、私たちはいろいろと気にして悩み、その結果、不安や不満をかかえこんで苦しむのです。一休さんや良寛さんのような「気にしない人」に本質的に変われたら、いつでも安心して生きることができます。幸いなことに、本誌を手にされているみなさんは、二人が求めたのと同じ仏の教えに縁のある方々です。諸行無常、諸法無我、一切皆苦といった仏教の根本とともに、すべてを仏のおはからいと見ることや自らを深く省みることを繰り返し学ぶことで、「気にしない人」に自ずから変わっていくのだと思います。

                ところで、私たちは気にしても仕方のないことまで気にするわりに、つねに心にとめておきたい大切なことは忘れがちです。その一つは「いま」です。過去や未来を思い煩うのではなく、「いま」をもっと大切にいきましょう。そして、人を思いやることを日々実践していきたいものです。

                教務部も忙しく、用事を一度にお願いされることもあります。
                こなす事だけにとらわれると、不安や不足の心、また相手を責めるこころが出てきます。
                会長先生より信行方針の中で「本年も現実の繁雑に陥ることなく…」とご指導頂いております。
                目の前の事を丁寧に、でてきた現象は仏さまからのプレゼントと有難く受け取れる私になれるよう、今年一年精進させて頂きたいと思います。

                                     合 掌

                                 滋賀教会教務部長

                          (会長先生ご法話
                  佼成2月号より引用)

                1月「会長先生ご法話」に寄せて

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                  皆さま、明けましておめでとうございます。

                  昨年は開祖さま生誕110年、そして開祖さまから会長先生へ法灯が継承されて25年という節目の年を皆さまとお祝いさせて頂きました。皆さま誠にありがとうございました

                   本年は会長先生から次のような信行方針を頂戴しました。

                   
                   
                  本年も現実の繁雑に陥ることなく、いつも大切なものごとに集中するよう工夫を凝らし、「テーマ」を持って布教に取り組みましょう。

                  釈尊が教えてくださった「有り難し(ありがたい)」「感謝(ありがとう)」のこころを、日常生活の中で表現し、実践してまいりましょう。

                  私たちは、仏さま及び開祖さま・脇祖さまの人を慈(いつく)しみ思いやるこころ、人間本来のこころ(明るく 優しく 温かく)を持って、菩薩道(人道?じんどう?)を歩んでまいりましょう。

                   

                  信行方針の中では、常に大切なものごとに集中できるよう工夫を凝らし、「テーマ」を持って取り組んでいくことの大切さを教えていただきました。滋賀教会としては、本年は大きな節目を迎える年ではありませんが、教団創立80周年(平成30年)を迎える前年でもあり、20年前に掲げられた総合目標『一人ひとりの心田を耕す佼成会』の締めくくりの年です。このような時こそ私たちがどのように過ごして行くかが大事になってきます。


                  滋賀教会としては、メインテーマ「『
                  明るく、優しく、温かい』自分・家庭・仲間づくりができる滋賀教会 〜つながろう!私から。つなげよう!大切なあの方に〜」をもとに、工夫を凝らし、心を合わせ精進していきたいと思います
                   
                  さらに本年は、釈尊が教えてくださった「有り難し(ありがたい)」「感謝(ありがとう)」のこころを日常生活の中で表現し、実践していくことの大切さを教えてくださっています。
                   それではどのように実践していくことが大事なのでしょうか。
                  それが、
                  佼成1月号の会長法話地道に、淡々と』ということが大切になってくると受け止めました。


                  『地道に、淡々と』

                   私たちは新しい年を迎えこのような一年にしていこうと目標を立てますが
                  日々の忙しさに紛れて、自分の目標、なすべきことを見失ってしまいます。そのことに対して会長先生が次のようにお示しくださっています

                  ○大自然に学ぶ
                   「元旦の雪といへども卸さねば」(広中白骨)の句が示すように、どのようなときでもなすべきことをていねいに行なう心のゆとりと落ち着きをとり戻すことが、いま私たちには必要なのではないでしょうか。時間に追われ、効率や成果にふり回されることなく、地道に、淡々とやっていく。そこに人間らしい生活やほんとうの幸せがあるように思うのです。
                  なにごとも急がず息(や)まず、循々(じゅんじゅん)と行なっていくなかに、人としての成長があるのだと思います。
                   
                  私自身、この原稿を書くことにとらわれ、年末に家族と過ごしていても、心のゆとりがなく、家族、特に子供たちの話に耳を傾けることが足りずにお互いに寂しい思いをしました。そのことを内省し、どのようなときでもなすべきことをていねいに行なう心のゆとりと落ち着きをとり戻すことが、大自然に生かされている私たちが学んでいくことと受け止めています。

                   それでは、地道に、淡々とていねいに行っていくもとになるのは何なのでしょうか?そのもとが次の内容であると思います。

                   
                  ○志を立てる

                   志に随っていま目の前にあることの一つ一つにていねいに向きあえば、その歩みはたとえ地道ではあっても、必ず実を結ぶということです。また、志があればものごとに一喜一憂しない余裕が生まれるので、落ち着きのある淡々とした生き方にもつながるはずです。

                   ただ、志に基づく実践といっても、人それぞれ、まさに分に随ってどのようなことでもいいのだと思います。

                   

                   まずは志を立てること。その志に随って目の前にあることの一つ一つにていねいに向きあっていくことの大切さを教えていただきました。各々志を立てていると思いますが、もしまだ志を立てていない方がいらっしゃったら、信行方針の中に示されている、「仏さま及び開祖さま・脇祖さまの人を慈(いつく)しみ思いやるこころ、人間本来のこころ(明るく 優しく 温かく)を思い出していただき、その「こころ」を発揮していくことを志にしていくといいのではないでしょうか。


                   私自身、本年は
                  「仏さま及び開祖さま・脇祖さまの人を慈(いつく)しみ思いやるこころ、人間本来のこころ(明るく 優しく 温かく)」を基に、今、目の前の方に喜んでもらえる存在になりたいと思います。具体的には、相手の話をていねいに聴き、「有り難し(ありがたい)」「感謝(ありがとう)」を日常生活の中で伝えていくことを、地道に、淡々と行っていきたいと思います
                   さらに今年も皆さま一人ひとりを敬い、また、皆さまからいろいろと教えていただきながら、日々気づきと学びと感動を味わい合い、精進していきたいと思っています。
                   今年一年どうぞよろしくお願い申し上げます。

                   

                                              合掌
                                           教会長 後藤益巳
                            (会長先生ご法話
                    佼成1月号より引用)
                   


                  12月「会長先生ご法話」に寄せて

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                    木枯らしがふき、初雪の知らせが届く季節となりました。

                    新しい年に、新鮮さとドキドキの高揚感を持って、真新しいカレンダーと向き合った時が、ついこの間の事のようです。光陰矢のごとし、12月、あと、一枚のカレンダーです。

                    さて、皆様にとってどの様な一年でしたでしょうか?

                    笑ったり、泣いたり、怒ったり、支えたり、支えてもらったり。たくさんのご縁を結ばれたのではないでしょうか?

                    12月今月の会長先生のご法話は

                    「仰いで天に愧じず(あおいでてんにはじず)」です。

                    えっ・・ことわざ、どんな意味でしょう?と、読み進めさせて頂くうちに熱いものが胸にこみ上げてきました。年の終わりに、また会長先生より道しるべを頂きました。

                     

                    〜やましいことはないか〜

                     

                    仏教で十界互具と説くように、人はみな、心の中に欲得づくの「私」もいれば、清廉潔白な「私」もいます。地獄や餓鬼のような、自己中心で浅ましい心から、思いやり深く、人に尽くすことを喜びとする仏・菩薩の心まで併せ持っているのが人間であるというのです。(中略)

                    だからこそ、いつも「自分にやましいことはないか」と省み、仏・菩薩の心に帰ることが大切なのではないでしょうか。

                     

                    いつもいつも帰る心は、仏であり菩薩でありたいと思います。何か批判されたり、指摘されたりすると先に自己防衛の心が起き、自己弁護の言葉になって、言われまいという防御の鎧をまといます。するともう言ってくださる方の言葉が素直に聞けません。

                    自己中心になっていないか、孤立していないか、調和を乱していないか、と正直に自分を省みることが必要です。それがなかなか難しいのですが、会長先生は難しいからこそ、日々の過ごし方が大切であり、成長があると教えてくださいます。

                     

                    〜恥じるところに向上がある〜

                     

                    神仏を仰ぎ、敬い、神仏と向きあうときに生まれる「自分はまだまだ至らない」という慙愧の思い。それは釈尊が「恥じることを知る心は、どのような衣服よりも人を清く、美しく飾る」といわれるとおり、私たちの人間的成長に資する原動力となるのです。その意味で「仰いで天に恥じず」とは偉大なるものに少しでも近づこうとする人間性豊かな生き方といえるのです。

                    神仏にも人にも自分にも、いつも誠実を胸として生きることが大切だと思います。人には礼を忘れず、当たり前のことを当たり前に行う。そして人を思いやる心を忘れなければ、やましいことのない晴れやかな心で日々を過ごすことができるのです。

                    それでも道に迷いそうになることがあったら、まず人様の心を大切にしましょう。

                    人は懺悔と思いやりの心の繰り返しによって、少しずつ成長していくものなのかもしれません。

                     

                    神仏にも人にも自分にも愧じない生き方、そのためには、謙虚であること、目の前の人の言葉に耳を傾け、思いを寄せ、当たり前のことを当たり前に行っていくことだと思います。

                    そして、迷った時は、人様の心を大切にしていただろうか、思いを汲んでいただろうかと、立ち止まり、反省し、少しずつでも成長していきたいと思います。

                    支部長のお役を頂いて、あっという間に一年が過ぎました。これで良いのか?大丈夫か?と迷っている私にとって「仰いで天に愧じず」は、一生忘れ得ないお言葉となりました。

                    開祖さま生誕110年の年の終わりに、仏さま、開祖さま会長先生の教えを胸に、澄み切った空を見上げて、開祖さまのお示しくださった道を皆さんと共に歩ませて頂きたいと思います。来年も皆様にとって素晴らしい年でありますように。よろしくお願いいたします。 
                                              合掌
                                          大津支部 支部長
                                           (会長先生ご法話  佼成12月号より引用) 

                    11 月「会長先生ご法話」に寄せて

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                      11 月「会長先生ご法話」に寄せて

                      笑顔が幸せをつくる
                      開祖さま生誕会、七五三参りを迎える11月、木々の葉も色付き始め日ごとに秋の深まりを感じます。
                       
                      開祖さま生誕110年を迎える今月に、開祖さまのような素敵な笑顔のわたしになれるようなご法話を会長先生よりプレゼントして頂けたと思わせて頂きます。
                       
                      11 月の会長先生のご法話は
                             「笑顔が幸せをつくる」 です。
                       
                      【笑顔も精進のひとつ】
                       
                      開祖さまのいつもニコニコしている秘訣について、 我の鎧兜を捨てて裸になる、つまり正直になると、気持ちが楽になります。そうなれば、どのような時も笑顔でいられる?― と教えて頂きました。
                      私が嬉しい時楽しい時は笑顔になれますが、思い通りにならない事が起きたり、苦手な事にぶつかった時、笑顔をすっかり忘れてしまっています。
                       
                      開祖さまにとっては「ニコニコ顔」もまたひとつの精進であり、それがやがてほんとうの笑顔に昇華されていったということでしょう。見方を変えれば、それは辛いできごとをすぐに笑顔の種に変えることができる信仰であり、そこに幸せがあることを身で示してくださったともいえます。
                       
                      二人の子どもを授かり主人と共に子育てをさせて頂き、教会では婦人部長のお役をさせてもらう中で、自分ひとりで頑張ろうと我を張っている時、心は辛くなりますが、日頃より教会長さんより「話すは離す(放す)」と教えて頂くように、法座で話す。周りの人に相談したり、お願いをさせてもらうことで、仏さまの智慧を頂け自分の周りには助けてくれる人が沢山いることに気付きます。そしてたくさんの人の優しさやお陰さまを観じることができ、感謝の気持ちが沸き起こってきます。
                       
                      【みんなのための笑顔】
                       
                      滋賀教会の元気な子供さんたちの無邪気な笑顔も周りの人たちを笑顔にしてくれる菩薩の笑顔で、とても癒され心が和みます。教会のハロウィンパーティーに少年部の子がお友達を誘って参加してくれる姿、また初めて会った子がすぐに打ち解け仲良くなる姿を見て、自然に布教の出来る素晴らしさを感じ見習わせてもらいたいと思いました。
                       
                      笑顔は、自分が幸せになる精進のひとつであると同時に、みんなの幸せを願うところに生まれるものであります。
                       
                      構えず自然に、真心を込めて大事なことを伝えられる私になる為、周りの人に喜んで頂ける「みんなのための笑顔」を実践させて頂きます。一人で居ては笑顔も生まれませんが、家族が居てくれるお陰さま、お役のお陰さまで日々たくさんの人に出逢い笑顔になれる毎日です。ご縁のある人との出逢いを大切に触れ合わせて頂き、共にみんなの幸せを願って開祖さま譲りの笑顔の実践をさせて頂きます。
                                                  合掌   
                        婦人部長

                                              
                      (会長先生ご法話  佼成 11 月号より引用)


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