4月「会長先生ご法話」に寄せて

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     今年も早や、桜咲く四月 お釈迦様の生誕を祝う「降誕会」の月、そして、社会人、学生さんも新しいスタート月 自然界の草花が開花し、私達も心軽やかに、心を開花させたいものです。

     今月の会長ご法話は、香る風のような人に」です。

     

    ○心に香風が吹きわたる

     

     その喜びにも通じる言葉が、法華経の「序品」にあります。「栴檀の香風 衆の心を悦可す」 この一節を開祖さまは「仏さまの香風が衆生の心の中に入ってくると大歓喜が生じる」と、簡潔に説明しています。

     仏の教えに出会えた私たちは、その教えを聞き、学び、実践していくなかで、数々の気づきを得ます。いやだと思っていた人やものごとに感謝ができるようになったり、それまで幸せだと感じていたことは自己中心の思いにすぎなかったと気づいたりして、生き方が変わるのです。

    (佼成4月号より引用)

     

     私も、この教えに出会えてなかったら、お役を頂いていなかったら、人を恨んだり、軽蔑したり、落ち込んだりしている日々を過ごしていたと思います。

     お陰様で、生き方が変わりました、本当に感謝で口では言い表せないくらい、有難い日々を送らせて頂いています。

     

     ○みんな「徳のある人」

     

     法句経に「徳のある人びとの香りは風に逆らっても進んでいく」「徳のある人はすべての方向に香る」とあるように、人の心を「悦可」するには「徳分」が必要という見方もできそうです。よく「私には徳がない」とか「あの人には徳がある」といったりしますが、修養や善行の積み重ねが「徳分」を身につける決め手なのかもしれません。

    (佼成4月号より引用)

     でも、会長先生は、私は、そういいきれないとも思うのです。と、ご指導頂いてます。

     

     私たちがいま、この世に一つの命を授かって生きているというのは、大自然の徳はもちろん、先祖や親の徳をいただいているからです。一人ひとりが、すでに豊かな徳を具えているということです。ですから、私たちは自らの「徳分」に気づけばいいだけです。気づいて、それを成長させれば、だれもが香風を運ぶ「徳のある人」になるのです。

     そこで大切なのは「有り難い」という気持ちです。なにごとにも感謝を忘れない素直で謙虚な人には、自然に人が引き寄せられます。

    (佼成4月号より引用)

     

     私たちは90%目に見えないものに、生かされているのに、あとの10%の現象世界にバタバタしているのだと聞かされたことがあります。私も、この教えのお陰さまで、幸せになる秘訣を教えて頂けました。幸せは独りでは味わうことはできないのです。

     この生かされているいのちを、この世に生きるすべての人とともに、人さまのためにどう使わして頂くか。

     今月お釈迦さまのお誕生をお祝いし、自分の誕生の不思議さを味わって、この生かされているいのちを輝かせるのも、曇らせるも自分次第だと受け取らして頂きました。

     いつも 未熟で愚かな存在と自覚して いのち いっぱい 生きて 大きな花を咲かせたいです。

    世界が平和になりますように。

                    合掌

               滋賀教会 渉外部長

    (会長先生ご法話 佼成4月号より引用)

    当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。

                    


    3月「会長先生ご法話」に寄せて

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      今月の会長先生ご法話は 自他の幸せを願う心」です。

       

      「仏の子」だからこそ

      私たちはみな、だれもが、自分や家族の幸せを願っています。

      そして、同時に他人の幸せを願う心も、私たちは持ち合わせています。

      (佼成3月号より引用)

       

       5歳の娘が嬉しそうに、お友達が元気になって幼稚園に来てくれたことを話してくれます。お休みしていたお友達を想う娘の優しい心に「自他の幸せを願う心」を感じています。

       

      生きた経典として

      たとえ自分はまだまだ未熟でも、仏の教えが真理にかなっているからです。

      (佼成3月号より引用)

       

       わたしは上手く伝えられないからと・・ためらってしまう事があります。でも先日、友人に初めて佼成会の事を話した時、相手を大切に想う気持ちが伝わったように思いました。また、お伝えすることによって、自分が仏さまの教えや仲間に出逢えた喜びにあらためて気付くことも出来ました。相手の想いを聴かせてもらう、自分の気付きや感動を素直にお伝えすることで、相手の心にあたたかく寄り添える私になりたいと思います。

       

                 合掌 滋賀教会 婦人部長

          当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


      2月「会長先生ご法話」に寄せて

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        2月「会長先生ご法話」に寄せて

         

         新年を迎えたかと思うと、もう2月です。年を重ねるごとに、一年が早く過ぎていきます。ですから、なおさらのこと一日一日を大切にしていきたいと思います。

         

         今月の会長先生ご法話は 人を思いやる「心の習慣」です。

         

        〇得は徳に通じる

         街のなかで困っている様子の人を見かけたとき、みなさんはどうされるでしょうか。そばに寄って声をかける人も多いと思いますが、気にかけながらも、よけいなお世話かもしれないと近づくのをためらう人もいることでしょう。

        (佼成2月号より引用)

         

         私は小学生のころから父からよく「互護の精神」が大切やと教えられてきました。「バスに乗ってお年寄りの人とか乗ってこられたら、ゆずってあげるんや。一人占めしたらあかん。」と、今でもその時の様子を覚えています。我が子にも教えてきました。

         

         最近では、トラブルに巻き込まれるかもしれないという懸念もあって、見ず知らずの人に声をかけるのは、確かに一文の得にもならないという見方もできます。しかし、ほんとうにそれは得にならないのでしょうか。

         損得の「得」は道徳の「徳」に通じる、といわれます。一文の得にもならないと思われることであっても、人さまを思うがゆえの実践は、それを行う人の徳分として、人間的な成長など尊い心の財産になります。

         ただ、そのことがわかっていても、困っている人を見て「なんとかしてあげたい」と願う気持ちを実際の行動に移す、その一歩を踏み出す勇気が出ない人もいます。

        (佼成2月号より引用)

         

         会長先生は私の心もよく理解していただいています。ニュースとか見ていて助けに入って亡くなった事を見たり聞いたりするとおじけづいてしまいます。でも会長先生は教えてくださいます。

         

         「目の前の人を憐れみ、思いやりの心を奮い立たせて『苦しみから救い出そう』と決心しなさい」と教える一節です。そしてそのためには「自分本位のとらわれや執着を離れて、ものごとの真実を見極めるよう精進することが大切です」と説かれています。

         要するに、損得勘定を捨てられない私たちでも、精進によって欲得ずくの心を超えることができ、それが心の習慣になれば、どのようなときでも損得勘定に惑わされずに、人を思いやる気持ちを自然に行動にあらわせるということです。

        (佼成2月号より引用)

         

         まず真剣に相手のことを思い、こう思われたらどうしよう、などと自分をかばうのではなく、常日頃の心のもち方を正していけば、いざという時自然と身体が動いていくのですね。

         

         

        〇すべては一つ

         「自分本位のとらわれや執着を離れて、ものごとの真実を見極める」というのは、この母親のように、自分と相手を一つと見ることです。さらに、すべてを一つと見れば、人の喜びや悲しみがよくわかり、そうしてわきあがる憐れみの心や慈悲の心に突き動かされて、思いやりを行動に移せるのです。「すべては一つ」という見方によって、思いやりが「心の習慣」になるということです。

         相手と一つになれば、慈悲をしているといった意識もしないまま、その思いやりがお互いの喜びや心の成長に結ばれていくのです。

        (佼成2月号より引用)

         

         なかなか相手と一つになれず、特に主人とは私は私、あなたはあなた、あなたは自分のこと中心でまわりのことは思っていないと、さす心ばかりです。でもそんなことばかり言っていられませんね。人生の終盤をむかえるにあたり、真剣に「相手と一つになる」精進をさせて頂きます。

        ありがとうございました。

                     合掌

                滋賀教会 少年部長

         

            (会長先生ご法話 佼成2月号より引用)

        当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


        新年のご挨拶

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           皆さま、明けましておめでとうございます。

           昨年は教団創立八十周年の記念すべき節目の年を、滋賀教会の皆様と迎えることができました。誠にありがとうございます。今年からはいよいよ創立百年に向け歩み始める年、そして滋賀教会発足五十五周年の節目の年を迎えました。そのような意義ある年に会長先生から次のような信行方針を頂戴しました。

           

          天地自然は、一瞬もとどまることなく、創造、変化を繰り返しています。私たちもまた、天地の道理の如く、停滞することなく、何事に対しても、日々新たな気持ちで取り組んでいくことが大切であります。

          今年、本会は創立八十一周年を迎えました。その今日に及ぶ歴史の礎は、開祖さま、脇祖さまをはじめ、先輩の幹部の皆様、信者さんの寝食を惜しまぬご尽力によって築かれてきたものです。

          私たちは今後、教団創立百年に向けて、一人ひとりが、創造的な歩みを進める確たる志をもって、そのご恩に報いてまいりたいと思います。

          2019年次布教計画書より引用)

           

          年頭法話の中で、会長先生はこの信行方針に触れ、一人ひとりが、創造的な歩みを進める確たる志を持つことの「創造的な歩み」について次のように教えてくださっております。

           

          この年次方針の中に「創造的な歩み」という言葉があります。これは、単に「新しいものをつくり出す」という意味ではありません。

          仏教は、勝ち・負け、成功・失敗、新しい・古いといった見方を超えた普遍的な価値を大事にします。つまり、人間の営みに真に力を与えるのは、いつの時代も、明るい心、優しい心、温かい心であります。それを一人ひとりが、家庭、学校、職場、地域、また世界で、惜しむことなく、そして今までの自分から一歩踏み出して表現するのが、本当の意味の「創造的な歩み」であると思います。

          そうした根本を忘れることなく、それぞれの個性をいかして、身近な実践に結びつけてまいりましょう。

          (佼成新聞201916日号より引用)

           

          この「創造的な歩み」をそれぞれの場で具体的に、私たちの日々の実践へと後押ししてくださるご法話が、佼成1月号の会長法話『みんな善の根っこをもっている』であると思います。

          それでは年頭法話にある、仏教の普遍的な価値、明るい心、優しい心、温かい心とはどのような心でしょうか。そのことに対して会長先生が次のようにお示しくださっています。

           

          『みんな善の根っこをもっている』

           

          ○乾いた根に潤いを与える

          私たちが読誦(どくじゅ)する法華三部経のなかの無量義経に、「衆生の諸有(しょう)の善根(ぜんごん)を潤漬(にんし)し」(徳行品)とあります。善根とは、善い果報をもたらす土台となる根っこのことですが、「だれにも仏と同じ性質が具わり、みんな仏のあらわれである」ということを示す「仏性」と同じ意味あいと、私は受けとめています。ですから、だれもが善根をもっているといえるのです。ただ、その根っこが健やかに育ち、伸びるには、乾いた根に活力を与える潤いが欠かせません。

          (佼成1月号より引用)

           

          私たちは誰もが、善根(仏性)を持っていると教えて頂きます。しかし、そのように教えて頂いていても、意識をしないとすぐに忘れて自分中心の心が湧いてきます。

          年末、家族が待つ自宅に戻りました。三人の子ども達はそれぞれの予定で動いています。妻孝行をしようと思い、リビングを掃除しておりました。子どもがお昼近くに起きてきて、遅い朝食をリビングで食べ始めました。ホコリがたつだろうとリビングの掃除を止め、隣の和室の拭き掃除をしていました。昼食後、再びリビングのフローリングの拭き掃除をしていました。すると今度は、先程の子どもが遅い昼食をリビングで食べはじめ、年末の特番を見て大笑い。子どもは食後、食器を流しに置くだけで部屋に戻っていきました。「昼食後の洗い物は終わっている。この時間になったのだから自分で洗えばいいのに」と一言言いたくなる自分を抑えましたが、勝手にイライラする私がいました。身内に対しては、自分の思い通りにならないと、善根(仏性)を持っていることを忘れ、「仕方のない奴」と否定してしまう自分を、このブログ原稿を書くことで振り返ることができました。

          それでは、その「善根」に潤いを与えていくには何を大切にしていけばいいのでしょうか。

           

           

          ○ほんとうの「正定聚」に

           無量義経の一節は、先の「善根を潤漬し」のあと、「善の種子(しゅじ)を布(し)いて功徳(くどく)の田(でん)に遍じ」と続きます。「世のため人のために尽くす行為の本(もと)になる、善の種子をたくさん播こう」―要するに、「仏の教えを伝えて、自分も人も一緒に幸せになろう」と、「布教伝道」を説いているのです。

           「善の種子を播く」というのは、多くの人の乾いた善根に潤いを与えることと同じだと思いますが、では、なぜここで「布教伝道」が説かれるのかといえば、理由は一つです。

           前述した若者のように、仏の教えを聞いて心の根が潤い、迷いの淵から抜けだしたあとには、「ほかの人も、自分と同じように苦悩から離れ、目の前の幸せに気づいてほしい」という慈悲の心が、とめどなくわきあがるからです。

           では、その「布教伝道」のあり方はというと、悩み苦しんでいた先の若者も、初めから素直に仏の教えが受け入れられたわけではないでしょう。その意味で、私たちにとって大切なのは、まず「身近な人の善き縁になろう」と願って生きることです。人を思いやるやさしい言葉や態度が、苦しむ人の乾いた心の根に潤いを与えるのですから。

           そのうえで、私たちは読経供養や仏さまの教えの習学など日々の基本信行を実践しつつ、仏教に縁のない人の手をとっていく。それが、先の経文の結びとなる「普(あまね)く一切をして菩提の萌(め)を発(おこ)さしむ」(あらゆる人に仏の悟りを目ざす心を起こさせる)という最高の生き方につながるのです。

          (佼成1月号より引用)

           

           善根に潤いを与えていくには、相手を変えようとするのではなく、まず「身近な人の善き縁になろう」と願って、相手を思いやるやさしい言葉や態度が大切なのだと教えて頂きました。そして、自分から法を実践し、身近な人から法を伝えていく、布教伝道していくことの大切さも教えて頂きました。 

           

          私自身、自らが菩薩としての自覚に立ち、一人ひとりに具わった可能性を信じ、目の前の方に喜んでもらえる存在になりたいと思います。

          滋賀教会としては、教会発足55周年を迎えるこの年、あらためて礎を築いてくださった先輩の幹部の皆さま、そして支えてくださったご家族の皆さま、信者さんの寝食を惜しまぬご尽力に感謝を深めさせて頂きます。また、開祖さまが何度もお示しくださった「一人が一人を導く」ことを合言葉に、布教伝道に「GOGO(ゴーゴー)」と取り組んでいきたいと思います。さらに、人材育成(人を植える)ということに全力を注ぎ、創造的な歩みができるように工夫を凝らし、心を合わせ精進していきたいと思います。滋賀教会の皆さまと共に、救いを求めるすべての人にとって、いつでも心安らぐ「正定聚」(みんなが「仏さまのようになりたい」と決意した仲間)でありたいと思います。

          今年一年どうぞよろしくお願い申し上げます。

          合掌

            立正佼成会滋賀教会 教会長 後藤益巳

           

          当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


          12月「会長先生ご法話」に寄せて

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            今年も最後の月を迎え、又12月からは佼成会ではスタートの月でもあります。

             

            今月の会長先生のご法話は使命にめざめるです。

             

            <道を楽しむ人に>

             

            「正定」とは、心が常に仏の教えに安住していて、周囲の変化によって動揺しないここと受けとめられますが、たとえ貧しくても悲観せず、そこにある幸せを精いっぱい感受する橘曙覧のような心も、「正定」の一つでもありましょう。

             なにごとも楽しいと受けとめる―そういうものの見方を心がけていると、気持ちが楽になって、目先の苦に迷うことのない、ほんとうに安楽な人生を歩めるのです。

            (佼成12月号より引用)

             

            子どもが小さい時、私は何事も楽しいと受け止めることが出来ず、そこにある幸せを感じるより、自分に合わせてほしい思いが強く、子どもの声を聞いてあげる心がない時期がありました。

             ご法話を通して周囲の変化に動揺して、子どもの思いを受け止めていなかった日々を振り返ることが出来ました。

             

            <願いをもって>

             

            いわば、「八正道」の各徳目は、いずれも私たちが「真理に止まる」ための実践であり、その基本となるのが初めにおかれた「正見」といえます。

             仏さまのように、ものごとをありのまま見ること(正見)によって、静寂で澄みきった心(正定)を得る―それは「あの人の苦しみを除いてあげたい」「この人が慈悲の心を得るお手伝いができたらいいな」といった、菩薩としての願いをもって生きるということでもあるのです。

            (佼成12月号より引用)

             

             私は育てて頂いた父が病気で痛みと向き合い、それをそばで共にして来た中で、ものごとをありのまま見ることが辛く、でも一方では苦しみを除いてあげたいと願う心もありました。常に一瞬で変化していく自分を毎日味わい、自分をよくわからせて頂きました。今一度新たな日常生活の暮らしの中で、ふと省みて、立ち返る習慣を大切にしていきたいと思いました。

            合掌

            滋賀教会 竜王支部長

             

            (会長先生ご法話  佼成12月号より引用)

            当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。

             

             

             


            11月「会長先生ご法話」に寄せて

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              今年も残すところ2ヶ月、皆さんは、どんな一年でしたか?
              特に今月は開祖さまの生誕会の月。どれだけご恩返しができたでしょうか。
               
              今月の会長先生のご法話は、
              「『思いやり』を、いつも心に」です。 
              どれだけの人を思いやったり、心配したりすることができたでしょうか。
              「安楽」なときが「正しい」とき
              心が安らかで楽しいとき、たとえそれが温泉につかっているときであっても、私たちは、思い煩いや恨みつらみといった感情を離れているのではないでしょうか。
              迷いやとらわれが心からするりとほどけ、何にも縛られない、安らかでのびのびとした自分がそこにいます。
              そこで、私なりに理解するところでいうと、先にお話ししたような「心がほどけ、安らかで楽しいとき」こそ、心が正しい方向にあるといえると思うのです。
              しかし、一瞬やひとときではなく、心を「常に」正しい方向に向けるとなると、話がまた少し難しくなります。
              (佼成11月号より引用)
               
              「救ってあげられたら」と願うだけで

              朝夕の読経を習慣とし、「慈悲、思いやりの心をもって生きよう」と願うことだというのです。

              これは、常に心安らかで楽しく生きるための大きなヒントであり、私たちにとっては思いのほか身近な実践といえるのではないでしょうか。

              しかも、「思いやりをもちなさい」という命令形ではなくて、「思いやりをもって生きようと願うことが大切」というのも受け入れやすいところです。

              ときおり、「慈悲がなかなか身につかない」と嘆く人がいます。
              しかし、その人はまさに「思いやりをもって生きよう」「あの人を救ってあげられたら」と願っているからこそ、そのことで思い悩むのでしょう。つまり、その人はもうすでに、思いやりの心が身についているのです。
              (佼成11月号より引用)
               
              私は現在、毎日100名以上の方と出会いを持たせて頂く仕事をさせて頂いています。そして、お越し頂いたお一人お一人のお客様が「良かった是非もう一度、来たいわ」と言って頂く様に、日々笑顔で出会いを大切にさせて頂いております。
              でも、いろんなお客様がおられます。すべての方に心からの思いやり、感謝の言葉が出れば良いのですが、お酒を呑み過ぎた方、大声を出される方のご縁に触れると、なかなか・・・・・・・・
              更に、同じ従業員の仕事ぶりを責めたり、どうして、こんな事が出来ないのと激怒している自分があります。
              でも、教えを頂いているお蔭様で、そんな自分に気づかせて頂ける日々を送らせて頂いています。
              本年は自分にとっても区切りの年、青年部時代からずっとお役を頂き50年、現在 教会渉外部長のお役を頂いております。
              いま目の前にいる人が、自分を成長させてくださる人だと、心から思えるように、修行精進をさせて頂きます。
                                           合掌
                           滋賀教会 渉外部長
               
                             (会長先生ご法話  佼成11月号より引用)
              当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。

              10月「会長先生ご法話」に寄せて

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                虫の音、コスモス、あかね雲…

                犬の散歩をしていると、キンモクセイの甘い香りに秋を感じ、季節の変わり目を味わっております。

                皆さんは如何でしょうか…

                 

                今月の会長先生のご法話は

                「自他ともに心楽しい精進を」です。

                 

                樹木が紅葉するように

                私たちは、ものごとにいっそう勤め、励むときなどに、努力とか精進という言葉を使います。そのためでしょうか、ひたむきな努力や精進と聞くと、骨の折れる、苦しいことに感じられます。信仰においても、「精進、精進、死ぬまで精進、生まれ変わったらまた精進」といった意気込みにふれると、思わず気圧(けお)される人もいそうです。

                 ただ、精進というのは、本来、気負って努めることでも、苦しみに耐えながら励むことでもないと思うのです。

                 

                 私たちがよく口にする「精進しましょう」は、「まじり気のない自分本来の力を、まっすぐに発揮していこう」という意味と受けとることができるのです。

                佼成10月号より引用)

                 

                 目の前の人や事を大切に、思いやりの心で、ひとつひとつを優しく丁寧にと教えて頂いております。努力していこうと思いながら、触れる縁で自分の我がでてしまい、できなくなると、「何やってるんだろう」と自分で落ち込み、虚しさだけが残ってしまいます。

                 

                本来の自分に出会う

                 私たち人間には自分本位の我が出ることがあります。好き嫌いや善し悪しなど自分のものさしがあり、目の前の現象を素直に受けとれなくなるときがあります。そのとき、心を真理にそわせていく工夫をこらすことが「精進する」ということで、その工夫、つまり、ときに応じた精進のあり方を、釈尊はさまざまに説き示されています。

                 

                ときどき顔を出す自分のわがままな心を反省したり、懺悔したりしながら本来の自分に帰るのです。ただし、やはりどれも気負って努めることではなく、むしろ自分もまわりの人も、ともに心楽しくなるような工夫ととらえてみてはどうでしょう。

                 

                精進をとおして本来の自分に出会う喜びだと思います。そして、この本来の自分とは、いうまでもなく仏性にほかなりません。

                佼成10月号より引用)

                 

                 同居している主人の母は、心臓が悪く入退院をくり返しています。母は、私の心を磨いて下さる存在です。お決まりの嫁姑の関係、母を鬱陶しく思うことも度々…。そんな時は私自身が信仰しているのにと、自分を責めました。

                 今、母と触れ合うとき、元気になって自宅に帰らせてあげたいと心から思い、いろんな話をしたり、励ましの言葉を掛けられる自分になれていることに喜びを感じています。母のおかげさまで自分の仏性に気づかせて頂けました。

                目の前の人を大切に丁寧にご縁をもたせて頂けるよう精進させて頂きます。

                合掌

                     滋賀教会 教務部長 

                 

                 (会長先生ご法話  佼成10月号より引用)

                当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。

                 


                9月 「会長先生ご法話」に寄せて

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                  “暑さ寒さも彼岸まで” この夏は今までにない猛暑の日々でしたが、9月は秋のお彼岸を迎えますので涼しい日の訪れが待ち遠しいです。
                  今月は あらゆる「いのち」に奉仕する というご法話をいただきました。

                   

                  〇感謝し、仕える
                  私たちは、生きていくために必要な衣食住のそれぞれを、随時、手に入れなければなりません。そのことについて、仏教では「正しい生活法によってそれを求めるように」と説かれています。
                  「正しい」とは、どういうことなのでしょうか。「農民は作物に仕え、牧場主は牛に仕え、教育者は子どもに仕える」といった言葉を教えていただいたことがあります。「仕事」は漢字で「事に仕える」と書きますが、仕えるというのは偉大な存在に随うことですから、仕事の対象となる相手や物を尊び、敬い、感謝の念をもって、与えられた役割に一所懸命とりくむ――そのような姿勢が、「正しい」の意味するところだと私は受けとめています。

                  (佼成9月号より引用)

                   

                  総務のお役では物の取り扱いが多いので、「もう!壊れたの?」「また!買い換えなくちゃ」「なんで!すぐ無くなるの?」と走り回り、振りまわされ、挙句に愚痴をこぼしています。
                  壊れた物(例えば掃除機など)に対して、消耗品に対して、それまで役立ってくれたおかげという見方でなく、あって当然と感謝の気持ちを持つことはできませんでした。

                   

                  あらゆるものを拝む気持ち、感謝の念は、仕事はもちろん、私たちの生活すべてにわたる「正しい」生き方の根本だということでしょう。そして、その気持ちがあれば、不平や不満を抱くことなく、素直に、喜びをもって目の前のことに打ち込むことができるのです。
                  (佼成9月号より引用)

                   

                  正しいとは、そして仕えるとは、いのち尽きるまで働いてくれた品々があればこそお役が果せ、お役に立てると素直に受けとめて、楽しくつとめさせていただきます。

                   

                  〇正しい命の使い方
                  私たちの食事は農作物や、魚、肉など他のいのちを食していますが、そのことに思いをはせるより自分を満足させてしまいます。食卓ではお腹一杯になったからと残し、食べ物を処分し、レストランのバイキングではどれも美味しそうとあれもこれもとお皿にとり、結果食べきれず残してしまうということもあります。

                   

                  そのことをご法話では
                  あらゆる「いのち」が幸福になるための貢献が、私たちにもできるのです。私たち一人ひとりが、暮らしのなかの小さなひとコマもおろそかにしないで、「正しい命の使い方」につとめればいいのです。
                  (佼成9月号より引用)
                  と教えて頂いています。

                   

                  私にとって「正しい命の使い方」とは、この世の中のすべてにいのちが宿り、尊いものであると感謝で精進することだと思います。

                   

                  9月10日は脇祖さま報恩会です。信仰とは日々の暮らしそのものだということを教えられた、脇祖さまの報恩会を感謝の気持ちで迎えさせて頂きましょう。

                   

                  合掌

                   

                  (会長先生ご法話 佼成9月号より引用)
                  滋賀教会 総務部長

                  当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


                  8月 「会長先生ご法話」に寄せて

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                     8月に入り、まだまだ暑い日が続きますが、せみの元気な鳴き声にも負けず、終戦記念日(戦没者慰霊並びに平和祈願の日)を迎える今月、世界平和を願い過ごさせて頂きたいと思います。

                     今月は会長先生より『敬う心と恥じる心』いうご法話を通して、八正道の「正行(正業)」(正しい行ない)について教えて頂きました。

                     

                    〇仏さまからのアドバイス

                     自分が殺されたり、何かを盗まれたり、道ならぬ関係で苦しむ立場になることを思うと、人さまに対してけっしてそのようなことはできません。

                    佼成8月号より引用)

                     

                     青年総務のお役を頂き、部員さんとご縁を頂く中で、連絡してもかえって来ず、心配することがありますが、振り返ってみると、すべて自分だなと思わせて頂きます。

                     先日、私はある行事に参加しました。出発する時には、‘行かせて頂きます’とお伝えしたものの、帰って来た時には自分の事ばかりで、待っていて下さる方の事を考えず心配をかけてしまいました。

                     人や条件のせいにする私ですが、相手の立場に立って、自分がされて嫌なこと、言われて嫌なことはしないように、心がけたいと思います。

                     

                    〇「正行」が当たり前に

                     そうであれば、「戒律を守らなければならない」と意識する以前に、いつでも自然に、「苦悩しないですむような行ない(正行)をせずにはいられない」ようになればいいのです。 

                    佼成8月号より引用)

                     

                     私は、今年から会社に勤めるようになりました。教会長さんより、仕事に行くにあたって挨拶を大切にと教えて頂きました。

                     会社に行く道中、今まで挨拶もした事無い方が、「おはよう」「行ってらっしゃい」と声をかけて下さいます。その事が嬉しく、自分からも挨拶をさせて頂こうと思うのですが、なかなかできずにいた私でした。やっと挨拶をしても返事がない時には、聞こえなかったのか、なぜ返事をしてくれなかったのだろうと捉われ、自分からあいさつ出来る日もあれば出来ない日もあり、今までの私ならそこで続かず止めていました。

                     しかし、‘明日はもっと大きな声でいってみよう’‘近づいて言ってみよう’と挨拶するように心がけていると、少しずつ自分からも挨拶できるようになってきました。毎日の挨拶を通して、挨拶が大事とわかっていても、ただ挨拶をするだけでなく、相手の状況などをよく見てする事が大事と思いました。いつでも自然に出来るよう、続けていきたいと思います。

                                        合掌

                                滋賀教会  青年総務

                     (会長先生ご法話  佼成8月号より引用)

                    当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


                    7月  「会長先生ご法話」に寄せて

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                      むし暑い日が続いていますが、

                      一面青々として緑の絨毯の様な田んぼを渡る風に、

                      清涼感と生命力を感じます。

                      15日は盂蘭盆会をむかえ、ご先祖さまや

                      大切だった方を偲ばせて頂きましょう。

                       

                      今月は会長先生より『和らぎをもたらす言葉』とご法話を頂きました。

                       

                      〇正直に、誠実に

                      釈尊の基本的な教えである「八正道」の一つに、

                      「正語」があります。

                      真理にかなう言葉を語るということですが、

                      私たちはふだん、そのように「正しく語る」ことを、

                      ほとんど意識していないのではないでしょうか。

                      ですから「正語」といわれても、すぐに生活実践と

                      結びつく人は多くないかもしれません。

                      それでも、日ごろ人と接する際、私たちはその場が

                      和むような会話を自然にしているはずです。

                      なぜなら、そのほうが楽しいからであり、

                      そして、安らぐからです。

                      その場が和らぐ言葉は、まさに「正語」といえるのです。

                      その意味では、だれもが知らずしらず

                      「正語」を実践しているともいえそうです。

                      「正語」を実践するうえで大事なのは、

                      何をどう話すかということよりも、

                      正直に生きる誠実さを忘れないことなのかもしれません。

                       (佼成7月号より引用)

                       

                      私は滋賀家庭教育研究所「わたぼうしの会」の所長として、

                      多くの方に教会だけではなく外部でも家庭教育をお伝えしています。

                      子育ての不安をなくし、楽しく子育てをしながら、

                      笑顔あふれる幸せな家庭を築いて下さることを願って

                      所員一同活動しております。

                      子育てで大切なのは、親の愛情を伝えることです。

                      子どもは親の愛情をたくさん感じると、心身共に

                      順調に成長していくと言われています。

                      特に言葉によって伝えるのはとても重要です。

                      ご法話を拝読させて頂いて、私たちは日常の会話や

                      あいさつの中で、安らぎや元気を与える言葉を

                      自然に使っているんだと気づきました。

                      いつも「目の前の人に喜んでもらえる自分になろう」

                      と教えて頂いているからですね。

                      家族がいてくれるので「正語」を実践させて

                      頂けるのですから、家族に感謝だと思います。

                      私はかなり前から「おはよう」だけでなく

                      「ございます」をつけています。

                      もちろん子どもにもです。

                      教会で教えてもらったからですが、

                      今では家族も言うようになりうれしく思っています。

                       

                      〇かなしみを抱いて

                      日本語で、漢字の「愛」は「かなし」といいます。

                      愛する、慈しむということは、悲しむということであります。

                      母親がわが子を愛おしむ心、といえばわかりやすいかもしれません。

                      「正語」、すなわち「正しく語る」ということのなかには、

                      そうした慈しみ、悲しむ心と、相手の幸せを念ずる情が

                      籠められているのではないでしょうか。

                      そういえば、良寛さんが放蕩三昧の甥を改心させたのは、

                      説諭の言葉でも叱責でもなく、甥を思って流したひと筋の涙でした。

                      慈愛に満ちた沈黙によって伝わる「正語」もあるということです。

                      私たちの幸せをだれよりも念じてくださる両親や

                      ご先祖の愛心を、まもなく開花を迎える清らかな蓮華を愛でながら、

                      この盂蘭盆会の時期にあらためてかみしめてみるのも

                      いいのではないでしょうか。

                        (佼成7月号より引用)

                       

                      私の満90歳になる母親に、電話をかけると「元気にしてるか」

                      「商売はどうや」「カゼひかんときや」といくつになっても

                      私の身を案じてくれます。

                      その思いが、ひしひしと伝わって「ありがたいな、うれしいな」

                      と感じ幸せなことだと思わずにはいられません。

                      親の言葉には慈しみ悲しむ心と幸せを念ずる心が

                      籠められているのですね。

                      「うっとしい」とか「うるさい」と反抗的な受け取り方を

                      した時もありましたが、今は素直に「ありがたい」と思える自分に

                      なれました。

                      母のように私も子どもに「思い」が伝わればいいなと

                      思うことがあるのです。

                      それは娘のことです。

                      娘は1年以上も就職せず、家にいます。

                      初めは就活をしていましたが、今はしていないようです。

                      働きたくないのか、働くところが見つからないのかわかりません。

                      家での様子が朝から晩まで気になり、心配で心配で

                      問い詰めてはっきりどう思っているのか知りたい。

                      そして「早く働きなさい」と言いたいのに言えません。

                      娘の思いを察すると、何も言えないのです。

                      何かこの子の助けになる事をしてあげたいのにできず、

                      とてももどかしく思っています。

                      今はただ見守っていますが、ご法話を拝読させて頂き、

                      親として娘に対する「正語」は何か、

                      私の心に我心はないのかと、

                      自分を見つめるチャンスととらえ、

                      答えを出していこうと思いました。

                      それまでは、明るく温かい「あいさつ」や

                      「ふれあい」をしていこうと思います。

                      私は絶対に子どもを見離さない、愛おしむ心を

                      持っている親なんだという自覚だけは

                      忘れないようにしていきたいです。

                       

                               合掌

                      家庭教育研究所所長 「わたぼうしの会」

                      (会長先生ご法話 佼成7月号より引用)



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