九月「会長先生ご法話」に寄せて

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    九月「会長先生ご法話」に寄せて
    八月は、見えないはたらきに気づくには、宗教や信仰が気づきのきっかけを与えてくれると教えて頂きました。私たちはどうすれば仏様からのメッセージに気づけるのでしょうか。それは、素直になることと教えて頂き、0・1秒の拝を間髪入れず実践させて頂きました。
    九月の会長先生のご法話は人に「伝える」ということです
    法を伝える意味
     仏さまの教えを学び生活のなかで実践していく------ それは、さまざまなことが起こる人生において、たとえ悩んだり、悲しい思いをしたりしても、直面した苦悩を受けとめて乗り越えていく「智慧」を身につけることになります。さらに学んだ教えを人さまにお伝えすることは、よりよく生きていくうえでの「智慧」や「慈悲」を体得する大事な実践であります。
     臨済宗松原泰道師が、説法の意味を「法は人のためにではなく、自分のために説くのだ」とおっしゃっています。法を伝えること、つまり布教伝道は、「一人でも多くの人に真理を知ってもらい、幸せになってもらいたい」と願う法の布施であると同時に、法を伝えることをとおして、自分の心田を耕していく精進にほかならないのです。
     私は八月の式典担当のお役を頂きました。その中で心一つにさせて頂くことの難しさ、伝わっていないことも知らずに、目の前に迫っている行事に囚われていました。仏の説法とも気づきもせず、ただこなしているだけの自分に気づかせて頂きました。一人一人を大事にし、相手を尊重し対話をして行く事を教えて頂き、求道心を持ち自ら寄って行く事を実践させて頂きました
    「智慧海の如くならん」
    私たちは、自分がよくわからないことを人に伝えることはできません。また、人にものを伝えるには、それなりの理解が必要です。ところが、私たちの知識や経験の量はほんのわずかです。そうすると、人に何か伝えようとするときに大事になるのは、「自分は何も知らない」という謙虚な姿勢ではないでしょうか。 私たちが読経供養の際に唱える「三帰依文」には、つねにその場にふさわしい仏さまの智慧をいただくには、つまり相手とのご縁を大切にして、いつ、だれに対しても「学ぶ」姿勢を忘れないことを、この一節から教えられます。
     また「伝える」ことの大事なポイントは、「ありがたい、うれしい、楽しいと感じた純粋な気持ちを、素直に伝えることほど人のこころに響くものはない」ということです。日常にあてはめると、「ありがたいことをたくさん見つけ、人さまに伝えていく」そこには、つねに感謝を忘れない心の姿勢があり、日々の幸せと喜びがあります。 感謝ということは、人間だけができること。その自覚に立って、ありがたいことをたくさん人さまにお伝えしていきたいと思うのです。
     今年九九歳を迎え益々元気になって行く母の声を聴きながら、弟夫婦に感謝の気持ちで杯です。一時は認知症
    を患うほどで心配しましたが、夜は晩酌をしながら、孫たちとの話に花を咲かせ、週三回のデイサービスにも行っています。 お役のお陰様で感謝を伝えられ、ありがたいことをたくさん見つけ、家族、支部の方、触れ合う方に法をお伝えし、ありがたいことをたくさん人さまにお伝えさせて頂きます。
                                           合掌
                                  滋賀教会 湖北支部支部長
                            (会長先生ご法話 佼成9月号より引用)

    8月「会長先生ご法話」に寄せて

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      夏、本番を迎え子供達にとっては楽しい夏休みの8月です。また8月15日は月遅れのお盆を迎えます。日頃は忘れがちですが、私の命をつないで下さっている目にみえないご先祖さまに感謝をさせて頂き、子供達にも伝えて行く大事な月ではないかと思います。

       

      8月の会長先生のご法話は「見えないはたらきに気づく」です。

       

      信仰は「気づき」のきっかけ

      「空気・心・ご縁」。この三つに共通することがらが何か、みなさんはおわかりになるでしょうか。「実際に触れることも見ることもできないものでありながら、私たちが生きるうえで欠かせない大切なもの」これが答えです。心やご縁を具体的に考えてみても、たとえば親の恩やご先祖の徳、家族の思いやりや友人の気遣いなども、つい感謝を忘れてしまいがちな「目には見えない大切なもの」といえます。宗教や信仰もまた「目に見えないものを見えるようにする」ものです。正確にいえば、目に見えない心のありようや「いのち」の不思議・有り難さ、そして生命の尊さなど、人として生きるうえでほんとうに大事なことに気づかせてくれるきっかけを、宗教や信仰は与えてくれるのです。

       

      8月6日は大好きだった祖父の三十三回忌の祥月命日をむかえます。祖父は幼い時から信仰深い人だった様です。地域では強い檀家がある中でも60年前に父が佼成会に入会しました。祖父も佼成会の教えと庭野開祖さまのすばらしさに感動し、ご供養・法座・お導きと布施も素直にさせて頂いた方でした。祖父母・両親の温かい家庭で、良い事も悪い事も人がみていなくても仏さまはいつも見て下さっているよと教えられて育てて頂きました。

       

      素直になる

      法華経の如来寿量品に「常に此に住して法を説く」という一説があります。仏さまはいつも、私たちのすぐそばで法を説きつづけてくださっているということです。それでは、私たちはどうすれば仏さまからのメッセージに気づけるのでしょうか。いちばん簡単な方法は、素直になることです。素直になれば、目に見えない大切なものも、仏さまの説法も手にとるように感じられ、まざまざと見えてくるはずです。どれほどつらい現実に直面しても、それをありのまま素直に受け入れたとき、人はそれぞれに大事な気づきを得る。客観的に見れば苦境にあることに変わりはなくても、目に見えない大切なことに気づいたとき、多くの人が胸のつかえのとれたような安心感に満たされるのです。それは、救いだとおもいます。目に見えないもののはたらきや仏さまの声に気づくというのは、いうなれば幸せになる早道です。

       

      私は2度の流産と死産というつらい経験をした時は私が何か悪い事をしたの?本当に仏さまはいらっしゃるのか?と思った時期がありました。又、ある方に「子供の事で苦しむのは親不孝のサンゲだね」と言って下さる言葉が気になって、自分をみつめる事ができた時、両親に心配かけている事に気づけました。誰のせいでもない、自分の思い通りにならない現実を受け入れた時、子供は仏さまからの授かりものだと心から気づく事ができました。三人の水子を供養させて頂く事で命の尊さに気づかせて頂き、親孝行と先祖供養の大切さを教えて頂き、実践させて頂いています。「子供の事で苦しむのは親不孝のサンゲだね」は今思うと仏さまの声だったと思います。私の信仰の原点はそこにあると思いました。

                   合掌

             東近江支部 支部長

      (会長先生ご法話 佼成8月号より引用)

      *当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


      平成29年次7月15日盂蘭盆会式典/釈迦牟尼仏ご命日ならびに布薩の日

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        日時 平成29年7月15日(土) 午前9:00〜

         

        ●後藤教会長おことば

         

        ●当日の板書

        ( ..)φメモメモ


        平成29年次7月1日布薩の日ご命日式典

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          日時 平成29年7月1日(土) 午前9:00〜

           

          ●後藤教会長おことばと佼成確認(動画)

           

          ●当日の板書

          ( ..)φメモメモ


          7月「会長先生ご法話」に寄せて

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            本格的な夏を感じさせる季節となりました。佼成会では6月から下半期に入り、会長先生の年頭のお言葉「有り難し」をどう感じ、どう実践させて頂いているのかを振り返らせて頂きたいと思います。7月の会長先生のご法話は「相手を認め、讃える」です。

             

            「いのち」をする

             人のすぐれているところをほめることを、一般に「讃える」といいます。では、その「すぐれているところ」とは、何を基準にしてそういえるものなのでしょうか?

            ふつう私たちは長所を指して「すぐれている」といい、その人を認め、讃えます。ところが釈尊は自分の生命を奪おうとした提婆達多を「善智識」と讃え、世間の常識とは異なる見方かもしれませんが、ここには人を認め、讃えるときの大切な着眼点が示されています。

             

            釈尊がどれほど罪深い人に対しても讃えることを忘れなかったのは、相手に仏・菩薩の徳の輝きを見ていたからにほかなりません。仏法を学ぶ私たちにとって、人を認め、讃えるとは、相手の「いのち」を賛嘆することではないでしょうか。人とふれあうときに、相手のすぐれたところを見る心がけとともに、私たちはお互いさま、本来、仏・菩薩の徳を本具する「いのち」であることを忘れてはならないと思います。

             

            日々の中で、価値観が違う相手や批判する人に出会いますと、「なんでそんなこと言うのかな」と、どうにも受け入れられず、苦しくなります。ほめるどころではありません。そこには相手を変えよう、自分の思うとおりにしたいという自己中心が働いています。

             

            会長先生は、相手の言動や性格にとらわれると、もともと讃えるのに値する仏性という大切な視点を忘れてしまいがちと教えてくださいます。

            では、どうしたらほめるとか讃えることができるのでしょうか。

             

            ノウハウや言葉ではなく

            ほめるとか讃えるというと、最近はとくにテクニックとしてのそれがもてはやされ、人材育成や子育てのマニュアルには「ほめる」効用があふれています。相手をほめるというのは、自分の心を開くことです。

             

            素直に相手を認め、讃えていく気持ちが、人と打ち解けたり、和やかな関係を築くことになるのでしょう。

            その意味では、人を認めて讃えることも、じつは人のためではなく、自分を磨く実践の一つといえるかもしれません。

            けっしてノウハウや上手な言葉ではなく、自他のいのちの尊重と、相手の成長を心から願う気持ちに尽きるように思うのです。

             

            相手を認めたいと思っても、それが出きない時、そこで自分の枠や器の広さを知ることになります。

             

            お隣の方が、私の家との境に大きな樫の木を3本植えています。年々大きくなり、うちの2階のベランダに覆いかぶさる様になりました。だんだん陽も当たらず風も入りづらくなってきました。何とかこちらに入っている分だけでも切って頂けないかと申し入れましたが、「切る時期では無いので、時期が来たら切ります」との返事です。

             

            なんと理不尽な、こんな山の木に切る時期なんてないし、枯葉もうちの方にたくさん落ちてきます。私ではまったく聞き入れてもらえないので、主人にも言ってもらいましたが、頑として譲らないのです。だんだん腹が立ってきましたが、隣近所でもめたくない気持ちも有り、不承不承なりゆきに任せてきました。

             

            ある日、ばったり出会いましたので「お忙しいのですか?」と聞かせていただくと「母の介護があります。時間ができたら必ずやりますから!」と。その人の行動や言動や性格にとらわれると、もともと讃えるに値する「仏性」や相手の「いのち」を認めていくことができないと会長先生は教えて下さいます。

             

            私は相手の言動にとらわれて、自分の思うとおりにならないやっかいな人、非常識な人と思っていました。しかし、今回の事を通して、ただ一人で一所懸命、年取ったお母さんを介護されている相手の仏性を拝み、讃えていくことで、自分を磨くという実践がさせて頂けるご縁を頂いていたのです。

             

            後から、近所の方から彼女が、自分の2階の窓から身を乗り出して枝を切っていた事を聞かせて頂きました。仏様から頂いたありがたいご縁に、私から心を開き、声をかけさせて頂きます。

             

            開祖さまと会長先生のお背中を流されている時のふれあいが、相手を認め、讃えることについて、何が大切なのかを私に示してくださり、思わず涙しました。

            ありがとうございました。

             

                       合掌 大津支部 支部長 

                    (会長先生ご法話  佼成7月号より引用)

                  ※当月の会長先生ご法話はこちらからご覧いただけます。


            立正佼成会滋賀教会平成29年6月15日(釈迦牟尼仏ご命日)

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              日時 平成29年6月15日(木) 午前9:00〜

               

              ●後藤教会長おことば

               

              ●当日の板書

              ( ..)φメモメモ

               


              6月「会長先生ご法話」に寄せて

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                変わりなく毎日繰り返す日常も、会長先生のご指導をかみしめさせていただくと、教えを生かしているのか生かし切れていないのか、はっとさせられます。

                今月も会長先生より学ばせていただきたいと思います。

                 

                   「愚痴をいわない」

                 

                  【「 知っている 」という思いこみ】

                不都合なことに遭うと、私たちは不平不満を口にしがちです。

                俗にいう「愚痴をこぼす」ですが、この「愚痴」という熟語の二文字は、どちらも「おろか」を意味します。

                「痴」のほうは自分の知っていることがすべてと思いこみ、全体がよくわかっていないことからくる「おろかさ」ということです。

                「愚」は、まわりくどく、心のはたらきの鈍い「おろかさ」を示しているとでもいえるでしょうか。

                また、愚痴には「いっても仕方がないことをいって嘆くこと」という意味があります。

                確かに私たちは、いってもムダと知りつつも不平不満をいい、ときには思いどおりにならないことを人のせいにしてまで愚痴をこぼすのです。 

                私たちがなぜ、そこからなかなか抜けだせないのかといえば、自分の知っていること、思っていること、考えていることが「絶対に間違いない」という錯覚にとらわれているからです。まさに、「私は知っている」という病気にかかっているのです。

                 

                毎日生活をしていると色んな人や物と出遭いますが、先日、新しく入った職場の若い方が、元気が無いので心配して声をかけたところすごい剣幕でまくしたてられ私も周りに居た人も大変、驚きました。

                前日に、仕事のことで注意をされがきっかけだったようです。

                しかし、その様な事を言われるような方に見えなかったので、心配よりも「なんで,あんなこと言うんやろう」「話しかけるの怖いな」と自分に起きた不都合な出来事に、言葉に出さなくても心の中で愚痴をこぼしていました。

                 

                  【道理がわかれば】

                「私が正しい」「私は知っている」という気持ちが愚痴の原因の一つだとすれば、その心を省みることにより、不満や文句が少なくなりそうです

                そして、反省することによってものごとに対する洞察が深まると、不平や不満の対象としか思えなかったことが、「仏の説法」と受けとれるのではないでしょうか。

                日ごろから仏の教えに親しんでいると、愚痴をこぼしそうなときでも、智慧の心がそれを鎮めてくれる、経文にあります。

                「愚痴多き者には智慧の心を起さしめ」という一節ですが、愚痴の対象が「自分に大切なことを教える仏の説法だった」と思えたとき、そこには智慧の心がはたらいているといえそうです。

                 

                日ごろから仏さまの教えを聞かせて頂いているのに、先日の職場での出遭いを通して、「怖いから近づかないでおこう」と浅はかに思った訳です。しかし、相手の心に寄り添うと…すごい剣幕をまくしたてるほどの思いを抱えていることが有るのではないかと見方を変えると、一生懸命に仕事を覚えようとされてる姿がみえてきました。

                怖い気持ちがなくなったわけではありませんが、智慧を得るには『六波羅蜜』の行じ方の順番である布施⇒持戒⇒忍辱⇒精進⇒禅定⇒智慧 へと進んでいくと教えて頂いているように、まず私から爽やかに朝の挨拶からはじめていきたいと思います。

                 

                それでも、会長先生は次のようにご指導くださってます。

                 

                仮に、ついうっかり愚痴が出そうになったときでも、観音さまのような慈悲の心・人に対する思いやりの心が、自分勝手な言葉や行動を押しとめてくれるでしょう。

                それでも愚痴をこぼしそうになったら、「智慧がはたらく チャンスだ」と気持ちを明るく切り替え、あるいは日々の 読経供養をとおして心を見つめなおして、真理にそった ものの見方・受けとめ方に立ちもどればいいのです。

                 

                今月も、ご指導に基づいた生活をおくっていけるよう精進いたします。

                 

                有り難うございました。

                                           合掌

                 

                                  近江八幡支部 支部長

                 

                          (会長先生ご法話  佼成6月号より引用)

                 

                    ※当月の会長先生ご法話はこちらからご覧いただけます。


                5月「会長先生ご法話」に寄せて

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                   若葉のころ、色とりどりの花が咲きほこり、山々には新芽が芽吹き萌木色のベールにおおわれる季節となりました。

                  大自然の中に身をおくと身心がほんわかとほのぼのとしてきます。

                   さて、今月会長先生から頂いたご法話は、「させていただく」です。

                   

                         させて いただく

                   

                     【無限のつながりのなかで】

                   今月のテーマである、「させていただく」について、

                  会長先生は、工学博士の森政弘先生のお言葉を引用下さり仏教では『させていただく』という受け止め方をするが、それは、なにごとも自分の力だけではできないからである」 (中略)

                  又、曹洞宗の青山俊董師のお言葉からは、「この世界の一切のことは、どんな小さなことも漏れることなくぶっつづきに、あいかかわりあって存在する」とわかりやすく説かれています。

                   ものごとはすべて、かかわる縁の作用で生じたり滅したりする。―――すなわち縁起ということです。このような宗教的な世界観から生まれた表現が「させていただく」なのです。

                   その意味でこの言葉には、本来、私たちを常に「生かそう、生かそう」とはたらいてくださる大いなるものに対する、感謝の念が含まれているといえます。「おかげさまでさせていただくことができます」という気持ちです。 (中略)

                  佼成会ではよく使われる表現だけに、「あらゆるもののおかげさまで」という気持ちから、自然に「させていただく」といえる私たちでありたいものです。

                   

                  ここまで読み進み、心から「させていただきます」といってるだろうか?口先だけではなかっただろうか?と自分の言動を振り返りました。すると、形だけで言っている私に気づくことができました。そんな私の心にピッタリのおことばを、会長先生は次のように下さっています。

                   

                     【仏さまへの感謝】

                   私たちは、ふだん何気なく「させていただきます」と口にします。それは、先ほどお話ししたように、「おかげさまでとりくむことができます」「させていただけることがありがたい」という気持ちのあらわれです。ところが、この「おかげさま」や「ありがたい」を忘れてしまうと、「している」とか「してやる」といった自我が顔をだします。ものごとは形がとても大事であるといわれますから、繰り返し「おかげさまで、させていただけることがありがたい」と口にしていれば、縁起の教えがしっかりと胸に刻まれ、いつでも心からそういえるようになるのではないでしょうか。理想をいうと、そうなれば「させていただく」その感謝の実践は、仏・菩薩の遊戯三昧(ゆげざんまい)のようなとらわれのないうれしさ、楽しさにつながりそうです。

                   

                   忙しく毎日を過ごしていますが、おかげさまで健康を頂き家族に支えられ日々を送らせて頂いてます。しかし、食事の準備、洗濯など惰性に流されいつの間にか「している」、「してあげてる」と知らず知らずのうちにそんな思いになっている自分の心の姿勢に今回気付かせて頂きました。主人、子供がいてくれるおかげさまで、洗濯も料理もさせて頂けていると思うと、家族への感謝の思いが深まってきました。

                   又、我が家の前の桜の花も終わり、がくが舞い落ち玄関先や、ガレージを覆いつくしてます。その上お隣さんの葉っぱが強風で飛んできて山のように吹きたまってます。いつもいつも隣の葉っぱに悩まされ、「なぜ今葉っぱが落ちるの!」「切ってくれればいいいのに‼」「一言ごめんねと言ってくれれば!!!」と思って掃除をしていました。しかし、今回のご法話を頂き、「おかげさまでさせていただけます。」「ありがたくさせてもらいますね。」そう思いながら、言いながら掃除をしていくうちに本当にありがたくなり、うれしくなり、清々しくなったのです。葉っぱを掃きながら、私の心の埃(愚痴や怒り)も清めさせて頂いているんだと思いました。

                  全ての現象には無駄なものは無いと教えて頂いてます。出会うご縁を大事に、「おかげさまでさせていただけることがありがたい」と口に出し今月も歩ませて頂きます。

                  ありがとうございました。

                                                合掌
                                            甲賀支部 支部長
                                   (会長先生ご法話  佼成5月号より引用)

                           ※当月の会長先生ご法話はこちらからご覧いただけます。
                   


                  2月「会長先生ご法話に寄せて」

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                    滋賀教会では平成29年次寒中読誦修行が121日から23日までの14日間行われています。始まって早々、何年かぶりの大雪が降り積り、予定していた通りに事が進まず大変でした。しかし色々な変化が生じてくることで、教会長さんより頂いた寒中読誦修行の心構えの中で、「寒さの一番厳しい時に、難行・苦行を乗り越え、小さな我を捨てること」を、そして「自分ではどうすることもできないことを受け入れていくこと」を、自然の中から学ばせて頂きました。

                    今月の会長先生のご法話は
                    「気にしない人」 です。

                     
                    すべては仏のおはからい

                    私たちはふだん、いろいろなことを気にして暮らしています。そして、気にする必要のないことや、気にしても仕方のないことにとらわれて、悩んだり苦しんだりしていることも多いようです。日ごろ、人からの評価やうわさ話にふり回されていらいらしたり、まだ起きてもいない先のことを心配して心を曇らせたりすることはないでしょうか。

                    同居している主人の母は、心臓が悪く定期的に診察を受けています。
                    先日から具合が悪く寝込でいる母の体調を心配しながらもそれと同時に、2月には東京に行かなくてはならない用事があるのに、こんな状態で参加させて頂けるのかなと、まだどうなるかわからない先のことにとらわれる心が一瞬にして湧いてきました。

                    私たちはつい、権威や世俗の価値に照らして人と自分の評価を比べ、さらにはものごとを損得勘定で判断しがちです。ところが仏教では、出会う人も、身の回りで起きるできごとも、すべてが、私たちに大切なことを教える仏のはからいであると教えています。ものごとをそのように受け止めると、そこに優劣や序列や損得はありません。したがって、そういうことにとらわれる必要もないのです。

                    気にする必要のないこと

                    わたしたちは、自分ではどうすることもできないことを気にして悩みます。気にしたところで自分ではどうすることもできません。つまり、気にしても仕方のないことです。しかし、そうとわかっていても、私たちはいろいろと気にして悩み、その結果、不安や不満をかかえこんで苦しむのです。一休さんや良寛さんのような「気にしない人」に本質的に変われたら、いつでも安心して生きることができます。幸いなことに、本誌を手にされているみなさんは、二人が求めたのと同じ仏の教えに縁のある方々です。諸行無常、諸法無我、一切皆苦といった仏教の根本とともに、すべてを仏のおはからいと見ることや自らを深く省みることを繰り返し学ぶことで、「気にしない人」に自ずから変わっていくのだと思います。

                    ところで、私たちは気にしても仕方のないことまで気にするわりに、つねに心にとめておきたい大切なことは忘れがちです。その一つは「いま」です。過去や未来を思い煩うのではなく、「いま」をもっと大切にいきましょう。そして、人を思いやることを日々実践していきたいものです。

                    教務部も忙しく、用事を一度にお願いされることもあります。
                    こなす事だけにとらわれると、不安や不足の心、また相手を責めるこころが出てきます。
                    会長先生より信行方針の中で「本年も現実の繁雑に陥ることなく…」とご指導頂いております。
                    目の前の事を丁寧に、でてきた現象は仏さまからのプレゼントと有難く受け取れる私になれるよう、今年一年精進させて頂きたいと思います。

                                         合 掌

                                     滋賀教会教務部長

                              (会長先生ご法話
                      佼成2月号より引用)

                    1月「会長先生ご法話」に寄せて

                    0

                      皆さま、明けましておめでとうございます。

                      昨年は開祖さま生誕110年、そして開祖さまから会長先生へ法灯が継承されて25年という節目の年を皆さまとお祝いさせて頂きました。皆さま誠にありがとうございました

                       本年は会長先生から次のような信行方針を頂戴しました。

                       
                       
                      本年も現実の繁雑に陥ることなく、いつも大切なものごとに集中するよう工夫を凝らし、「テーマ」を持って布教に取り組みましょう。

                      釈尊が教えてくださった「有り難し(ありがたい)」「感謝(ありがとう)」のこころを、日常生活の中で表現し、実践してまいりましょう。

                      私たちは、仏さま及び開祖さま・脇祖さまの人を慈(いつく)しみ思いやるこころ、人間本来のこころ(明るく 優しく 温かく)を持って、菩薩道(人道?じんどう?)を歩んでまいりましょう。

                       

                      信行方針の中では、常に大切なものごとに集中できるよう工夫を凝らし、「テーマ」を持って取り組んでいくことの大切さを教えていただきました。滋賀教会としては、本年は大きな節目を迎える年ではありませんが、教団創立80周年(平成30年)を迎える前年でもあり、20年前に掲げられた総合目標『一人ひとりの心田を耕す佼成会』の締めくくりの年です。このような時こそ私たちがどのように過ごして行くかが大事になってきます。


                      滋賀教会としては、メインテーマ「『
                      明るく、優しく、温かい』自分・家庭・仲間づくりができる滋賀教会 〜つながろう!私から。つなげよう!大切なあの方に〜」をもとに、工夫を凝らし、心を合わせ精進していきたいと思います
                       
                      さらに本年は、釈尊が教えてくださった「有り難し(ありがたい)」「感謝(ありがとう)」のこころを日常生活の中で表現し、実践していくことの大切さを教えてくださっています。
                       それではどのように実践していくことが大事なのでしょうか。
                      それが、
                      佼成1月号の会長法話地道に、淡々と』ということが大切になってくると受け止めました。


                      『地道に、淡々と』

                       私たちは新しい年を迎えこのような一年にしていこうと目標を立てますが
                      日々の忙しさに紛れて、自分の目標、なすべきことを見失ってしまいます。そのことに対して会長先生が次のようにお示しくださっています

                      ○大自然に学ぶ
                       「元旦の雪といへども卸さねば」(広中白骨)の句が示すように、どのようなときでもなすべきことをていねいに行なう心のゆとりと落ち着きをとり戻すことが、いま私たちには必要なのではないでしょうか。時間に追われ、効率や成果にふり回されることなく、地道に、淡々とやっていく。そこに人間らしい生活やほんとうの幸せがあるように思うのです。
                      なにごとも急がず息(や)まず、循々(じゅんじゅん)と行なっていくなかに、人としての成長があるのだと思います。
                       
                      私自身、この原稿を書くことにとらわれ、年末に家族と過ごしていても、心のゆとりがなく、家族、特に子供たちの話に耳を傾けることが足りずにお互いに寂しい思いをしました。そのことを内省し、どのようなときでもなすべきことをていねいに行なう心のゆとりと落ち着きをとり戻すことが、大自然に生かされている私たちが学んでいくことと受け止めています。

                       それでは、地道に、淡々とていねいに行っていくもとになるのは何なのでしょうか?そのもとが次の内容であると思います。

                       
                      ○志を立てる

                       志に随っていま目の前にあることの一つ一つにていねいに向きあえば、その歩みはたとえ地道ではあっても、必ず実を結ぶということです。また、志があればものごとに一喜一憂しない余裕が生まれるので、落ち着きのある淡々とした生き方にもつながるはずです。

                       ただ、志に基づく実践といっても、人それぞれ、まさに分に随ってどのようなことでもいいのだと思います。

                       

                       まずは志を立てること。その志に随って目の前にあることの一つ一つにていねいに向きあっていくことの大切さを教えていただきました。各々志を立てていると思いますが、もしまだ志を立てていない方がいらっしゃったら、信行方針の中に示されている、「仏さま及び開祖さま・脇祖さまの人を慈(いつく)しみ思いやるこころ、人間本来のこころ(明るく 優しく 温かく)を思い出していただき、その「こころ」を発揮していくことを志にしていくといいのではないでしょうか。


                       私自身、本年は
                      「仏さま及び開祖さま・脇祖さまの人を慈(いつく)しみ思いやるこころ、人間本来のこころ(明るく 優しく 温かく)」を基に、今、目の前の方に喜んでもらえる存在になりたいと思います。具体的には、相手の話をていねいに聴き、「有り難し(ありがたい)」「感謝(ありがとう)」を日常生活の中で伝えていくことを、地道に、淡々と行っていきたいと思います
                       さらに今年も皆さま一人ひとりを敬い、また、皆さまからいろいろと教えていただきながら、日々気づきと学びと感動を味わい合い、精進していきたいと思っています。
                       今年一年どうぞよろしくお願い申し上げます。

                       

                                                  合掌
                                               教会長 後藤益巳
                                (会長先生ご法話
                        佼成1月号より引用)
                       



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