2月「会長先生ご法話」に寄せて

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    2月「会長先生ご法話」に寄せて

     

    新年を迎え心あらたまる1月があっという間に過ぎさり2月を迎えました。2月は節分会があり、豆まきが行われます。自分の心に邪気(鬼)の心が住みつかないように、この1年を過してまいりたいと思います。

     

    2月会長先生のご法話は「人生を厳粛なものに」です。

     

    厳粛に生きるとは

     

    「人生を厳粛なものに」というテーマですが、そもそも一人ひとりの一生は、「生まれる・老いる・病む・死ぬ」のどこをとってみても厳粛以外の何ものでもありません。意識していないだけで、私たちはみな厳粛な人生を歩んでいるのです。そうすると、そのことを明らかに知る、真理を自覚して生きることが、人生を厳粛なものにする鍵といえそうです。

     「厳粛とは、無常観に立って、いまを大切に生きること」といわれています。一日を、一時間を、そしていま目の前の一分一秒をおろそかにしないで、ていねいに暮らすことが大切なのです。

     

     私はいつも「時間を守る」ということが出来ないでいました。“何時に帰ります”と言って家を出ても、約束した時間に帰ったことがありませんでした。又、以前も「5分前行動」の実践を教えて頂いたのですが、なかなか守ることが出来ませんでした。この度、会長先生のご法話を拝読させて頂き、厳粛な人生を送るには、目の前の一分一秒を大切にすることだと学ばせて頂き、愕然としました。

     時間を守れないということは、今を大切に生きていない事だと気づくことが出来ました。今、大切な時間をいただいていることに感謝し、時間を守り、一日一日をていねいに暮して参りたいと思います。

     

    心のスイッチを入れる

     

     朝、ご宝前にお参りするとき、学校や職場や教会道場へ出かけるために家を出るとき、「おはようございます」と人とあいさつをかわすときなど、毎日、何気なく行っていることのどれか一つを「心のスイッチ」を押すきっかけにして、心に「ポン」と「真理の電流」を流し、「きょう一日、出会う人を大切にしよう。時間を有意義に使おう」というような「真理の灯り」を、心に「パッ」とともすのです。「ありがとう」という感謝の言葉も、私たちが「いま・ここに存在する」という厳粛な事実から生まれた「有り難い」を語源とするものであり、真理をかみしめるための「心のスイッチ」にはうってつけといえるでしょう。こうした習慣が身につけば、ことさら意識しなくても、私たちの日常は自然に厳粛なものになっていきます。

     

     私は納得いかないと「ハイ」と言えない自分でした。何かいわれると「でも・・・ それは」とか、いっぱい言い訳をしたい私でしたが「0.1秒のハイ」の実践を教えて頂き実行させて頂いたところ、半年が過ぎる頃から主人の態度が変わって来たように感じるようになりました。

     そして、私自身が、いかに自分本意で相手の意見も聞かず自分の思いを押しつけていたかということに気づかされたのです。「0.1秒のハイ」の実践は、自分の我を取る早道だと実感しました。教えて頂いたことを素直に実践することの大切さを、改めて学ばせて頂きました。

     2月15日は涅槃会です。

    入滅される前、釈尊は「すべて移ろいでゆく・怠ることなく精進しなさい」と、いい残されました。目の前の人を大切に、人さまに尽くす行いをさせて頂きます。

     

       合掌

            滋賀教会 文書布教部長

                      (会長先生ご法話  佼成2月号より引用)

    当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


    平成30年新年のご挨拶(会長先生ご法話に寄せて)

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       皆さま、明けましておめでとうございます。

       昨年は滋賀教会のメインテーマ「『明るく、優しく、温かい』自分・家庭・仲間づくりができる滋賀教会 〜つながろう!私から。つなげよう!大切なあの方に〜」のもと、今までのご縁を深めることはもちろんのこと、新たな出会いも頂いた一年でした。皆さま誠にありがとうございました。

       本年は教団創立八十周年の記念すべき節目の年です。その年に会長先生から次のような信行方針を頂戴しました。

       

       天地自然は、一瞬もとどまることなく、創造、変化を繰り返しています。私たちもまた、天地の道理の如く、停滞することなく、何事に対しても、日々新たな気持ちで取り組んでいくことが大切であります。

       今年、本会は創立八十周年の節目を迎えました。その今日に及ぶ歴史の礎は、開祖さま、脇祖さまをはじめ、先輩の幹部の皆様、信者さんの寝食を惜しまぬご尽力によって築かれてきたものです。

       この記念すべき年に当たり、教団創立百年に向けて、一人ひとりが、創造的な歩みを進める確たる志をもって、そのご恩に報いてまいりたいと思います。

       

       信行方針の中では、先達に恩返ししていく大切さと同時に、組織も個人も、常に「創造」を志すことの大切さを教えていただきました。滋賀教会は、来年発足55周年を迎えます。このような時こそ、私たちは心を合わせ信行方針に取り組んでまいりたいと思います。

       

       さらに年頭法話にて、「いま自分が、いかに恵まれているかに気づき、一見(いっけん)不都合と思われることの中に、仏さまの説法を見いだしていくこと。自も他も共に救われることが、真の幸せであることに気づくこと。つい頼ってしまう信仰から、主体的で、自立した信仰へと生まれ変わり、『自灯明・法灯明』を胸に精進していくこと。端的(たんてき)にいえば、これが釈尊の教える本質的な救われであり、『心田を耕す』ということであります」教えてくださっています。

       その「自灯明・法灯明」を具体的に教えてくださったのが、佼成1月号の会長法話『明るく、朗らかに』であると思います。

       私たちは新しい年を迎える中で、同じ一年を過ごすのであれば、充実した、有り難い一年をすごしたいと願っています。それではどのような心で、何を大事にしていけばいいのでしょうか。そのことに対して会長先生が次のようにお示しくださっています。

       

      『明るく、朗らかに』

       

      ○自らを灯として

       それぞれに思うところ、期するものがあると思いますが、だれにも共通するのは、一年をとおして明るく、朗らかにすごしたいという願いでしょう。

       そうであれば、ぜひ忘れずにいたいことがあります。それは、私たちに生きるエネルギーを与えてくれる太陽のように、まずは自(みずか)ら明るく朗らかになって、人を和(なご)ませ、喜ばせることです。ときには人に励まされ、他の人の明るさに癒(いや)されることもあるでしょうが、自ら明るく朗らかに生きる ― それが大切だと思います。

       

       私たちの共通する願いは、一年を明るく、朗らかに、心にこだわりがなく晴れ晴れとしてすごすことであり、そのためにはまずは自分自身が明るく、朗らかに、人を和ませ、喜ばせていくことが大事になっていきます。

       それでは、その「自ら」という気持ちはどうしたら発揮できるのでしょうか。

       

       自灯明は「自らを灯(ともしび)として生きる」ということですが、それは「何にも左右されない確固たる生き方の芯(しん)がある」ということです。そしてその「芯」となるのは、自分を含むすべての人が、かけがえのない命を、いま・ここに・自ら生きているという揺るぎない「信念」で、いま命あることへの「感謝」が、芯を明るく灯(とも)しつづけるのに必要な「油」といえるのではないでしょうか。

       

       年末、用事を済ませた後、時間があったので献血に行ってきました。献血ルームには若い女性やスーツ姿の壮年など56人の方が待っていました。その姿を見て何とも温かい気持ちになりました。年の瀬が迫ったこの時期に献血をする人の姿を通して、各々がそれぞれの生き方の「芯」に、いま命あることへの「感謝」という「油」が温かさと明るさを灯して輝いているように感じました。

       それでは、何にも左右されない生き方の芯をもつ私たちは、さらに何を精神的支柱にしていけばいいのでしょうか。

       

      ○法をよりどころに

        明るく、朗らかに生きるというとき、陽気な性格や環境に恵まれていても、いなくても、要は何を心の芯に据(す)えるかが大事で、私たち仏教徒にとっては、それが仏法(ご法)であることを、この小沢(道雄)師が明快に示してくださっているのではないでしょうか。そしてこれが、法を灯として生きる ― 法灯明でありましょう。

       また、見方を変えれば、ほんとうの明るさ、朗らかさは、苦悩を突き抜けた先にあるともいえますが、苦悩を突破するには、先に述べた「生き方の芯」とともに、さまざまな思わくにとらわれないで心を一つに向かわせる「志(こころざし)」をもつことが大切です。

       

       私たち仏教徒にとって、心の芯、あるいはバックボーン(背骨、精神的支柱)と表現してもいいと思いますが、その中心に何を据えるのかは仏法(ご法)であることを教えて頂きました。

       そして目標を一つに絞り込んで、集中して取り組み、その志にしたがって目の前にあることの一つ一つにていねいに向きあっていくことの大切さを教えていただいたように思います。

       

       信行方針の中に示されている、「私たちもまた、天地の道理の如く、停滞することなく、何事に対しても、日々新たな気持ちで取り組んでいくことが大切であります」を思い出し、自立した信仰者になっていくように、自分の心田を耕すことを大事にしながら、/佑里擦い砲靴覆ぁ⊂魴錣里擦い砲靴覆ぁおこらない。ことを実践していきたいと思います。 

       

       滋賀教会としては、メインテーマ「『明るく、優しく、温かい』自分・家庭・仲間づくりができる滋賀教会 〜つながろう!私から。つなげよう!大切なあの方に〜」を本年も掲げました。このメインテーマをもとに、人材育成(人を植える)ということに全力を注ぎ、創造的な歩みができるように工夫を凝らし、心を合わせ精進していきたいと思います。

       

       私自身、目の前の方に喜んでもらえる存在になりたいと思います。具体的には、たくさんの方に自ら出会い、目の前の人を大切に、さらに不都合と思うような相手の話もていねいに聴き、「有り難し(ありがたい)」「感謝(ありがとう)」を日常生活の中で伝えていくことを、精進してまいります。

      今年一年どうぞよろしくお願い申し上げます。

                                           合掌

        立正佼成会滋賀教会 教会長 後藤益巳

        (会長法話 佼成1月号より引用)

      当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


      12月「会長先生ご法話」に寄せて

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         2017年の師走を迎え、なんと月日が過ぎるのが早いことかとの思いです。一年をふり返り、よろこびや悲しみ、別れ、あんな事こんな事と時を刻んだ日々に感慨無量です。
         12月は会長先生から『型を身につける』とテーマを頂戴いたしました。 型とは基準になる形、あるもののかたちを作り出すもの、芸能や武道などで規範となる動作といわれています。日常生活での動作が型という意味のあるものとは意識せずに過ごしてきました。
         「型は方便」
        私たちの日常生活における身近な所作にも「型」というものがある、と私は受けとめています。 ちなみに「所作」とは、仏教で「身と言葉と心の三つのはたらきの現われ」をさします。では、その心とは何か。どのような心を「型」として身につけることが大切なのか―結論を先にいえば、思いやりや慈しみの心にほかなりません。思いやりや慈しみを体現し、それを「型」として日々実践することによって、私たちは慈悲の心をさらに深く胸に刻みつけていくのです。
        朝起きたら顔を洗い、朝の挨拶を交わし一日が始まります。出かけるときには「行ってまいります」と外へ、帰ってきたら「ただいま」と家に入り、食事のときには「いただきます」、「ご馳走さま」と箸をおろします。そんな他愛もないことと意識せずに過ごしています。ところがその動きの一つひとつが家族に対しての感謝や食物に対する感謝のこころを表す所作で、そこに心を込めるという大事なことだったのに置き去りにしていました。
        「形は無我の実践」
         仏教に「一即多・多即一」という言葉がありますが、根底となる思いや願いを忘れないことが肝心なのです。その意味では、仮に個性の数だけ「型」があるとしても、自分勝手な「型」は、「型」とはいいません。むしろ、「自分の思いどおりにしたい」というわがままな心を抑えるために「型」があるといえるのです
        思いが解りあえない人との話しや、行動を共にすることから避けようとする、避けている私です。会長先生からそんな我を型によって取り払えると示してくださっています。思いやりや慈しみの心を反映した型を身に付け穏やかなときを重ねていきたいと思います。 一年の締めくくりにどこまで心田が耕せたかこのことで振り返る機会を頂戴いたしました。
        来年は教団創立八十周年を迎えます。本会の歴史を支えてきた大切な「型」を身に付け、感謝のこころを深める師走を過ごして参ります。
                  合掌
                滋賀教会 総務部長
                          (会長先生ご法話  佼成12月号より引用)

        11月「会長先生ご法話」に寄せて

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          11月「会長先生ご法話」に寄せて

           

           暦の上では、早くも立冬を迎える11月、朝夕はめっきり寒くなり、佼成会のカレンダーでは、本年最後の月になりました。

          先月のご法話『「苦悩」と「苦労」』を通して、生きる事の素晴らしさを学ばせて頂きました。そして、今月その為の具体的な実践を教えて頂けるのです。

           

           今月の会長法話は、『 親孝行と菩薩行 』です。

           

          親孝行に「手遅れ」なし

           ただ、私は親孝行するのに、けっして手遅れということはないと思うのです。

          私は以前、本誌のこのページで、親やご先祖様に「安心してもらえるような生き方をしよう」と申しました(「親孝行と仏道」/2011年7月号)。それをより具体的にいえば、暮らしの一つ一つに、ていねいににとりくむ。日々を明るく、楽しくすごす。人に喜ばれるようなことを誠実に行うことです。娘や息子がこのように生きていれば、いまは亡き両親も、安心してくれるのではないでしょうか。そのような意味で、親孝行をするのに手遅れということはないのです。元気に暮らす両親にとっても、当然のことながら、わが子が誠実に生きて、まわりの人に喜ばれることは何よりもうれしいはずです。

           

           私の父は、私が小学校二年生の時に病気で亡くなりました。妹は五歳、

          弟は二歳でした。幼いときは感じなかったのですが、年が行く度に「なんで、なんでこんな苦労をせんとあかんねや」と、自分なりに我慢したものでした。母親からお兄ちゃん、お兄ちゃんと言われると、その思いはつのるばかりでした、表面は親孝行ぶっていましたが、心はいつのまにか鬼のようで 亡くなった父や苦労している母親を恨むような人間になっていたのです。でも、そんな私たちに転機がおとずれたのです。それは、十三歳中学一年生のときです。母親が立正佼成会のご縁に触れて入会してくれたのです。

          十九歳の時に初めて青年部のお役を頂き、今日まで教会のお役を、青年部長、教会教務員、渉外部長と気が付いたら四十五年間も頂いており、自分のことしか考えられなかった私が、お役のお蔭様で少しでも人さまに喜ばれることを実践させて頂いている姿をきっと亡くなった父親、母親は喜んで頂いているものと思います。

           

          「孝は百行の本」

           では、その菩薩行とは何か。それは、布施・持戒・忍辱など仏さまの教えに随って、人を思いやり、周囲の人に喜ばれるような行ないのことです。見方を変えれば、人の喜びを自分の喜びにする人を菩薩といい、その菩薩の心を支える杖は、生かされていることへの感謝といえましょう。そこで、先の親孝行のとらえ方をもう一度ふり返ってみましょう。日々をていねいにすごし、誠実に、人に喜ばれるような生き方をすること・・・この親孝行の具体像を菩薩行と重ねると、親孝行も先祖供養も菩薩行も、根本においては一つということがわかります。そして、これらすべてに共通するのは、いま命あることへの「感謝」です。

          「考は百行(ひゃっこう)の本(もと)」という言葉があります。「孝行はすべての善行の根本となる」という意味ですが、その孝行も生んでいただいた両親への感謝が基本ですから、命への感謝がすべての善行の土台となり、それが善なる世界を創造する力になると教える言葉なのかもしれません。

           

          今月のご法話を拝読させて頂き、今更に、もし、このご法に触れさせて頂いてなかったら、親孝行の真似事さえ出来ていない自分であったこと。まして、ようやく朝夕のご供養も自然体でさせて頂くようになった。そんな私にならせて頂いたのも、両親とこの教えに導いて下さった方、こんな私をここまで教え導いてくださった多くの方々、そしてなによりも、開祖さま・会長先生のお蔭さまと感謝申し上げます。

          ほとんどの方が、人のことよりまず自分のことしか考えない、今の世の中、いまこそこの教えを一人でも多くの方にお伝えさせて頂きたいと存じます。最後にいま意識して実践させていただいている事があります。それは、心田を耕す実践、人のせいにしない・条件のせいにしない・腹をたてないことを日々心がけて生活実践させて頂いています。  合掌

                                      教会渉外部長

                                  (会長先生ご法話  佼成11月号より引用)

          当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


          10月「会長先生ご法話」に寄せて

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            10月「会長先生ご法話」に寄せて

             

             彼岸花が咲き、通る人達に私はここにいますよと呼びかけている様に感じ、つい笑みが溢れます。

            8月の猛暑もいつの間にか過ぎ、朝夕めっきり涼しくなりました。先月のご法話、『人に「伝える」という事』を通して、相手とのご縁を大切にして、いつだれに対しても「学ぶ」姿勢を忘れない。

            つまり「ありがたい、うれしい、楽しい、と感じた純粋な気持ちを素直に伝えると教えて頂きました。」

            今月の会長法話は『「苦悩」と「苦労」』です。

             

            悩むことは大事

             

            たくさん悩んで苦労を重ねたことが、のちのちその人の大きな心の財産になっているというケースをよく見聞きします。今月四日に入寂会を迎える開祖さまは、子の病という苦悩が宗教とのご縁となり、その後、人生を大きく変える法華経との出会いがあったわけです。そう考えると、「悩むからこそ、いろいろな教えを求め、どう生きることが大切なのかを真剣に考える」といえそうです。     苦しみや悩みは貴重な経験として「ありがたいもの」だということも、いろいろ体験をして初めて「ああほんとうにそうだな」「苦があればこその楽なのだ」と受けとれるようになると思うのです。

            先日帰りが遅くなった事で、主人は不機嫌でした。怒っても当然だなぁ〜と思う心と、前から遅くなるって話してたのにと私の心は動きました。

            私はどこか自分を正当化する心が起きました。主人を責める心はありませんが、辛くなる自分がありました。

            しかしよく考えてみると、逆の立場になれば怒るのも無理はないと思え、わかっていても腹がたつんだろうなぁ〜と思えました。そういう心になると今までの自分の在り方を反省したり、日頃の当たり前のことに感謝が薄れている事にも気付き、ありがたい気持ちになりました。

            「大いなる苦労人」に

             釈尊は「一切皆苦」―この世のものごとはすべて苦であると教えてくださっています。開祖さまは、「この真実をしっかりと見つめ直し、それを腹の底に据え直すことが、何より大切」で、「そうすれば、苦境というものは、なにも特別なものではなく、人生にとって、ごく当たり前のことだということがわかってくる」

            「苦悩」と書くとき「悩」は「心を乱す、思いわずらう」という意味で、これは頭の中で問題が「停滞」し、堂々めぐりしている

            「苦労する」というときの「労」は、「つとめや仕事の疲れや骨折り」をさし、そこには問題を一歩前に進める「動き」があります。

            悩みや苦しみに直面したときには、体を使って「何かやってみるほうがいい」でしょう。そうすると「苦悩」が「苦労」に変わります。

             

            ここを拝読させて頂いたと時は、私は思い悩んで堂々めぐりをしていた事に気付きました。過去に執らわれている間は、苦悩で自分を見失うこともありました。

            昔の諺に苦労は買ってでも・・・とあります。

            沢山の体験で視野が広がり、相手の思う心も深まると思います。

            人様の為に労をいとわず動くことが「苦悩」を「苦労」に変える秘訣だと教えて頂きました。

            自分の事よりまず人様という心で、いつもはれやかにいられる自分になれる様、意識を持って、努力させて頂きます。

            合掌

            湖南支部 支部長

            (会長先生ご法話  佼成10月号より引用)

            *当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


            九月「会長先生ご法話」に寄せて

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              九月「会長先生ご法話」に寄せて
              八月は、見えないはたらきに気づくには、宗教や信仰が気づきのきっかけを与えてくれると教えて頂きました。私たちはどうすれば仏様からのメッセージに気づけるのでしょうか。それは、素直になることと教えて頂き、0・1秒の拝を間髪入れず実践させて頂きました。
              九月の会長先生のご法話は人に「伝える」ということです
              法を伝える意味
               仏さまの教えを学び生活のなかで実践していく------ それは、さまざまなことが起こる人生において、たとえ悩んだり、悲しい思いをしたりしても、直面した苦悩を受けとめて乗り越えていく「智慧」を身につけることになります。さらに学んだ教えを人さまにお伝えすることは、よりよく生きていくうえでの「智慧」や「慈悲」を体得する大事な実践であります。
               臨済宗松原泰道師が、説法の意味を「法は人のためにではなく、自分のために説くのだ」とおっしゃっています。法を伝えること、つまり布教伝道は、「一人でも多くの人に真理を知ってもらい、幸せになってもらいたい」と願う法の布施であると同時に、法を伝えることをとおして、自分の心田を耕していく精進にほかならないのです。
               私は八月の式典担当のお役を頂きました。その中で心一つにさせて頂くことの難しさ、伝わっていないことも知らずに、目の前に迫っている行事に囚われていました。仏の説法とも気づきもせず、ただこなしているだけの自分に気づかせて頂きました。一人一人を大事にし、相手を尊重し対話をして行く事を教えて頂き、求道心を持ち自ら寄って行く事を実践させて頂きました
              「智慧海の如くならん」
              私たちは、自分がよくわからないことを人に伝えることはできません。また、人にものを伝えるには、それなりの理解が必要です。ところが、私たちの知識や経験の量はほんのわずかです。そうすると、人に何か伝えようとするときに大事になるのは、「自分は何も知らない」という謙虚な姿勢ではないでしょうか。 私たちが読経供養の際に唱える「三帰依文」には、つねにその場にふさわしい仏さまの智慧をいただくには、つまり相手とのご縁を大切にして、いつ、だれに対しても「学ぶ」姿勢を忘れないことを、この一節から教えられます。
               また「伝える」ことの大事なポイントは、「ありがたい、うれしい、楽しいと感じた純粋な気持ちを、素直に伝えることほど人のこころに響くものはない」ということです。日常にあてはめると、「ありがたいことをたくさん見つけ、人さまに伝えていく」そこには、つねに感謝を忘れない心の姿勢があり、日々の幸せと喜びがあります。 感謝ということは、人間だけができること。その自覚に立って、ありがたいことをたくさん人さまにお伝えしていきたいと思うのです。
               今年九九歳を迎え益々元気になって行く母の声を聴きながら、弟夫婦に感謝の気持ちで杯です。一時は認知症
              を患うほどで心配しましたが、夜は晩酌をしながら、孫たちとの話に花を咲かせ、週三回のデイサービスにも行っています。 お役のお陰様で感謝を伝えられ、ありがたいことをたくさん見つけ、家族、支部の方、触れ合う方に法をお伝えし、ありがたいことをたくさん人さまにお伝えさせて頂きます。
                                                     合掌
                                            滋賀教会 湖北支部支部長
                                      (会長先生ご法話 佼成9月号より引用)

              8月「会長先生ご法話」に寄せて

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                夏、本番を迎え子供達にとっては楽しい夏休みの8月です。また8月15日は月遅れのお盆を迎えます。日頃は忘れがちですが、私の命をつないで下さっている目にみえないご先祖さまに感謝をさせて頂き、子供達にも伝えて行く大事な月ではないかと思います。

                 

                8月の会長先生のご法話は「見えないはたらきに気づく」です。

                 

                信仰は「気づき」のきっかけ

                「空気・心・ご縁」。この三つに共通することがらが何か、みなさんはおわかりになるでしょうか。「実際に触れることも見ることもできないものでありながら、私たちが生きるうえで欠かせない大切なもの」これが答えです。心やご縁を具体的に考えてみても、たとえば親の恩やご先祖の徳、家族の思いやりや友人の気遣いなども、つい感謝を忘れてしまいがちな「目には見えない大切なもの」といえます。宗教や信仰もまた「目に見えないものを見えるようにする」ものです。正確にいえば、目に見えない心のありようや「いのち」の不思議・有り難さ、そして生命の尊さなど、人として生きるうえでほんとうに大事なことに気づかせてくれるきっかけを、宗教や信仰は与えてくれるのです。

                 

                8月6日は大好きだった祖父の三十三回忌の祥月命日をむかえます。祖父は幼い時から信仰深い人だった様です。地域では強い檀家がある中でも60年前に父が佼成会に入会しました。祖父も佼成会の教えと庭野開祖さまのすばらしさに感動し、ご供養・法座・お導きと布施も素直にさせて頂いた方でした。祖父母・両親の温かい家庭で、良い事も悪い事も人がみていなくても仏さまはいつも見て下さっているよと教えられて育てて頂きました。

                 

                素直になる

                法華経の如来寿量品に「常に此に住して法を説く」という一説があります。仏さまはいつも、私たちのすぐそばで法を説きつづけてくださっているということです。それでは、私たちはどうすれば仏さまからのメッセージに気づけるのでしょうか。いちばん簡単な方法は、素直になることです。素直になれば、目に見えない大切なものも、仏さまの説法も手にとるように感じられ、まざまざと見えてくるはずです。どれほどつらい現実に直面しても、それをありのまま素直に受け入れたとき、人はそれぞれに大事な気づきを得る。客観的に見れば苦境にあることに変わりはなくても、目に見えない大切なことに気づいたとき、多くの人が胸のつかえのとれたような安心感に満たされるのです。それは、救いだとおもいます。目に見えないもののはたらきや仏さまの声に気づくというのは、いうなれば幸せになる早道です。

                 

                私は2度の流産と死産というつらい経験をした時は私が何か悪い事をしたの?本当に仏さまはいらっしゃるのか?と思った時期がありました。又、ある方に「子供の事で苦しむのは親不孝のサンゲだね」と言って下さる言葉が気になって、自分をみつめる事ができた時、両親に心配かけている事に気づけました。誰のせいでもない、自分の思い通りにならない現実を受け入れた時、子供は仏さまからの授かりものだと心から気づく事ができました。三人の水子を供養させて頂く事で命の尊さに気づかせて頂き、親孝行と先祖供養の大切さを教えて頂き、実践させて頂いています。「子供の事で苦しむのは親不孝のサンゲだね」は今思うと仏さまの声だったと思います。私の信仰の原点はそこにあると思いました。

                             合掌

                       東近江支部 支部長

                (会長先生ご法話 佼成8月号より引用)

                *当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


                平成29年次7月15日盂蘭盆会式典/釈迦牟尼仏ご命日ならびに布薩の日

                0

                  日時 平成29年7月15日(土) 午前9:00〜

                   

                  ●後藤教会長おことば

                   

                  ●当日の板書

                  ( ..)φメモメモ


                  平成29年次7月1日布薩の日ご命日式典

                  0

                    日時 平成29年7月1日(土) 午前9:00〜

                     

                    ●後藤教会長おことばと佼成確認(動画)

                     

                    ●当日の板書

                    ( ..)φメモメモ


                    7月「会長先生ご法話」に寄せて

                    0

                      本格的な夏を感じさせる季節となりました。佼成会では6月から下半期に入り、会長先生の年頭のお言葉「有り難し」をどう感じ、どう実践させて頂いているのかを振り返らせて頂きたいと思います。7月の会長先生のご法話は「相手を認め、讃える」です。

                       

                      「いのち」をする

                       人のすぐれているところをほめることを、一般に「讃える」といいます。では、その「すぐれているところ」とは、何を基準にしてそういえるものなのでしょうか?

                      ふつう私たちは長所を指して「すぐれている」といい、その人を認め、讃えます。ところが釈尊は自分の生命を奪おうとした提婆達多を「善智識」と讃え、世間の常識とは異なる見方かもしれませんが、ここには人を認め、讃えるときの大切な着眼点が示されています。

                       

                      釈尊がどれほど罪深い人に対しても讃えることを忘れなかったのは、相手に仏・菩薩の徳の輝きを見ていたからにほかなりません。仏法を学ぶ私たちにとって、人を認め、讃えるとは、相手の「いのち」を賛嘆することではないでしょうか。人とふれあうときに、相手のすぐれたところを見る心がけとともに、私たちはお互いさま、本来、仏・菩薩の徳を本具する「いのち」であることを忘れてはならないと思います。

                       

                      日々の中で、価値観が違う相手や批判する人に出会いますと、「なんでそんなこと言うのかな」と、どうにも受け入れられず、苦しくなります。ほめるどころではありません。そこには相手を変えよう、自分の思うとおりにしたいという自己中心が働いています。

                       

                      会長先生は、相手の言動や性格にとらわれると、もともと讃えるのに値する仏性という大切な視点を忘れてしまいがちと教えてくださいます。

                      では、どうしたらほめるとか讃えることができるのでしょうか。

                       

                      ノウハウや言葉ではなく

                      ほめるとか讃えるというと、最近はとくにテクニックとしてのそれがもてはやされ、人材育成や子育てのマニュアルには「ほめる」効用があふれています。相手をほめるというのは、自分の心を開くことです。

                       

                      素直に相手を認め、讃えていく気持ちが、人と打ち解けたり、和やかな関係を築くことになるのでしょう。

                      その意味では、人を認めて讃えることも、じつは人のためではなく、自分を磨く実践の一つといえるかもしれません。

                      けっしてノウハウや上手な言葉ではなく、自他のいのちの尊重と、相手の成長を心から願う気持ちに尽きるように思うのです。

                       

                      相手を認めたいと思っても、それが出きない時、そこで自分の枠や器の広さを知ることになります。

                       

                      お隣の方が、私の家との境に大きな樫の木を3本植えています。年々大きくなり、うちの2階のベランダに覆いかぶさる様になりました。だんだん陽も当たらず風も入りづらくなってきました。何とかこちらに入っている分だけでも切って頂けないかと申し入れましたが、「切る時期では無いので、時期が来たら切ります」との返事です。

                       

                      なんと理不尽な、こんな山の木に切る時期なんてないし、枯葉もうちの方にたくさん落ちてきます。私ではまったく聞き入れてもらえないので、主人にも言ってもらいましたが、頑として譲らないのです。だんだん腹が立ってきましたが、隣近所でもめたくない気持ちも有り、不承不承なりゆきに任せてきました。

                       

                      ある日、ばったり出会いましたので「お忙しいのですか?」と聞かせていただくと「母の介護があります。時間ができたら必ずやりますから!」と。その人の行動や言動や性格にとらわれると、もともと讃えるに値する「仏性」や相手の「いのち」を認めていくことができないと会長先生は教えて下さいます。

                       

                      私は相手の言動にとらわれて、自分の思うとおりにならないやっかいな人、非常識な人と思っていました。しかし、今回の事を通して、ただ一人で一所懸命、年取ったお母さんを介護されている相手の仏性を拝み、讃えていくことで、自分を磨くという実践がさせて頂けるご縁を頂いていたのです。

                       

                      後から、近所の方から彼女が、自分の2階の窓から身を乗り出して枝を切っていた事を聞かせて頂きました。仏様から頂いたありがたいご縁に、私から心を開き、声をかけさせて頂きます。

                       

                      開祖さまと会長先生のお背中を流されている時のふれあいが、相手を認め、讃えることについて、何が大切なのかを私に示してくださり、思わず涙しました。

                      ありがとうございました。

                       

                                 合掌 大津支部 支部長 

                              (会長先生ご法話  佼成7月号より引用)

                            ※当月の会長先生ご法話はこちらからご覧いただけます。



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