10月「会長先生ご法話」に寄せて

0

     

    まだまだ不安はありますが、最近では新型コロナウイルスと共存していく生活を受け入れつつあります。

    そんな私達の心とは別に季節はめぐり、肌にふれる風にも秋を感じる毎日です。

     

     

     10月の会長先生のご法話は「心が変われば、生き方が変わる」です。

     

    〇みんな同じ仏の弟子

    「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」(ウィリアム・ジェームズ)という、人間の本質をついた名言があります。まるで、先の話を参考にしたかのような言葉ですが、心が変われば生き方が変わり、それは運命、すなわち「めぐりあわせ」も変えるというのです。(中略)

    ですから、目先の欲に流されないとか、感情にまかせて怒らないとか、ものごとの変化をありのまま受けとめるなど、人により、場合によって「心の塵」の払い方はいろいろあると思いますが、仏の教えを素直に信じて、行じていけば、おのずと運命が変わっていくのだと思います。佼成10月号より引用

     

     

    日頃、日常生活を送る中で自分にとって不都合な事が出てくると、つい相手のせいにしたり、腹を立てたりして、悩みや苦しみのもとをつくっています。

    そんな時にこそ、ひと息おいて仏さまの教えに心を寄せて、行じていくと、その不都合と思っていたことが、実は自分の心のくせや、生き方を変えて下さる宝なのだと思いました。

     

     

     

    〇「信じる」ということ

    開祖さまは、「信仰は、ただやみくもに信ずるというのではなく、真理にめざめて信ずる」ことだといっています。つまり、ただ信じればいいのが信仰ではなくて、諸行無常や諸法無我、縁起の教えといった「真理(真実の道理)・仏法」を学んだら、それに照らしてものごとを見たり考えたりするという、「智慧」に根ざした生活を送ることが、「仏の教えを信じる」ことであり、「信仰」なのです。

    ちなみに「信心」というのは、私たち人間が仏と同じものを具えていることを「信じる心」のことです。ですから、仏を信じる、釈尊を信じるというのは、人間そのものを信じ、まわりの人の仏性を素直に信じることを意味します。

    そのように考えると、教えを信じて行じることの基本は、いまの目の前にいる人を信じて尊ぶことに尽きる、といえるのではないのでしょうか。佼成10月号より引用

     

     

    私は最近ご供養の後に、庭野日敬 平成法話集「我汝を軽しめず」のご著書を拝読させてもらっています。先日Aさんとの電話のやり取りの中で地区のことでお互いが思いを主張し、すっきりしないまま電話を切りました。何でわかってくれないのだろうと相手を責める気持ちが湧いてきました。が、その日に拝読したご著書の中に「平らな心は感謝から」というお言葉が思いうかびました。

    今の私は、自分本位に考えている。Aさんに対して感謝もないなと思いました。すると、少しずつAさんの良いところが見えてきました。そして、電話ではなく、Aさんに会いに行くと、Aさんから返ってきた言葉は、私の思いを受けとめて下さっている言葉でした。

    私は、驚きと共に両方がお互いの事を解ろうとしていたことを感じました。

     

     

    だれもが仏と同じいのちを生きる仏性のあらわれなのだ、ということが腑に落ちると、人との接し方や言葉の受けとめ方が変わらないでしょうか。佼成10月号より引用

     

    目の前にいる人を、尊び、一人ひとりを大切にしていけるよう精進させて頂きます。

     

                                          合掌

                                日野支部  M

     

    (太字は会長先生ご法話 佼成10月号より引用)

    当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


    滋賀教会令和2年9月度釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

    0

      滋賀教会令和2年9月度釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

       

      日時 令和2年9月15日(火)

      (収録日 令和2年9月12日(土))

       

      滋賀教会では新型コロナウイルス感染拡大防止対策として式典は執り行わず、事前に収録したおことば動画を配信させて頂いております。

       

      ●後藤教会長おことば

      動画約12分9秒(オープニング含むノーカットです)

      ●当日の板書

      ( ..)φメモメモ


      滋賀教会令和2年9月度朔日参り(布薩の日)ご命日

      0

        滋賀教会令和2年9月度朔日参り(布薩の日)ご命日

         

        滋賀教会は新型コロナウイルス感染拡大防止対策として式典は執り行っておりません。

        本映像は事前に収録致しました。

         

        ●機関誌「佼成」9月号会長先生ご法話

        ”ともに悲しむ心”より

        拝読とかみしめ

        滋賀教会 後藤教会長

        動画約13分26秒

        ●当日の板書

        ( ..)φメモメモ


        9月「会長先生ご法話」に寄せて

        0

          今月の会長先生のご法話は「ともに悲しむ心」です。


          ○人の悲しみを悲しむ心情
          福島の高校で国語の教師をつとめるかたわら、詩人としても活躍する和合亮一さんの、「ともに」という詩です。
          「あなたの涙が/わたしに/教えてくれたこと/人は弱い/人は悲しい/人は切ない/だけど/ぬくもりがある/人は人を想う/人は人を愛する/人は人に涙する/あなたも/わたしも/さびしい/だけど/あなたも/わたしも/共に/生きている」
          (『十万光年の詩』佼成出版社刊)
           つらい経験をして悲嘆にくれる人に出会ったとき、私たちはこの詩のように、相手を思い、ときにはともに涙したり、手をとって「いつでもそばにいますよ」と励ましたりします。それは、私たちが人の苦しみに共感して、ともに悲しむことができるという、他の動物にはない懐しい心情をもつ人間として生まれたからです。

          (佼成9月号より引用)

           

          私は今まで色んな苦しみや悲しみを体験してきました。苦しすぎて途方に暮れた事もありました。でも、そんな時一緒に泣いてくれた友達がいました。
          頑張りを認めてくださった方とも出会いました。そしてサンガの仲間はご法に照らし合わせて悲しみから救ってくださいました。
          そんな多くの方の支えのお陰様で、私は前を向いて進む事ができました。
          だから友達が悩んでいると、私はその友達の悲しみを自分の悲しみとして受け止め、一緒に頑張ろう!と励ます事ができました。
          自分が苦しんだ分、人の悲しみがわかり、共に悲しみ、励ます事ができるようになった事、それも私の仏性なんだと気が付かせて頂きました。

           

          ○自他の仏性が輝くように
           九月のいまごろのことを、暦のうえでは「白露」といいます。朝の草花に宿った露が、日光をあびて輝くさまのことですが、露には「露の世」という言葉に見られるように、はかない印象もあります。しかし先の一句は、露のようにはかなく思える無常の世にあっても、「悲しみにくれる人がいないように」「だれもが仏性に目ざめて救われるように」と願う、仏の切なる思いを伝えているのです。それはまた、菩薩として人に寄り添う生き方を私たちに示します。

          (佼成9月号より引用)

           

          お盆に実家に帰ると仏壇には色とりどりのお花、手作りのお供えものがたくさんお供えしてありました。
          亡き祖母もきっと喜んでくれていると思います。
          そして、母が私達の為に作ってくれた机いっぱいの手料理。両親の笑顔。
          とても楽しく幸せな時間を過ごす事ができました。
          両親とは、うまくいかなかった時期もありました。でも、父は私の手を離しませんでした。母は、陰ながら私を応援していてくれました。そんな両親の仏性に気がついた時、両親の存在に感謝できるようになりました。
          私が元気で前を向いて頑張っていく事が、両親への恩返しになると思い、自分の仏性を大切に精一杯生きていこうと思えるようになりました。

          コロナ禍で当たり前の事が当たり前にできない今だからこそ、ひとつひとつを丁寧に、目の前の人に喜んでもらえるよう、明るく、優しく、温かい私になれるよう精進させて頂きます。合掌

          竜王支部 T.I

           

          (太字は会長先生ご法話 佼成9月号より引用)

          当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


          【滋賀教会】令和2年次戦争犠牲者慰霊・平和祈願の日

          0

            【滋賀教会】令和2年次戦争犠牲者慰霊・平和祈願の日

             

            日時 令和2年8月10日(月)

             

            滋賀教会は新型コロナウイルス感染拡大防止対策として式典は執り行っていません。

            本映像は当日ライブ配信した映像です。

             

            ●滋賀教会 後藤教会長おことば

             

            動画約13分23秒

            ●当日の板書

            ( ..)φメモメモ


            滋賀教会令和2年8月度朔日参り(布薩の日)ご命日

            0

              滋賀教会令和2年8月度朔日参り(布薩の日)ご命日

               

              滋賀教会は新型コロナウイルス感染拡大防止対策として式典は執り行っていません。

              本映像は当日ライブ配信した映像です。

               

              ●機関誌「佼成」8月号会長先生ご法話

              ”むだなものはない”より

              拝読とかみしめ

              滋賀教会 後藤教会長

              動画約21分21秒

              ●当日の板書

              ( ..)φメモメモ


              8月 会長先生のご法話に寄せて

              0

                今年は梅雨が長く雨の災害も多くあり、又、コロナ禍も一時収束しておりましたが、最近は感染の拡大もみられ不安な日々を送っています。

                 

                皆さまはいかがお過ごしでしょうか?

                 

                今月の会長先生のご法話は「むだなものはない」です。

                 

                拝読させて頂き、私は大好きな如来寿量品第十六の一句、

                 〜諸(もろもろ)の言説(ごんぜつ)する所は皆(みな)(じつ)にして虚(むな)しからず〜 

                を思い出しました。

                仏さまのお説きになることはすべて真実であって嘘いつわりなく、ひとつとしてムダなこともないのです。

                慈父であられる仏さまはいついかなる時も私達のすぐそばにいて下さり、私達の幸せのみを願って、救いの手をさしのべて下さるあたたかいお姿が思い出され、胸が熱くなります。

                 

                 

                また、会長先生は「仏に帰る」ための精進の中で

                「仏になるというのは、『悟りを得る』ことを指すのかもしれませんが、その意味でいえば、私たちはすでに悟っていると教えられてあります。ですから、仏になるために修行を、工夫をするというよりも、悟ったあとの精進をしている、それがいまの私たちの日常生活といえるかもしれません」と。

                では、なぜ精進をつづけるのかといえば、私たちがときどき自分の本質を忘れてしまうからです。悟っている「ほんとうの自分」に帰るための精進、それが日常の信仰生活なのです。

                 

                 

                次の章の「自分のことのように」の中で、

                ところで「如来寿量品」には、「如来の演ぶる所の経典は 皆衆生を度脱せんが為なり」(仏の教えはすべて、人びとを迷いの世界から救うためのものです)とあります。

                度脱とか迷いの世界から救うというと難しい印象ですが、要するに、いつでも心から、幸せだ、うれしい、楽しい、といえる人間になるということです。そして私たちは、自分の本質を忘れなければ、その幸せを実感できるのです。

                と教えて頂きます。

                 

                 

                私達は今、コロナ禍にあって、今までのような自由が奪われ、厳しい制約をうけて日常生活を送ることとなり、それまで普通に当たり前に出来ていたことが、ことごとく困難となり、我慢を強いられています。

                私は、人さまと触れること、コミュニケーションをとることがとても苦手な性格で、初めの頃は少し“ホッ”とする気持ちもあって、人さまと会えないことも不自由を感じずに、日々何気なく過ごしていました。

                しかし、毎日テレビから流れてくるコロナ感染の痛ましいニュースを見聞きしているうちに気持ちがざわついてきて

                「一人住まいのAさんは大丈夫だろうか?」

                Bさんはどう過ごされているだろうか?」

                とたまらなく愛しさを感じ、すぐにお電話をかけさせて頂き、日頃の不安な思いをじっくりと聞かせて頂くことができました。

                 

                マスクがなかなか買えず困っている状況を聞き、手紙を添えて手作りマスクを届けると「毎日の不安な気持ちはいっぱいあるが、皆さんに親切にしてもらって涙が出るほど嬉しい」ととても喜んで下さいました。

                私は時に、自分のことにとらわれて不平不満の心で過ごしていましたが、皆さまのお陰さまでほんの少しでも人さまを慈しみ優しい気持ちが持てたことに感謝でいっぱいになりました。

                 

                 

                会長先生は、

                仏はさまざまなかたちで、あるいはものごとをとおして、私たちが迷いの世界から離れるヒントを与えてくれています。万憶の方便と経文にあるように、聖人や賢人の教えだけでなく、いいことも悪いことも含めたこの世のあらゆるできごとが、「ほんとうの自分」に帰って幸せを味わうためのヒント、縁になるということです。

                と教えて下さっています。

                 

                 

                 先日、私は友人に連絡をとりたいと思い、メールやラインを送り、また手紙を書いてポストに入れ、電話をかけて、(あらゆる手を尽くしても)一向に返事がなく、そのうち気持ちがいら立ってきて、「こんなにしているのに何故連絡がないのだろう?」「嫌われているのだろうか?」とふと寂しい思いもわいてきて一人葛藤していました。

                しかし、友人の姿を通して我が身を振り返った時、私はある方に大変お世話になりながら長い間連絡もせずに不義理をしていたことに思い至りました。

                すると、その方と偶然にお出会いする機会があり、長い間のご無沙汰をお詫びし、お礼を申し上げることができ、即友人から丁寧な連絡が入りました。

                 

                この体験を通して、「連絡が無い事が悪いことはダメなこと」と否定的に思わなくなり、囚われが無くなりました。友人のお陰さまで大事なことに気づかせてもらい、心が通い合い、すっきりと清々しい気持ちにならせて頂きました。

                 

                最後に、私達が出会う全ての縁を

                自分のこととして受けとめ、学べば、この世にむだなものごとは何一つなく、その一つ一つが「ほんとうの自分」すなわち仏に帰る縁となるのです。

                と教えて頂きます。

                 

                即是道場の教えを頂き、日常生活の身を置く場で、目の前の人に喜んでいただけますよう、思いやりの実践をさせて頂きます。             合掌

                                  (近江八幡支部  K

                 

                 

                (太字は会長先生ご法話 佼成8月号より引用)

                当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。


                滋賀教会令和2年7月度釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

                0

                  滋賀教会令和2年7月度釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

                   

                  日時 令和2年7月15日(水)

                  (収録日 令和2年7月12日(日))

                   

                  滋賀教会では新型コロナウイルス感染拡大防止対策として式典は執り行わず、おことばのみ配信させて頂いております。

                   

                  ●後藤教会長おことば

                  動画約12分21秒(オープニング含むノーカットです)

                  ●当日の板書

                  ( ..)φメモメモ


                  滋賀教会令和2年7月度朔日参り(布薩の日)ご命日

                  0

                    滋賀教会令和2年7月度朔日参り(布薩の日)ご命日

                     

                    新型コロナウイルス感染拡大防止対策として式典は執り行わず、

                    収録した動画を配信させて頂いております。

                     

                    ●機関誌「佼成」7月号会長先生ご法話

                    ”いま、自分にできることを”より

                    拝読とかみしめ

                    滋賀教会 後藤教会長

                    動画約16分44秒

                    ●当日の板書

                    ( ..)φメモメモ


                    7月 会長先生のご法話に寄せて

                    0

                       早いもので7月になりました。
                      今年は季節の移り変わりの感じ方が、例年と少し違うように思います。
                      新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が、世界はひとつ、つながっていることを再確認する出来事になりました。

                      7月の会長先生のご法話は「いま、自分にできることを」です。


                      ○菩薩として何を願い、誓うか
                       仏心とは「一切衆生を救うの心」と教えられていますから、私たちは、いま世界中に広がっている病気によって苦しむ人たちに心を寄せ、事態が早く終息に向かうことを願うばかりです。一人ひとりが、自分にできることは何かを考え、それを日々、粛々と実践していきたいと思います。

                       (佼成7月号より引用)

                       今回、私たちは目に見えない大きな不安と、生活の変化に直面しました。そのことがストレスになって、苦しみ悩んでいる方もいらっしゃると思います。
                      相手の立場に立って、話しを聞かせていただき、相手に寄り添い、温かいふれあいをさせていただきたいと思います。


                       それで思い起こされるのが、大地から忽然と涌き出て、この娑婆世界で仏の教えを弘め、実践をとおして「すべての人を救おう」と誓う無数の菩薩たちです。
                       法華経の「従地涌出品」に登場するそれらの「地涌の菩薩」の代表が、上行、無辺行、浄行、安立行の四菩薩ですが、これは、仏道を歩むものが最初に「仏さまのようになりたい」と願ったとき、つまり菩提心を発したときに誓う「四弘誓願」を象徴的に示しているものと受けとめられます。

                       (佼成7月号より引用)

                       教学研修ではじめて「従地涌出品」を学ばせていただいたとき、講師さんが「地涌の菩薩は私たちのことですよ」と教えてくださいました。私は「私は違う...私にそんなパワーはない...」と思ったことを覚えています。
                      でも様々な体験を通して、その体験が私を育ててくださり、他を思いやり、他に寄り添う心の糧となっていると思わせていただきました。


                      ○いまが「習学」のチャンス
                       「四弘誓願」を参考にして、自分にいま何ができるかを考える人は、いうまでもなく仏の教えを信じ、実践する志のある人ですが、それは仏と同じ心になっているということです。「そういわれても」と、気後れする人があるかもしれませんが、教えにふれて「仏さまのようになりたい」という気持ちを起こしたとき、私たちはすでに、仏の心と一つになっているのです。
                       (佼成7月号より引用)

                       今年の2月に母が大腿骨頸部骨折をして約2か月間入院しました。
                      そして6月には父が脳梗塞で約3週間入院しました。
                      おかげさまで二人とも退院させていただきましたが、様々な機能が低下しました。私は毎日の生活の中で、変化する両親の姿を受け入れられず、不安で辛くなりました。
                      そして両親の介護を一人で担うことにプレッシャーとストレスも感じていました。
                      地区主任さんが「いつでも何でも言ってね、手伝うからね」と言ってくださっても、以前と違う両親の姿を見られるのがイヤで、お願い出来ませんでした。
                      でもあるとき、両親は私以上に身体と心の変化に不安を感じているだろう、両親に不安を与えないように出来る限り丁寧に接しようと思いました。
                      丁寧に接していると、今の両親のありのままの姿を受け入れることが出来て、全面的に私に頼ってくる両親を「愛おしい」と感じるようになりました。そして、地区主任さんに素直に「助けてください...」とお願いさせていただけるようになりました。
                      両親の介護を通して、執着がなくなると、相手のありのままの姿を見ることが出来て、受け入れることが出来ることに気づかせていただきました。


                       私にも、本会の先輩や他宗教の方のなかに、「またお目にかかりたい」と思わせられる方がいますが、その方々に共通するのは、神仏などを尊び敬う心が強く、一方では苦しみや悲しみの底に沈む人を常に思いやる、情愛あふれるという点です。私たちも、そのような菩提心を発して、日々に精進をしてまいりましょう。
                       (佼成7月号より引用)

                       7月は「盂蘭盆会」の月です。
                      いのちをつなげてくださったご先祖さまへの感謝をより深めさせていただきます。
                      そして「従涌の菩薩」の自覚にたって出会いを大切に、目の前の一つ一つを丁寧に実践させていただきます。合掌
                      大津支部 T.Y.

                       

                      (会長先生ご法話 佼成7月号より引用)

                      当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。



                      calendar

                      S M T W T F S
                          123
                      45678910
                      11121314151617
                      18192021222324
                      25262728293031
                      << October 2020 >>

                      selected entries

                      categories

                      archives

                      links

                      profile

                      search this site.

                      others

                      mobile

                      qrcode

                      powered

                      無料ブログ作成サービス JUGEM