滋賀教会令和2年6月度朔日参りご命日

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    滋賀教会令和2年6月度朔日参りご命日

     

    新型コロナウイルス感染拡大防止対策として式典は執り行わず、

    収録した動画を配信させて頂いております。

     

    ●機関誌「佼成」6月号会長先生ご法話

    ”怠け心に負けない”より

    拝読とかみしめ

    滋賀教会 後藤教会長

    動画約15分55秒

    ●当日の板書

    ( ..)φメモメモ


    6月 会長先生のご法話に寄せて

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      コロナウィルス感染拡大防止の為、外出できない日々を送っている間に桜は散り、木々は青葉の美しい季節へと変わっています。
      早く皆さんにお出会いに行けるようにと願う毎日です。

       

      今月の会長先生のご法話は「怠け心に負けない」です。

      精進が大事と知りながら
      昔の流行歌に「わかっちゃいるけど やめられねぇ」という一節がありました。おもしろおかしい表現ながら、私たちの心のはたらきをみごとにあらわしています。現に私たちは、ともすると、なすべきことを怠ったり、しないと決めたことを、ついしてしまったりします。
      お互いさま、「わかっちゃいるけど・・・」と、反省することが少なくないのではないでしょうか。
      〜 中略 〜
      「嬾惰の意、及び懈怠の想いを除き 諸の憂悩を離れて 慈心をもって法を説け」とは、法華経の「安楽行品」の一節です。
      だれもが抱く、サボりたいとか飽きたという気持ちを釈尊もよく理解されていたのでしょう、「心の内から湧いてくるさまざまな誘惑や迷いをふり払い、安らかな心で、みずから楽って、喜びのうちに精進できるように」と、釈尊は私たちにこの品を説いてくださったのだと思います。
             (佼成6月号より引用)

      昨年、支部長の大役を頂き、今年は布教中心に「たくさんの方とつながろう」と取り組もうとしていた矢先、コロナウィルスの影響で教会の活動が自粛され、その後、教会完全閉鎖というかつてない状況になりました。
      早くも3ヶ月余り経とうとしています。

       

      それまでは、お役で毎日のように教会へ通っており、朝は主人や子どもたちより早く出かけることもしばしばありました。その為には前日より準備をし、時間に追われるように一日を過ごしていたのが、学校も休校となり、少しぐらい寝坊してもいいか、朝夕のご供養も、後からゆっくり・・と時間にルーズになったゆるんだ生活になってきておりました。
      今回この会長先生ご法話の原稿の担当を頂き、びっくりしました。
      今の私を見て会長先生が喝を入れてくださった!と。

       

      世の中では社会活動自粛の影響で生活に不安をかかえている方もおられる中、我が家は主人のお陰さまで、心配もなく生活させて頂いています。有難い教えを頂き、みずから楽って喜びで人さまにお伝えするという使命を果たせていないことを反省させて頂きました。

      待っている人がいる
      〜 中略 〜
      そう考えると、自分がなぜ信仰をしているのか、なんのために日々精進するのという、目標や目的をつかむことが、喜びのうちに精進する基本となるのでしょう。
      しかし、それがわかっていてもなお、内心の誘惑に負けてしまうのが人間です。ただ迷うのも楽をしたいと思うのも自然なことで、ときには心の逃げ場も必要だと思います。そのとき、目的や目標を忘れなければいいのです。〜 中略 〜それはつまり、「自分を待っていてくれる人がいる」と思うとき、人は自己中心の思いから離れ、その人の役に立ちたいという願いが湧いてきて、精進の一つ一つが喜びや楽しみに変わるということでしょう。
      日本だけでなく、世界がさまざまな困難に見舞われています。
      「慈心をもって法を説け」
      とありましたが、みなさんのまわりには、あなたを待っている人はいませんか。                                             (佼成6月号より引用)
      先日の5月23日に近江八幡駅前にて献血が行われました。滋賀教会では青年部が青年の日の取り組みとして声かけをして、当日は、青年さんをはじめ、一般の方もたくさん来てくださいました。
      いつもは比重が軽く献血できない私は、今回も無理かなと思いながらも青年部長さんの声かけに後押しされ、参加してみると25年ぶりに献血することができました。
      人のためにできることがあるというのは本当にうれしくなります。健康を保つことも布施と教えて頂いていますので、次回もさせて頂けるよう体調管理の努力もさせて頂こうと思いました。
      献血会場では、何人かの方と久しぶりにお会いして直接話しをすることができ、それも又元気を頂きました。元々私は、自分から積極的に声をかけていくのが苦手な性格です。その私がお役のお陰さまでたくさんの方たちとご縁を結ばせて頂き、人と触れ合いすることでたくさんの感動を頂き、生きがいのある人生を送らせて頂いております。
      信者さんのどうしようもない辛い思いや苦しみに接し、何もできないと悩んでしまうこともあります。しかしその中でも何とかその方の為にできることはないかと念じさせて頂くことを有難く感じています。
      今回の布教に出られない日々は、自分の内心の誘惑に負けて素のままが出ておりましたが、信仰の原点、なぜ自分は信仰をしているのか、自灯明、法灯明の教えにあるように法の如く、自らを律し自らが実践させて頂くことが大切と改めて考えさせて頂ける時間でした。
      まだしばらく自粛の生活は続きますが、毎日の教会長さんのお言葉をしっかりと目標に持ち、これからも精進させて頂きます。
        合掌       湖南支部 支部長

       


      (会長先生ご法話 佼成6月号より引用)

      当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます


      気づきのおすそ分け

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        今月の会長先生ご法話「悠々として心安らかに」を通じ素晴らしい体験と気づきが届きました。

        ここでおすそ分けをさせて頂きます。

        ---------------------------

        ある日、職場の大事な書類をSさんに渡しました。何日かたってSさんの上司から書類誰に渡した?と聞かれました。Sさんにちゃんと渡しましたよと答えるとSさんは預かってないと言うのです。
        びっくりしてSさんを訪ねると、覚えてないと答えました。
        その事で発注が遅れご迷惑をおかけしたようですがどう考えても渡してます。
        忙しいのに今渡しても大丈夫?と気を使って渡し はいはいと受け取ってくれたSさんに憤りをかんじました。しかし、この時、佼成5月号を印刷して教会長さんからいただいた会長先生のお話を思い出しました。
        着物を盗んだと泥棒呼ばわりされた善太郎さんは身に覚えがなくても着物の代金を払い草餅のお土産まで持たせたと言うお話を思い出し、思い出せない彼を責めるのはやめよう。
        責めたところでもう書類はない。彼の上司に弁解するのもやめました。
        全て仏様にお任せしやましい事は何もないと自分に言いきかせました。これからは書類を渡したら自分のメモにでもサインをもらおうと私も勉強させていただきました。
        心を冷静に戻す事ができました。
        会長先生のお話「悠々として心安らかに」

        今一度感謝しております。

         

        滋賀教会 M


        滋賀教会令和2年5月度釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

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          滋賀教会令和2年5月度釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

           

          日時 令和2年5月15日(金)

          (収録日 令和2年5月11日(月))

           

          滋賀教会では新型コロナウイルス感染拡大防止対策として式典は執り行わず、おことばのみ配信させて頂いております。

           

          ●後藤教会長おことば

          動画約13分50秒(オープニング含むノーカットです)

           

          ●当日の板書

          ( ..)φメモメモ

           

           

           


          滋賀教会令和2年次5月度朔日参りご命日

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            滋賀教会令和2年5月度朔日参りご命日

             

            新型コロナウイルス感染拡大防止対策として式典は執り行わず、

            収録した動画を配信させて頂いております。

             

            ●機関誌「佼成」5月号会長先生ご法話

            ”悠々として、心安らかに”より

            拝読とかみしめ

            滋賀教会 後藤教会長

            動画約15分30秒

            ●当日の板書

            ( ..)φメモメモ


            5月「会長先生ご法話」に寄せて

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              5月の会長先生のご法話は「悠々として、心安らかに」です。


              ○妙好人・石見の善太郎
               妙好人というのは、白蓮華にたとえられるほど清らかな人柄の、信心深い念仏者のことです。

               

              〜中略〜

               

               ある日、その善太郎を信仰仲間が訪ねてきました。本山参りの際に一泊させてくれた同朋で、善太郎は笑顔で迎えますが、その人はいきなり善太郎をどろぼう呼ばわりして、難しく罵ります。着物を盗んで持ち去ったというのです。
               すると善太郎は、身に覚えがないにもかかわらず、「それは悪うございました」と丁重に詫びて
              着物の代金を渡したうえ、「何もありませんが、せめて草餅をおうちの人に」と、仏壇に供えた草餅を包んで土産にもたせました。信仰仲間が家に帰って、みんなで草餅をたべようとしたときです。その家で働く娘が、なぜかうつむいたまま、手にもとりません。「どうして食べないのか」。主人がそう尋ねると、娘は「善太郎さんが盗ったと、話しましたが、あの着物を盗んだのは私です」と、罪を打ち明けたのです。

               さて、もし皆さんが善太郎さんと同じ立場におかれたら、この事態をどのように受けとめ、対処するでしょうか
              (佼成5月号より引用)

               

               善太郎さんが余りにも心清らかな方なので、正直なところどのように解釈したらよいのか悩みました。それでこの草餅説法に登場する三人について、もしも自分がその立場であったならと考えてみました。
               もし私が着物を盗まれた信仰仲間だったら・・・
               いくら何でもいきなり仲間を泥棒呼ばわりできるだろうか?しかも着物代を受け取ったうえに、
              草餅まで貰って帰るなんて私には出来ないと思いました。謝罪を受け入れ、着物代を貰ったのならそれ以上の物をもらう必要があるのかと、考えてしまいます。
               では、もし私が善太郎さんだったら・・・。
               勿論、いきなり泥棒扱いされたのですから相手を許すことは出来ないと思います。謝罪したうえに
              着物代、さらには草餅まで持たせるなんて、とても私には出来ない事です。
               では、その家で働く娘だったら・・・。
               恥ずかしながら、とっさに誤魔化したり、つくろったり、しらを切ったり?する事はありますが、
              嘘をついて人を陥れるような事は出来ないです。でも、こうして私が○○だったらと考えたら三人の中で一番私に近いかもしれないです。
               以前、主人のメガネを使ってどこに置いたのか分からなくなってしまった事がありました。
              あちらこちら心当たりを探しても見つからないまま、主人の帰宅時間が近づいてきました。日頃から使った物は元の所に戻しておくようにとか、自分のメガネを使うように言われていましたので「また小言を言われる・・・。」そこでひらめいたのが、同じメガネを買いに行く事でした。幸い、100円均一で買ったもので大量生産、当然同じものが売っているだろうと。しかし何軒回っても同じ物は売っていませんでした。やっぱり、仏さまはご照覧。素直に謝りなさいと言って頂いているのだと思い、疲れて家に帰りました。すると、何度も試したはずの洗面所に落ちているのを見つけたのです。私が素直に主人に謝ろうと思えるまで仏様がマジックを使われたのだと思います。このことがあってから何か失敗をしたり、自分が間違ったと思った時には相手の方に出来るだけお詫びするようにさせて頂いています。

               

              ○楽しく仏道を歩む
               善太郎さんの対応には感心するばかりですが、では、どうして何も釈明しないまま、善太郎さんは
              事態を受け入れることができたのでしょう。
               私は、「阿弥陀さまにすべてをおまかせしている」という、善太郎さんの絶対的な「信」によるもの
              ではないかと思います。「やましいことは何もない。仏さまはすべてご照覧なのだ」。そうした、悠々として安らかな気持ちがあればこそ、あのように受けとめることができたのでしょう。

              「いう人もいわれる我ももろともに 同じ蓮の台なるらん」という道歌がありますが、仏の前ではすべての人が平等ですから、その場で身の正しさを申し立て、相手をやりこめるのはつまらないこと、と考えたのかもしれません。
               法華経の「勧持品」に「我身命を愛せず 但無上道を惜む」という言葉があります。信仰者の強い
              意志を示す一節ですが、この言葉は、命さえ惜しくないという意味だけではないと思います。いま、この地球に生まれて生きている奇跡に気がつけば、「自分さえよければいい」と自己に執着している

              場合ではない、生かし生かされあう縁に感謝することが大事なのだ、という意味にも受けとれます。

              「但無上道を惜む」は、そのような感謝に目ざめたら、一人でも多くの人と感謝の気持ちを共有しよう、ということではないでしょうか。法華経の教えによって感謝に目ざめた私たちであれば、その教えを人に伝え、生きる喜びと感謝をともどもに味わおうと、一歩を踏み出すことです。

              〜中略〜

               先の善太郎さんの話は、「草餅説法」といいます。娘さんの心を解かした妙好人のあたたかさに、悠々として、心安らかに生きる信仰者の神髄を見る思いがします。

              (佼成5月号より引用)


               信仰者仲間が善太郎さんをいきなり泥棒扱いしたのは、その娘が陰ひなたなく良く働きとても信用していたからかもしれませんし、善太郎さんが以前毛虫の悪太郎と呼ばれていたからかもしれません。

               私も、以前こうだったからと一度フィルターをかけて見てしまうとありのままを見られないことが々あります。それに草餅を貰って帰ったのも素直に謝罪した善太郎さんとの間にこれからも善き信仰仲間として溝を作りたくなかったからかもしれません。
              その娘もちょっと借りるだけのつもりで、とか又は已むに已まれぬ事情があったのかもしれません
              嘘をついたことでずっと胸を痛めていたと思います。そう考えると悪人は一人もいないということです。
              “いくら正しいからと言って相手をやり込めるのはつまらないこと”本当にその通りだと思います。
              やり込めただけでは相手に何も伝わりません。善太郎さんの行いは周りの人たちの仏性を引き出したんだなと思います。
               頭ではわかっていても、実生活の中ではまだまだ・・・。夫婦喧嘩は買ったらあかん、勝ったらあか
              ん。ある本のタイトルです。なるほどな〜と、私もそうありたいと思っていましたが、つい3日ほど前の事です。深夜に仕事から帰ってきた主人が玄関を開けるなり、怒鳴り散らしています。お昼に、もう一度買い物に出るつもりで車をガレージの真ん中に停めたままだった事を忘れていたのです。100%私が悪いと素直に直ぐに謝りましたが、ただでさえ長距離通勤で疲れているのに加えて私の車を移動させないと自分の車を停められなかった主人の怒りはおさまりません。次の日も責められてしまい本当に申し訳なかったと思っていた気持ちがだんだんと「悪いと思って何回もあやまったやん」とか「そんなにしつこくおこらなくても」とか相手を責める気持ちが起こってきました。後で支部長さんには「お試しやなぁ」と言って頂きましたがこの善太郎さんの「草餅説法」にふれていなければ言い返していたかもしれません。仏さまはご照覧、仏さまはに対する絶対的な「信」は善いことを淡々と続けていくなかに自然と湧き出るものなんだろうと感じさせて頂きました。

              揺るがない自信、そういうものを持てる私にならせて頂きたいです。

              合掌

               

              東近江支部 支部教務員

               

              (会長先生ご法話 佼成5月号より引用)

              当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。

               

               


              滋賀教会令和2年4月度釈迦牟尼仏ご命日

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                滋賀教会令和2年4月度釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

                 

                日時 令和2年4月15日(水)

                (収録日 令和2年4月12日(日))

                 

                滋賀教会では新型コロナウイルス感染拡大防止対策として式典は執り行わず、おことばのみ配信させて頂いております。

                 

                ●後藤教会長おことば

                 

                動画約15分35秒(オープニング含むノーカットです)

                 

                ●当日の板書

                ( ..)φメモメモ


                滋賀教会令和2年4月度朔日参りご命日

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                  滋賀教会令和2年4月度朔日参りご命日

                   

                  新型コロナウイルス感染拡大防止対策として式典は執り行わず、

                  おことばのみ配信させて頂いております。

                   

                  ●機関誌「佼成」4月号会長先生ご法話

                  ”偏った見方を越える”より

                  確認とおことば

                  滋賀教会 後藤教会長

                  動画約33分00秒

                   

                  ●当日の板書

                  ( ..)φメモメモ

                   


                  今月の掲示板

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                    桜が

                    満開になり本格的な

                    春がやってきました

                    桜はとても美しく私達の心を

                    和ませてくれます


                    しかし今年は

                    人々の密集している所は

                    新型コロナ感染のリスクが高まるため

                    恐怖が襲ってきます


                    自粛を心がけない世の中になっています

                    行事予定はキャンセルされ途方に暮れる日々も

                    多いのではないでしょうか?

                    日々を充実させるのは自分しかありません


                    家族のふれあい

                    家の掃除

                    私は早くから学校が休校になった孫とのふれあいを

                    楽しんでます

                    何年ぶりかお彼岸のお墓参りも

                    家族揃って行かせていただきました

                    ご近所さんと

                    お話したり

                    身近な生活を楽しんでいます

                    この楽しみは

                    あたり前ではありません

                    今日も健康で

                    無事に生活できた事に

                    感謝せずにはいられません


                    今できる事は身近な目の前の方に喜んでいただく

                    お役に立つ事を

                    意識する事が大切な事だと思います

                    また人々とのふれあいの持てる日

                    布教活動の日々が戻ってくる事

                    を願い自粛生活を

                    心がけたいと思います


                    滋賀教会文書布教部 M


                    4月 「会長先生ご法話」に寄せて

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                      今月の会長先生のご法話は「偏った見方を越える」です。

                       

                      「自分は正しい」という偏り

                       

                      自分の感情や都合を大事にするそういう見方や受けとり方を、私たちは多かれ少なかれしていると思います。これは、いうまでもなく自己中心の狭い見方です。この見方が高ずると「私の考えが正しい」「自分の判断は間違っていない」といったとらわれや偏見が強くなって、ものごとを正しく見る目がさらに曇ります。

                      そこで、そういうものの見方を省みるとともに、自己中心に偏りがちな視野を大きく広げる動機づけともなる、法華経の一節をご紹介しましょう。

                       

                      「等正覚を成じて広く衆生を度すること、皆提婆達多が善知識に因るが故なり」(私が仏の悟りを得て人びとを救えるのは、すべて提婆達多という善き友のおかげです)

                      「提婆達多品」の有名な言葉です。自分を敵視して殺そうとまでした提婆達多のことを、釈尊が感謝の思いをこめてサンガに伝える重要なくだりですが、これは私たちが、偏った見方から大きな見方へと心を切り替える、スイッチのような役割をもつ一節でもあると、私は受け止めています。

                       

                      田舎で独り暮らしている義父のところへ、ときどき買い物にいったり家の用事などをするために、主人と帰らせてもらっています。

                      少し認知症が見られるということです。

                      まだまだ元気な義父なのでありがたいのですが、その反面自分の気に入らないことがあると、その思いをそのまま口に出してしまうことがよくあり、デイサービスの方や私たちもほとほと困ること多々あります。

                      そのような義父を私は「自分勝手な困った人」という見方をしていましたので、段々と義父とかかわるのが苦痛になってきていました。私のその思いを聞いて頂き、義父とかかわる時に「何か言われたらどうしよう」と避けようとしている心が、余計に自分を苦しめていることに気がつかせて頂きました。

                      「何を言われてもいいや!受け入れていこう」思えるようになってくると、少しずつですが義父の言葉があまり気にならなくなっていきました。まだ苦手と思うところはありますが義父を通して大きな心になるチャンスをいただいているのだと思わせて頂きます。

                       

                      「仏性をひたすらに信じる」

                       

                      釈尊は、提婆達多からの非難や攻撃という厳しい現実に直面するなかでもまた、心を天にのぼらせて、広く大きな心で提婆達多と向きあったのだと思います。

                      すると、その瞬間に「自分を害する人」と見る自己中心の心が、スッと仏性を信ずる大きな心へと切り替わり、すべてに合掌・礼拝せずにはいられなかった―そういう心の切り替えをうながしてくれた提婆達多は、釈尊にとって「善知識」以外の何ものでもなかったといえるでしょう。「みんな仏性」という見方に立てば、偏った見方で人を傷つけたり、争ったりすることはありません。人を批判する前に、「そうか、あの人も仏性なのだ」と思い返すきっかけがあれば、偏った見方をして悩むこともないのです。

                       

                       ただ誤解されやすいのですが、仏性を信じるというのは、相手のいいところを見ることではありません。相手を、まるごと仏性として拝むことです。すべての仏性をひたすら信じるなかで、私たちは矛盾や葛藤とも向きあい、人として成長していくのだと思います。

                       

                       義父はデイサービスに通い始めて5年ほどになりますが、職員の方から義父の言動に対して「困っているので、どうにかしてほしい」とよく電話をいただきます。私はあきれたり怒ったり、困っていました。

                      たまに義父が自分の本心を話してくれるときがあり、家のために自分の思うように生きてこられなかったことに不満を抱きながら、人生を歩んできたことを知りました。そして私たち子どもに対しての思いの深さもわからせていただきました。

                      義父のその思いに有難さを感じつつも、目の前にいる義父を見ると相変わらず好き勝手な言動をして、周りの人たちを困らせています。その姿を見ると話してくれたこととの矛盾に悩みました。

                      しかしどの姿も義父なんだと教えていただき、すべてを受け入れていこうと思いました。

                      今は、受入れようとする心と、避けようとする心のいったりきたりですが、デイサービスからの「どうにかしてほしい」との電話にも、まずお世話になっていることに頭を下げ、お礼を申し上げることができ、謙虚にならせてもらえる、父の言動に右往左往しない自分つくりをさせていただける、父がいてくださるおかげで私は成長させて頂ける修行の機会を与えて頂いています。

                       

                      今年の元旦参りで、開祖さまから頂いたお言葉は

                      「まわりの人をあたたかい目でみていく、あたたかい言葉をかけていく、あたたかく手をとっていく…こうしてまわりの人たちを大事にしていくことが、いまを大切に生きることほかならないのです」

                      と頂きました。

                      父の仏性を信じて、あたたかい人になれるように精進させて頂きたいと思います。

                        

                                     合掌

                       

                                       滋賀教会 甲賀支部 Ⅿ・K



                      (会長先生ご法話 佼成4月号より引用)

                      当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます

                       https://www.kosei-kai.or.jp/2020/?cat_slug=kaicho-howa



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